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[3-5-2]の誕生:コンテのユベントス戦術史

2022.04.02

戦術ヒストリア:2011-12 ユベントス×アントニオ・コンテ

カルチョポリ後、長らく苦しんでいたユベントスを復活させたアントニオ・コンテ。彼がビアンコネロを率いた3シーズンは、4バック全盛の時代に異彩を放った[3-5-2]の誕生とその定着、そして限界に直面するまでの歴史でもあった。今回はコンテ・ユベントスの戦術メカニズムとその変遷をたどったイタリアのWEBマガジン『ウルティモ・ウオモ』による分析記事(2013年11月25日公開)に、コンテ政権の終焉までを追記し特別掲載する。

※『フットボリスタ第88号』掲載

 アンドレア・アニエッリ会長が就任して2年目の2011年夏、2シーズン連続7位というふがいない成績を経たユベントスは、ルイジ・デルネーリの後任としてアントニオ・コンテの招へいを決める。他には、ナポリを率いて好成績を残していたワルテル・マッツァーリ、そしてモウリーニョの分析官からポルト監督に就任して1年目で国内リーグ、カップ、ELの3冠を達成したアンドレ・ビラス・ボアス(最終的にチェルシー行きを選んだ)が候補だった。コンテはシエナを率いてセリエA昇格を決めたばかりだったが、セリエAでの経験はその前年に途中就任で率いたアタランタのみ。しかもそのアタランタでは主将のクリスティアーノ・ドーニと対立し13試合で勝ち点13という数字を残して自ら辞任するという結末を迎えていた。つまるところ、トップレベルでの経験は皆無に近かったわけだ。

[4-2-4]原理主義者?

 コンテは選手時代に主将まで務めた生粋のユベンティーノであるという「資格」に加え、[4-2-4]という特異なシステムに強いこだわりを持つ原理主義者だという看板も背負っていた。セリエA昇格に導いた2つのクラブ、バーリとシエナのどちらでもこのシステムを採用していたからだ。そこでコンテが見せていたのは、容易に読み取ることができるいくつかの明快な原則に基づく、極めて高度に組織されたサッカーだった。中でも特徴的だったのは攻撃とネガティブトランジションの局面だ。

 ボール保持の局面は、攻撃のアクションに有効なスペースを作り出すことを狙いとして、GKを含む後方の選手たちが1タッチ、2タッチでのパス交換を繰り返すところからスタートする。自陣の低いゾーンで忍耐強くボールを動かすことで相手のプレッシングを誘い、その一方で左右のウイングは早いタイミングで大外レーンの高い位置に進出して敵SBをピン留めする。こうして相手の守備陣形を縦横に拡げるという仕組みだ。

 プレッシングを仕掛けようと誘い出した敵の頭上を越えるロングパスで前線の4人(2トップ+2ウイング)にボールを届けたところからは、その4人が動きとタイミングをシンクロさせた多彩かつスピードに乗ったパターンプレーによって攻撃を急加速し、一気に敵ゴールに殺到する。このシンクロニズムを機能させるため、毎日のトレーニングにおいて徹底した反復練習を重ねるのがコンテのやり方だった。

 ネガティブトランジションは、できる限り早く、高い位置での即時奪回を狙うのが基本。これは攻撃の局面においてウイングが常に高い位置を取る[4-2-4]という配置が否応なく要求する選択である。これを機能させる上で鍵となるのは、DFによる敵アタッカーに対する予防的マーキングを徹底すること。ハーフウェイラインを越えた先であってもタイトなマークを保つことでボールホルダーから前方の基準点を奪い去り、同時にそのボールホルダーに間髪を入れず厳しいプレッシャーをかけることで、ゲーゲンプレッシングの成功率を高める構造である。

 ユベントスはコンテを招へいすると同時に、ラツィオから移籍金1100万ユーロでリヒトシュタイナー、ミランからフリーでピルロ、チェゼーナから700万ユーロでジャッケリーニ、ローマから1500万ユーロでブチニッチ、そしてレバークーゼンから1100万ユーロでアルトゥーロ・ビダルという5人の新戦力を獲得して開幕に臨む。さらに夏の移籍期限終了間際には、そこにハンブルクからエリアというコンテ待望のウインガーも加入。その一方でフェリペ・メロ、サリハミジッチ、グリゲラ、モハメド・シッソコらを放出して、チームの相貌は少なからず様変わりした。

2011年9月11日:[4-2-4]から[4-3-3]へ

 コンテ率いる新しいユベントスは、このシーズンの開幕戦を新装なったユベントス・スタジアムで迎えた。前年デルネーリの下で苦杯を舐めさせられたパルマを相手に、ボール支配率65%、総パス数668、許した唯一の枠内シュートが終了間際に与えたPK、スコアは4-1という圧倒的な勝利を収める。どんなサッカーで? コンテのチームがこれまで見せてきたのとまったく同じサッカーで。

 システムはもちろん[4-2-4]。バルザーリとキエッリーニをCBペアに配し(ボヌッチはベンチ)、中盤センターにはマルキージオとピルロ、左右のウイングにはジャッケリーニとペペというイタリア人ではなく、クラシッチ、エリアという外国人が起用された。

 何かが起こったのは68分のこと。2トップの一角を占めていたデル・ピエーロに替わってA.ビダルが出場し、布陣は[4-2-4]から[4-3-3]へと変化する。A.ビダルはその5分後にさっそくゴールを決め、たった23分の出場時間で34回もボールに触って存在感をアピールした。コンテは後になって、獲得の時点でA.ビダルのことは「よく知らなかった」と告白することになる。コンテの性格を知る者なら、彼が「よく知らない」と言う時には実質「まったく知らない」と同義であるとわかるはずだ。事実、プレシーズンマッチでA.ビダルはウイングやセカンドトップとして起用されていた。しかし、自らの手中に強力極まりない武器を収めているとコンテが気付くのに、大した時間はかからなかった。ボールホルダーへのプレッシャーに関しては世界ナンバー1でありながら、アシスト能力はトップ下並み、ゴール前での冷静さもボンバー顔負けだった。当時のユベントスが残した数字のいくつかは、ビダルがどれだけ驚異的だったかを理解する助けになるだろう。彼を擁した最初の2シーズン、ユーべはボール支配率とタックル数の双方でセリエAトップだった。その中でビダルは17得点13アシストという数字も残している。1人の中に2人のプレーヤーが合体しているようなものだ。時には3人目のA.ビダルが出現することすらある。CBとして完璧な試合をプレーしたアウェイでのジェノア戦のように。

ユベントス対パルマのハイライト動画

 つまるところ、A.ビダルがどれだけの器であるか理解した以上、ベンチに置いておくわけにはいかなくなったということだ。開幕2戦目、3戦目での途中出場を経て、4戦目にはピルロ、マルキージオと並べる形でスタメンに起用する。システムは[4-3-3]。さしものコンテも、チームが擁する最良の選手をピッチに送り出さないわけにはいかないと悟ったわけだ。クラシッチやエリア、ジャッケリーニを起用するためにA.ビダルとマルキージオの一方を諦める? それはあまりにナンセンスであり、システムを選手に合わせるという形で解決策を探るのは当然だろう。ただ、それがコンテにも同じように当てはまると誰もが考えたわけではなかった。あれだけ強いこだわりを持つ[4-2-4]、自らのキャリアを築く土台となってきた[4-2-4]をそんなに簡単に放棄するとは思えない、という声も少なくはなかった。しかしおそらくコンテは、単なる[4-2-4]原理主義者の枠には収まらない監督だった。

コンテの到来とともにチームに加わったA.ビダル。指揮官のサッカーを成立させる重要なピースとなった

2011年10月2日:[4-3-3]の頂点

 前年王者ミランをユベントス・スタジアムに迎えた第6節、コンテの[4-3-3]は早くも頂点を極める。ユーべは終盤にマルキージオが決めた2ゴールで2-0の勝利を収めただけでなく、90分を通して終始ミランを圧倒した。シュート数は20対4。後半のボール支配率は64%(試合トータルでは56%)。何かが生まれたという印象をはっきりと与える試合だった。コンテが[4-3-3]で採用する原則は、[4-2-4]で見られたそれと基本的に変わりなかった。戦術的な鍵がネガティブトランジションにあるところも同じ。ボール保持時によりバランスのいい配置になる[4-3-3]の特質によって、ボールロスト時にもより効果的なゲーゲンプレッシングが可能になっていた。[4-3-3]がもたらしたパス本数、ボールと地域の支配率の高さはポゼッションへの志向性よりもむしろ、ネガティブトランジション時の強力なプレッシャーがもたらす高頻度の即時奪回に支えられるものだった。

ユベントス対ミランのハイライト動画

 このユベントスが見せるサッカーは、オフ・ザ・ボールの動きが作り出したスペースを的確なタイミングでアタックする連動性が際立った美しいものだった。サイドのチェーン(SB、インサイドハーフ、ウイング)を生かした前進やウイングのカットインといった[4-3-3]の典型的な特徴に加えて、擁する選手の特徴を生かした独特のパターンプレーが組み込まれていたからだ。ミラン戦のCFはブチニッチ。ウイングのクラシッチとペペはワイドな位置でプレーすることで最終ラインを開かせ、ブチニッチのレジスタ的な資質を生かす形でインサイドハーフが縦に走り込んでフィニッシュに絡むスペースを作り出した。しかし、3トップの最も典型的な顔ぶれはCFにマトリを起用し、ブチニッチを左、ペペを右に置くものだった。特徴的だったのは、両ウイングの動きが異なっていたこと。左ではブチニッチが高くワイドな位置を基点として、ほとんど戻るような形でハーフスペースに入り込んで、敵中盤ラインの背後に縦パスを引き出す。そこから、タイミングを合わせて動き出したCFと逆サイドのウイング、そしてインサイドハーフにボールを送り込むという流れだ。マトリはブチニッチに寄る動きで預けどころを作るのが第1の選択肢だが、ブチニッチが前を向ける時には左に開く形で裏のスペースをアタックし、A.ビダルとペペは中央から右にかけてのスペースをアタックする。一方右サイドではぺぺが大外レーンを縦に深くえぐり、そこから中に入り込むという[4-3-3]のウイングに典型的な動きを見せた。

コンテ最初の[4-3-3](中盤から前の動き)

 スペースとパスコースを作り出すオフ・ザ・ボールの動きのタイミングと精度が高まるにつれて、ユベントスは攻撃の有効性を落とすことなくペースダウンし(サッカーで問題となるのは、純粋なスピードやリズムではなくシンクロニズムだ)、ネガティブトランジション時だけ一気に圧力を高めることで試合のリズムをコントロールする術すら身に着けていく。ネガティブトランジションで即時奪回に成功しなかった時にも、ボールホルダーに対するプレッシャーは常に厳しいものだった。例えば、敵の4バックによるパス回しに対しては3トップに加えてA.ビダルが飛び出すことによって、数的均衡を作りマンツーマンで圧力をかけるのが常だった。

 この[4-3-3]の定着によって、すべての要素が収まるべき場所に収まったようにも思われた。レジスタのピルロの両脇を2人のインサイドハーフがプロテクトするこのシステムは、その2人、マルキージオとA.ビダルにとっても、縦の攻め上がりと前方に飛び出してのプレッシングを得意とするボックス・トゥ・ボックス型MFとしての持ち味を存分に発揮できる状況を整えるものだった。結果的に、数多くのウイングの中でコンスタントな出場機会を得たのはペペだけで、エリア、クラシッチ、エスティガリビアはベンチを暖め、ジャッケリーニはインサイドハーフの控えという立場に「リサイクル」された。

2011年11月29日:[3-5-2]の誕生

……

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ウルティモ・ウオモユベントス

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ウルティモ ウオモ

ダニエレ・マヌシアとティモシー・スモールの2人が共同で創設したイタリア発のまったく新しいWEBマガジン。長文の分析・考察が中心で、テクニカルで専門的な世界と文学的にスポーツを語る世界を一つに統合することを目指す。従来のジャーナリズムにはなかった専門性の高い記事で新たなファン層を開拓し、イタリア国内で高い評価を得ている。媒体名のウルティモ・ウオモは「最後の1人=オフサイドラインの基準となるDF」を意味する。

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