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現代プレッシング戦術の源流“グランデ・ミラン”の四精鋭

2019.09.19

1993-94シーズンのUCLを優勝し歓喜するミランのメンバーたち

現代戦術から読み解くレジェンドの凄み#5

過去から現在に至るまで、サッカーの歴史を作り上げてきたレジェンドたち。観る者の想像を凌駕するプレーで記憶に刻まれる名手の凄みを、日々アップデートされる現代戦術の観点からあらためて読み解く。

第5回は、「サッカーを変えた」と言っても過言ではないゾーンプレスにより一世を風靡したアリーゴ・サッキ時代と、彼の退任後も堅守を武器に数々の栄光を手にした1990年代のミランから。“グランデ・ミラン”を彩ったフランコ・バレージ、パオロ・マルティーニ、ズボニミール・ボバン、ダニエレ・マッサーロの4選手に着目する。

衝撃の4-0

 UEFAチャンピオンズリーグ(チャンピオンズカップ時代を含む)のファイナルで4点差がついた試合は4つしかない。最初は1959-60のレアル・マドリー対アイントラハト・フランクフルトでスコアは7-3だった。第1回大会から5連覇した伝説のレアルである。次が1973-74、バイエルンがアトレティコ・マドリーを再試合の末に下した決勝が4-0だった。あとの2回はミランによるもので、いずれもスコアは4-0だ。

 最初の4-0は1988-89で、相手はルーマニアのステアウア・ブカレスト。エース、ゲオルゲ・ハジを擁する強豪チームの1つだったが、ミランに完膚なきまでに叩きのめされている。そして、数々の名勝負を生んだこの大会の中でも特異な一戦だった。

 ステアウアは当時の「普通のサッカー」をしていた。ところが、ミランは「普通でないサッカー」だった。名門ステアウアはまったくどうしていいかわらないうちに、点差だけが広がっていったワンサイドゲームである。あそこまで一方的な展開になるファイナルは珍しい。

 ミランの「普通でないサッカー」は1987-88にアリーゴ・サッキ監督が就任してから始まっている。従来のイタリアの常識を根底から覆し、ゾーンディフェンスの[4-4-2]とコンパクトな陣形、息もつかせぬプレッシャーと極端なハイライン、奪った瞬間に繰り出される攻撃で、対戦相手を次々にノックアウト。わずか2敗でスクデットを獲得した。

 ミランのサッカーは普通ではなかった。現在は、むしろ普通のサッカーになっているが、それはミランがあったからなのだ。当時のミランと対戦した相手は、「あれがサッカーなら、我われがプレーしてきたのは何なのだ?」と嘆息していた。FWからDFまでが30m以内に詰まっていて、その中で強烈なプレッシャーをかけてくる。相手に何もさせず、蹂躙し粉砕した。それまでにもダイナミックなチームはあったが、ミランはその上を行くアグレッシブさであり、度を超えた侵略性さえ感じさせるまったく新しいサッカーを披露していた。1988-89のファイナルは、そのハイライトだった。

一世を風靡した“ゾーンプレス”でステアウアを寄せ付けなかった1988-89のチャンピオンズカップ決勝。バレージとマルディーニがこの優勝を経験している

 衝撃的なミランの秘密を探ろうと、「ミラノ詣で」が行われている。各国の指導者がミランの練習場ミラネッロに押しかけた。ヨーロッパだけでなく、遠く日本から見に行った人もいた。そのせいもあってミランの戦術は徐々に一般化していくのだが、しばらくミランの優位性は揺るがず、1993-94のファイナルではヨハン・クライフ監督率いるバルセロナを4-0で大破してヨーロッパチャンピオンになっている。ただ、衝撃の大きさから言えばステアウアに対する4-0の方が上だろう。サッカーがもはやそれまでのサッカーではなくなったと思わせる、ある種異様なゲームだった。

プレッシングの申し子

 異様と言えば、1989年のインターコンチネンタルカップはさらに異様だった。

 というのも、ミランと対戦した南米王者ナシオナル・メデリン(アトレティコ・ナシオナル)もミランと同種のサッカーを行っていたからだ。南米の新興勢力だったコロンビアのクラブがミランと同時期にあの戦術を採用していたのは不思議だが、フランスシコ・マツラナ監督が率い、奇才のGKレネ・イギータを擁するメデリンのスタイルは、サッキ監督に「ミラーゲーム」と言わしめている。ハーフウェイラインを挟んで20mのエリアに22人がひしめき合っていた。

 互いのボールハンティングをかわすために技術の粋が尽くされたが、パスは3本と繋がらない。あまりに速く、めまぐるしく、スリリングだが、それまでのサッカーがサッカーだとしたら、まるで別のスポーツのようだった。

 パスは繋がらないだけでなく、繋ぐ必要もなかった。フラットラインが極度に高いため、1発で抜け出すための裏の取り合いだったからだ。メデリンは時おりプレッシングをくぐり抜けて裏へ人とボールを送り込む。しかし、そのたびに猟犬のようにボールを追うDFに遮られた。フランコ・バレージだ。ミランのバンディエラであり、世界最高のCBだった。

 当時28歳。ベテランの領域に入ろうとしていたバレージは、サッキ監督の「プレッシング」に不可欠の選手だったが、その新しい戦術の導入期はサッキに言わせると「劣等生だった」という。マンツーマンディフェンスのリベロだったバレージにとって、完全ゾーンで精密なラインコントロールを要求される新戦術は違和感があったようだ。しかし、サッキ流をマスターすると、バレージはなくてはならない存在になっている。

 ラインコントロールの中心だっただけでなく、ラインを破られた時に異能を発揮した。バレージの特殊能力は、ストライカーの得点嗅覚の守備バージョンと言っていい。危険をいち早く察知し、誰よりも早く現場へ急行して未然に防ぐ。その勘の鋭さとアクションの速さは、コンマ数秒の遅れが命取りになるハイリスクの守備戦術にとって重要な保険になっていた。当初はその勘の鋭さが新戦術を呑み込む際の障害になっていたのだが、サッキの戦術が成立したのはバレージのおかげと言っていい。

写真は1994-95、当時ユベントス所属のロベルト・バッジョと競り合うバレージ。1997年に引退するまで20シーズン、ミラン一筋で過ごした

ハードワークと創造性の両立

 1993-94のUCLファイナルを前に、バルセロナのヨハン・クライフ監督はこう話していた。

「攻撃か守備か、サッカーの未来を決める試合だ」

 ドリームチームを率いるクライフは自信満々だった。7年にわたってヨーロッパのトップに立ち続けたミランの戦術は、すでに多くのチームに模倣され「普通」に近づいていた。一方、バルセロナは卓越したパスワークでミランとは違う意味で普通の領域を超えていた。フィールドを広く使い、四角に固めるプレッシングの上から円をかぶせて無力化することに成功していたのだ。バルサにはミランの模倣者たちを分解する力があった。

 下馬評もバルサだった。クライフの自信とは別に、ミランの重鎮バレージの欠場が決まっていたからだ。ルート・フリット、フランク・ライカールトは移籍してしまい、マルコ・ファン・バステンも負傷中、黄金期の看板だったダッチ・トリオもいない。サッキからファビオ・カペッロ監督に引き継がれてから、セリエAの4連覇などサッキ時代より好成績を残していたが、当初の衝撃が薄れたせいかピークは越えたと思われていた。

 ところが、結果は予想もしない4-0、ミランの完勝だった。バレージの代わりにCBを務めたのはパオロ・マルディーニ。いつもの左サイドから1つ中央へポジションを移したマルディーニは、バレージ欠場をまったく感じさせなかった。バレージ引退後のセンターポジションで新境地を拓き、長くミランの象徴としてプレーすることになる。

 父親のチェーザレもミランとイタリア代表でプレーし、ユース時代は「チェーザレの息子」と呼ばれたが、10代でトップチームにデビューするとすぐにチェーザレの方が「パオロの父」となっている。長身でスピード抜群、両足を使えて攻撃力も素晴らしく、紳士的な振る舞い、精神力の強さなど、非の打ちどころのない逸材である。

ピッチ内外でバレージの後を継ぎミランの象徴となったパオロ・マルディーニ。バレージを超える25シーズンをミランに捧げた

 バルサとの決勝では、中盤でパスワークを破壊し続けたマルセル・デサイーの活躍が光った。攻撃ではデヤン・サビチェビッチが「ジェニオ」(天才)と呼ばれた閃きを見せている。ただ、中盤でのハードワークとクリエイティブなプレーを両立させたズボニミール・ボバンも忘れがたい。

 この時期のミランは、初期よりも少し「普通」になっていた。他との比較だけでなく、サッキ時代ほど極端なハイラインではなくなっている。カペッロ監督はリスクを軽減し、先進性と引き替えに安定感を手にしていた。そのため異常なほどのコンパクトさもなくなり、必然的にMFがカバーしなければならないエリアは広くなった。サッキ時代のアグレッシブさとは別のハードワークが要求されている。プレス一辺倒ではなく、時には引いてスペースを埋めなど柔軟なプレーが求められた。

 しかし、ただハードワークするだけでなく、ここという時には「違い」を作らなければならない。ハードワークだけなら、ミランを模倣したチームと同じになってしまう。チームの一員として、歯車の1つとしての仕事をこなしつつ、余人では代えられない個性を発揮すること。ミランのMFに求められる水準は高く、それに応えたのがディミトリオ・アルベルティーニ、ロベルト・ドナドーニであり、クロアチアから来たボバンだった。もともと天才肌のプレーメーカーだったが、ミランではハードワーカーでもあった。

ミランの1990年代の栄華を成した立役者の一人ボバン。2019年6月にマルディーニとともにフロント入りし、今度は名門復活への舵取りを担う

 1993-94のファイナルのヒーローは、2ゴールのダニエレ・マッサーロだろう。独特の勝負強さを持つ「決勝の男」だ。MFでもプレーしていたが、カペッロ監督によってFWに固定されて開花した。

 フリットやファン・バステン、あるいはサビチェビッチのような天才ではないが、パワーとスピードを兼ね備え、運動量と献身性のある計算の立つFWだ。ミランでは長く9シーズンにわたってプレーし、重要な試合で多くの得点を挙げている。何一つ特別ではないが、すべてを持っていた。ドリブル、ヘディング、ボレー、ポストワーク、前線からの守備と何でもできて、華麗なシュートから泥臭いゴールまで、どんな形でも点を取れる。平凡さが非凡というタイプだった。

すべてのプレーを水準以上のレベルでこなし、チームの潤滑油となったマッサーロ。ミランの後に2シーズン、清水エスパルスでプレーし1996年に現役を退いた

 サッキが始めたミランの革命的なスタイルは、カペッロ時代に「普通」に近づいた。それは現代サッカーの基本型にもなっている。しかし、普通に近づきつつも、ミランはやはり普通ではなく、戦術は平凡化したかもしれないがプレーしている選手たちの非凡さで他の追随を許さなかった。

◯ ◯ ◯

 類稀な守備能力とキャプテンシーでチームを束ね、今や絶滅危惧種となった「ワン・クラブ・マン」としてクラブに骨を埋めたバレージとパオロ・マルディーニ、中盤で汗をかきながらも持ち前の創造性で攻撃に違いを生んだボバン、卓越した身体能力を武器に攻守のあらゆる局面でチームに貢献してみせたマッサーロ。ミランの黄金期を支えた4選手が、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!

https://www.footballista.jp/wp-content/uploads/2017/05/e13ac7a9669b806433505d03688d255c.mp4

 「サカつく」未経験の方もこの機会にぜひ、ゲームにトライしてみてほしい。

<商品情報>

商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
ジャンル:スポーツ育成シミュレーションゲーム
配信機種:iOS / Android
価 格 :基本無料(一部アイテム課金あり)
メーカー:セガゲームス

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Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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