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“結果至上主義”のイタリアで敬遠された異端児。デ・ゼルビが発揮する先進性の原点に迫る

2023.02.08

2022年9月というシーズン途中の監督就任ながらも22-23のブライトンを再び上昇気流に乗せ、早くも結果と内容を両立させた敏腕ぶりで一躍脚光を浴びているロベルト・デ・ゼルビ。気鋭のイタリア人戦術家がプレミアリーグで発揮する先進性の原点はどこにあるのか。過小評価されていた母国でのキャリアを出発点に、現地在住ジャーナリストの片野道郎氏がたどっていく。

 プレミアリーグ開幕からの6試合で4勝を挙げ4位につけるという素晴らしいスタートを切りながら、その立役者グレアム・ポッター監督をチェルシーに引き抜かれるという想定外の困難に直面したブライトン。オーナーのトニー・ブルームが、その後釜として白羽の矢を立てたのが、国際舞台ではほぼ無名と言っていいイタリア人監督、ロベルト・デ・ゼルビだった。

 選手キャリアのほとんどをセリエBで過ごし、監督としてもイタリア下部リーグでの数年の下積みを経て、セリエAの中堅クラブ・サッスオーロで3シーズン、ウクライナのシャフタール・ドネツィクで半年あまり指揮を執っただけ(就任1年目の昨シーズン途中にロシアのウクライナ侵攻により国内リーグが打ち切り)と、目立った実績を持たない43歳の抜擢は、多くの人々を驚かせた。しかも就任からの5試合が2分3敗、順位も9位まで急降下と滑り出しがネガティブだっただけに、この人選には当初大きな疑問が投げ掛けられたものだ。

 しかし、ポッターが残した3バックの布陣を基本にその5試合を戦った後(最近のインタビューで「最初は段階的に自分のやり方を導入していくアプローチを取った」と語っている)、自身のサッカー哲学によりマッチした4バックの[4-2-3-1]にシステムを切り替えた10月29日のチェルシー戦(プレミアリーグ第14節)に4-1で大勝したところから、流れが大きく変わる。 

 そこから22節ボーンマス戦までのプレミアリーグ9試合を6勝1分2敗で駆け抜け、順位をEL圏内の6位まで上昇させただけでなく、内容的にもその9試合で23得点13失点、トップ2を除くと最も高い得点力を誇るチームへと、ブライトンを変貌させたのだ。さらに、CBレビ・コルウィル、左SBペルビス・エストゥピニャン、左ウイング三笘薫、CFエバン・ファーガソンら、システム変更に応じて抜擢したタレントが水を得た魚のように活躍するなど、クラブの人的資産を最大限に活用しその価値を高めるという側面においても、デ・ゼルビは際立った手腕を見せている。

FAカップ4回戦でリバプールを下した後、終了間際に技ありの決勝点を挙げた殊勲者・三笘と抱き合うデ・ゼルビ

 こうして、就任からカタールW杯を挟んで実働わずか2カ月足らずという短期間で、プレミアリーグで最も注目を集める指揮官の1人となったデ・ゼルビ。先日惜しくも胆嚢がんのため死去したジャンルカ・ビアッリに始まり、クラウディオ・ラニエリ、カルロ・アンチェロッティからロベルト・マンチーニ、ワルテル・マッツァーリ、アントニオ・コンテまで、プレミアリーグで指揮を執ったイタリア人監督は複数いるが、選手としても監督としてもセリエAのトップレベルを経験していないというキャリアは、その中でも異色と言っていい。以下、その歩みを振り返りつつ、デ・ゼルビの独自性と先進性について掘り下げてみよう。

不遇のファンタジスタとして終えた選手生活

 1979年、北イタリアの小都市ブレシア生まれ。15歳でミランのスカウトの目に留まり、19歳までの4年間をミランのアカデミーで過ごしたが家族の下を離れての寮生活に耐えられず(一度はすべてを投げ出して実家に戻ったというエピソードもある)、育成年代を終えた後は下部リーグのクラブをレンタルで転々とするという、イタリアのプロサッカー選手にとって典型ともいえる形でキャリアをスタートする。小柄な左利きのファンタジスタという、当時カルチョの主流だった[4-4-2]には収まりどころが見つけにくいタイプだったこともあり、なかなか出場機会が得られず半年ごとにチームを替わるという困難な歩みが続いた。

 そのまま20歳そこそこでプロキャリアを終える選手も少なくない中、転機となったのはプロキャリア4年で7つ目のチームだったセリエC2(4部リーグ)のフォッジャで、02-03シーズンにパスクアーレ・マリーノ監督と出会ったこと。攻撃的な[3-4-3]システムの逆足右ウイングとしてリーグ優勝に大きな貢献を果たし、C1(3部)に昇格した翌シーズンも引き続き主力として活躍。翌04-05はセリエBのアレッツォ、さらに翌年は同じBのカターニアと、指揮官マリーノとともにステップアップを続け、05-06にはそのカターニアで35試合7得点を記録して、23年ぶりのセリエA昇格を主役として勝ち取った。

 続く06-07には、破産の後デ・ラウレンティス会長の下でセリエCから再出発して3年目、ようやくセリエBに昇格したところだったナポリに主力待遇の5年契約で迎えられる。しかし、足かけ4年間にわたってキャリアをともにしたマリーノ(カターニアに残ってセリエAを戦い、その後ウディネーゼ、パルマ、ジェノアなどを指揮)の下を離れてからはそれまでのような活躍ができず、ナポリがセリエAに昇格した後はセリエBのブレシアやアベッリーノでレンタル生活、そしてルーマニアのCFRクルージュ(イタリア人のアンドレア・マンドルリーニが監督だった)でキャリア最後の3シーズンを過ごすことになった。

CFRクルージュでは10番を背負った現役時代のデ・ゼルビ。写真は10-11CLのグループステージ第3節バイエルン戦

2度の解任も…「グアルディオラ風」スタイルに専門家が注目

 2012年、「セリエBかCならまだやれたけれど、監督になりたいという気持ちが強くなっていたから」という理由で33歳で現役を退くとすぐに、地元のアマチュアクラブで監督キャリアをスタート。UEFA-Aライセンス取得後の14-15シーズンに、選手として最も重要な時期を送ったクラブであるフォッジャ(セリエC=3部)でプロ監督としてデビューを果たした。

 ここから2シーズンにわたって指揮を執ることになるフォッジャは、GKからのビルドアップによるボール/地域支配とゲーゲンプレッシングによる即時奪回を組み合わせたポジショナルプレー志向のスタイルを、イタリアで最も早く実装したチームの一つだった。

 当時のセリエAは、ビンチェンツォ・モンテッラ監督がフィオレンティーナで、昇格1年目だったマウリツィオ・サッリ監督がエンポリで、ポゼッション志向の強いサッカーを見せていたが、ネガティブトランジション時の振る舞いはどちらかといえば受動的で、アグレッシブな即時奪回の試みは取り入れられていなかった。

 そんな中、個々のプレーヤーの技術レベルが明らかに低いセリエC、当時としては最先端、かつイタリアサッカーの伝統的なメンタリティとは明らかに異質な「グアルディオラ風味」満載のスタイルを打ち出したフォッジャは、エキスパートの間で大きな話題を呼ぶことになる。

 大きく開いた2CBの間にGKが進出して3バックを形成する後方からのビルドアップ、インサイドハーフとポジションを入れ替えてインサイドレーンに入り込むSB、ボールロスト時に後退せずむしろ前に詰めて即時奪回を狙うゲーゲンプレッシングといった、ペップ・グアルディオラの影響が色濃く反映された戦術のディテールは、きわめて斬新なものだった。
 
 これは余談になるが、2015年の秋、当時ミランのコーチだったレナート・バルディ(『モダンサッカーの教科書』シリーズで本誌読者にはお馴染み)に初めて取材した時、雑談の中で注目すべき若手監督について訊ねると、すぐに「フォッジャのデ・ゼルビ」という答えが帰ってきたのを覚えている。

 リーグ中位レベルの戦力を擁するチームで、就任1年目は20チーム中7位、2年目の15-16は2位という好成績を記録して昇格プレーオフ進出を果たしたが、そのプレーオフでは決勝でジェンナーロ・ガットゥーゾ率いるピサに敗れてセリエB昇格を逃す。続く16-17は、契約を2019年まで延長した臨んだにもかかわらず、夏の補強と目標設定を巡ってクラブと意見が分かれ、開幕直後の8月末に解任という形で袂を分かつことになった。

 その直後、ベネツィア時代のアルベルト・ザッケローニやルチャーノ・スパレッティ、クラウディオ・プランデッリに始まり、ジャン・ピエロ・ガスペリーニやガットゥーゾまで、新進気鋭の若手監督にいち早く目をつけて抜擢することで定評のあるマウリツィオ・ザンパリーニに声をかけられ、当時セリエAだったパレルモの監督に就任。しかし抜擢以上に有名な解任癖の洗礼を浴びる形で、わずか2カ月でその座を追われることになった。

パレルモを率いていた2016年9月、ザンパリーニ会長と談笑するデ・ゼルビ

 パレルモでの戦績は12試合で1勝2分9敗。途中就任という時間のない状況でも、その特徴的な戦術を妥協なく貫こうとした結果だったが、逆にそれが当時のまだ保守的な色彩が強かったイタリアサッカー界の中でデ・ゼルビの独自性と先進性を印象づけることにもなった。それが続く17-18、クラブ史上初のA昇格後、マルコ・バローニ監督(現レッチェ)の下で開幕9連敗というきわめて困難な状況にあったベネベントのオレステ・ビゴリート会長からの後任オファーに繋がっていく。

相思相愛のサッスオーロで完成したゲームモデルとプレー原則

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ロベルト・デ・ゼルビ

Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。

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