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イギータ、バルデラマ、アスプリージャ…飛び抜けた個性と革新的戦術が融合したコロンビアの煌めき

2020.09.24

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

1980年代末~90年代後半に黄金期を築いたコロンビア。当時の最先端をゆく戦術と、イギータ、バルデラマを筆頭とする個性派タレントが融合。短期間ながら強烈な輝きを放った魅惑のチームに思いを馳せる。

歯科医の改革

 1989年はコロンビアサッカー革命樹立の年と言っていい。

 ナシオナル・メデジンがコパ・リベルタドーレス初優勝を果たし、コロンビア代表は30年ぶりのワールドカップ出場権を手にした。メデジンと代表、どちらも同じ監督に率いられている。元代表選手で歯科医という異色の経歴の持ち主、フランシスコ・マツラナだ。

 マツラナはコロンビアのサッカーに疑問を抱いていた。マツラナの現役時代、コロンビアはアルゼンチンの影響下にあった。監督も戦術もアルゼンチン方式なら、スタジアムでファンが叫ぶチャントまでアルゼンチン風。南米北部のコロンビアは地理的にも人種的にも、あまりアルゼンチンとは共通点がないのだが、唯一スペイン語は共通している。

 かつてコロンビアには“エル・ドラド”と呼ばれた時代があった。わずか5年間に過ぎないが、FIFA管轄外の新リーグを立ち上げ、海賊リーグなので移籍金がかからず、高年俸を保証された選手が外国から大量に流入した。アルフレッド・ディ・ステファノなど、当時のスター選手たちが集結していたのだ。その時のコロンビアリーグはスターぞろいの豪華絢爛、コロンビア人選手も技巧を生かして活躍していた。

 マツラナが現役選手だった時代、エル・ドラドはとうに終焉していて、ハードワークと勝利至上主義のアルゼンチン・スタイルに染められている。そのころからマツラナには疑問があった。アルゼンチン方式が本当にコロンビア人に合っているのかという疑問である。

 引退したマツラナは、コーチ修業のために知人の勧めでウルグアイに行く。そこでまったく新しい戦術理論を学び、それがコロンビアのサッカーに革命を起こすツールになると確信を持った。新しい戦術とは、ゾーンディフェンスを基調としたプレッシングだった。

 その新戦術を考案したリカルド・デ・レオンは南米サッカーの「奇人」だ。

 デ・レオンの守備戦術は画期的で、後のアリーゴ・サッキ監督が率いたミランと同じものだった。しかし、ミランの40年も前に考案された戦術はその当時あまり理解されず、デ・レオンは「ウルグアイサッカーの破壊者」と批判されていた。しかし、少数の理解者はデ・レオンの戦術を継承し、マツラナはウルグアイでそれを学んだのだ。

 マツラナはゾーナル・プレッシングというボールを早期に奪回するツールを手にした。それを使ってボールを支配し、さらにコロンビア人の技巧と閃きを掘り起こした。エル・ドラドの記憶を甦らせ、アルゼンチン支配からの“独立”を果たした偉業と言える。

規格外の3

 マツラナ監督は奇抜とも言える個性派をコロンビア代表の縦軸に並べている。

 GKはメデジンの守護神でもあったレネ・イギータ。高いDFラインの背後をカバーするのにうってつけの足技の持ち主だった。ただ、イギータは裏に蹴られたボールを飛び出してクリアするのではなく、コントロールして攻撃の第一歩に変えた。それにとどまらず、時には相手FWをドリブルで1人、2人とかわすプレーもやってのけた。フィールドプレーヤーを兼ねたスタイルは、今でこそそういうプレーも見かけるものの、当時は画期的どころかクレイジーなスタンドプレーとしか思われていなかった。だが、マツラナ監督はイギータのスタイルを改めようとせず、むしろ奨励した。

 「プレッシングに必要なのは実は体力より集中力だ。イギータはチームに緊張感を与えてくれる」(マツラナ)

 緊張感どころか心臓発作を起こさせるようなプレーなのだが、そこを軽やかに乗り越えていく様は、確かにコロンビアらしかったかもしれない。麻薬王パブロ・エスコバルの時代だった。メデジンのオーナーでもあったエスコバルはコロンビア社会を裏から支配した。日常的に殺人が行われる生活の中で生きていく人々の感覚は、死線ぎりぎりを抜けていくイギータの雄姿と重なるところがあった。

バルデラマと抱擁を交わすイギータ

 MFにはチームの象徴とも言えるカルロス・バルデラマ。ライオンのたてがみのような金色のカーリーヘアがひときわ目を引く。シュートパスを叩き、サポートしてパスを受けてさばく。これを永久に繰り返していくような異質のプレーメイカーだ。パスの精度は抜群、接近戦のキープ力も突出していた。いわばエル・ドラド時代の遺産を受け継ぐ技巧派。ストリートサッカーからプロになったバルデラマこそ、独特なコロンビアスタイルの創造者だった。

1994年W杯でパスを散らすバルデラマ。そのヘアスタイルを真似するファンが続出した

 ファウスティーノ・アスプリージャは、コロンビアのラストピースだ。1990年ワールドカップに出場したコロンビアはショートパスを繋ぎまくるサッカーで注目を集め、この大会で優勝する西ドイツにグループステージ最終戦で引き分けてベスト16入りを果たした。だが、めくるめくパスワークの割にはゴールには至らず、ラウンド16ではカメルーンに敗れている。ストライカーが欠けていた。

 アスプリージャは待望のゴールゲッターだった。驚異的なスピードと技巧を併せ持ち、圧倒的なゴールセンスでセリエAのパルマで大活躍。この新しい、最大の才能を加えたコロンビアは1993年のワールドカップ予選で、アルゼンチンを5-0と大破している。それまでコロンビアサッカーを支配していたアルゼンチンに対して、予選突破を懸けた大一番で敵地に乗り込んでの歴史的大勝利だった。アスプリージャは2ゴールをゲットし、アシストも決めてこの夜のヒーローとなった。

1994年W杯ルーマニア戦でのアスプリージャ。プレミアリーグのニューカッスルでもプレーした

悲劇的な結末

 アルゼンチンに大勝したことで、コロンビアへの評価は一気に高まった。1994年、米国ワールドカップではペレが優勝候補に挙げたほどだ。もっとも、ペレの予想が当たらないのは有名だが、この時のコロンビア推しが定説を作ったともいえる。

 4年前のメンバーにアスプリージャを加えたコロンビアは、大きな期待を背負っていた。ところが、緒戦のルーマニア戦を落とすと、続く米国戦にもよもやの敗戦。早々にグループステージ敗退が決まってしまう。米国戦の前には、何者かによる脅迫があった。中心選手の1人だったガブリエル・ゴメスを起用してはならないというメッセージがマツラナに伝えられ、選手の家族の安全も考慮してゴメスをメンバーから外している。

 米国戦でオウンゴールしたキャプテンのアンドレス・エスコバルは帰国後、外出中にバーで客と口論となり射殺される悲劇も起きた。すでに麻薬王エスコバルは射殺されていた。政府と米国、エスコバルに殺された遺族が結成した一団、さらに対抗する麻薬カルテルの包囲網によって殺されたのだが、麻薬王の死後はかえってカルテルの抗争が激化し、コロンビアの治安は最悪の状態に陥っていた。アンドレス・エスコバル(パブロと同じ名前だが無関係)の死は、社会不安を象徴する事件だった。

 1989年に“独立”したコロンビアサッカーは、わずか5年あまりで終焉を迎えた。飛び切り個性的な選手たちによる、最先端の守備戦術とストリートサッカーが融合したスタイルは他に類を見ないものだった。やがてイギータ、バルデラマ、アスプリージャが引退し、コロンビアのサッカーは現代的な普通のサッカーに変化した。2001年には復帰したマツラナ監督に率いられて初のコパ・アメリカ優勝を果たすのだが、もうその時のチームにはかつての奇抜さも斬新さもなかった。

◯ ◯ ◯

当時のGKの常識を覆すスタイルで“エル・ロコ”(狂人)の異名を取ったレネ・イギータ、独創的なプレーでコロンビアを唯一無二のチームへと昇華させた“エル・ビーペ”(子供)ことカルロス・バルデラマ、爆発的なスプリントを武器に得点を量産したファウスティーノ・アスプリージャの3選手が、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!

「サカつく」未経験の方もこの機会にぜひ、ゲームにトライしてみてほしい。

<商品情報>

商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガゲームス

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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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