「ゲームモデル」は対応力の敵なのか(前編):3人の体現者ペップ、シメオネ、スロットは異なる方法で機能させている

「対応力」とは何か#4
サッカー戦術の高度化に伴い、攻守の可変システム、ビルドアップvsハイプレスの攻防など駆け引きの複雑性が増しており、ピッチ上の選手の「対応力」がより問われる状況になってきている。そもそも「対応力」とは何なのか? ピッチ上でチームの意思を統一するには何が必要なのか? そして「対応力」のある選手を育てるにはどうすれば良いのか? 様々な角度から考えてみたい。
第4&5回は、前後編に分けて「自分たちが実際に行うプレーの仕方を示す意思決定基準」であるゲームモデルと対応力の関係について考察してみたい。複雑系のゲームであるサッカーにおける対応力は「レジリエンス」と似ている。ゲームモデルが選手を縛るものではなく、組織のダイナミズムを生み出すものとして運用されるには、何が必要なのだろうか?
フットボールの本質は「想定外」への対応
フットボールは言わずもがな複雑なゲームである。様々な要因が絡み合い、当人たちの予想を裏切るような事態に直面することはゲームの性質上当たり前に起こる。複雑系であるフットボールへの向き合い方として、ある意味緻密なプランニングの実行以上に「想定外」への対応こそが本質であると言っても過言ではないだろう。
サッカー界全体を通してこのような「対応力」のあり方について議論されることは珍しくないが、日本では文化的な背景も相まってか「トップダウン的なマネジメントによる規律の徹底」と「ボトムアップ的なマネジメントによる“自由”の尊重」は二項対立的に扱われている。森保監督率いる日本代表や、高校サッカーなどでボトムアップ的なアプローチが話題になる一方、結果を出したければ規律を重視する厳しいアプローチも必要という主張がカウンターとして立ちはだかる形だ。欧州でも「過度に戦術的なアプローチがフットボールから創造性を奪っている」という意見は近年同様に見られるが、果たして本当だろうか?
こうした単純化された二項対立の図式は、そもそもフットボールに限った話ではない。近年の社会・ビジネス・科学といったあらゆる領域/業界において、同じような現象が起きている。すなわち、「複雑な現象を過度な分析的思考によって単純化し、コントロールできるという思い込み」から反省・脱却し、「複雑なものを複雑なまま統合的に扱い、コントロール不能な領域を認識・許容した上でメタ的にコントローラビリティを獲得していく」という課題だ。
本記事は、フットボールの高速化や戦術化によってさらに問われることになった“対応力”と、賛否が語られがちな“ゲームモデル主義”との関わりを中心に議論していくことになる。上記のような背景も踏まえつつ、フットボールにおける指導、マネジメント、戦術、育成といったものが今後どのようになっていくかについて考えていきたい。
対応力≒レジリエンス
近年のフットボールにおいては、同じメンバーを起用していても攻守における配置を複数使い分けたり、相手のビルドアップの構造に合わせてプレスの構造を試合中に柔軟に変更するというようなことは日常茶飯事である。
さらに、サッカー界全体でこのようなノウハウが共有知となってきたことで、このような“戦術的対応”が求められるまでの時間はどんどん短くなってきている。前半に機能していたプランが後半には対応される、あるいは機能して首位に立った戦術も2週間で対抗策が発見され、リーグ全体でも共有される、というような具合だ。現代のトップレベルにおいて1シーズンを通して「1つのやり方」で優位性を確保し続けることはチームとしても個人としてもほぼ不可能と言って良いだろう。
さらに面倒なのは、このように互いの思惑が短期間で何度も交錯するような状況の中では、互いの意図通りではない噛み合わせで全く予想がつかないような現象が起こる可能性もさらに高まるということだ。戦術的優位性を高めることに成功し、試合をコントロールしていたがゆえに生じた一瞬の“緩み”が、逆に劣勢だったチームのカウンターからの先制点のきっかけになる、というようなことも現代のフットボールではよく起こることだ。
すなわち、現代やこれからのフットボールにおいては、自分たちや相手チームが意図する/せざるにかかわらず「新たなダイナミクス」に対して対応を強いられることは避けられないことであり、むしろそのような中で適切に状況の変化に対応できる能力こそが(シンプルなスキルやクオリティと同等か、それ以上に)重要になってくるということになる。
冒頭にも述べたように、アンコントローラブルなものを認めることで、逆に安定したコントロールを実現しようとする考え方において重要になるのが、「レジリエンス」と呼ばれる能力だ。
レジリエンスは、「個人や組織が直面した困難やストレスに対して“しなやかに”対応し、回復する力」として定義される。
重要なのは“しなやかに”という部分で、一切の妥協やパフォーマンスの揺らぎを許さないような完璧主義的な姿勢が過ぎるとシステムはかえって脆くなり、許容範囲を超えた瞬間に一気に崩れるリスクを孕むことになる。これはまさに、ビルの耐震性を向上させるには、むしろある程度のビルの“しなり”を許容するような設計の方が適しているという話と構造的に近い。どうせ揺れてしまう(≒想定外の出来事は起きる)ならば、無理に揺れないようにして突然ポキっと折れてしまうような構造より、ある程度揺れやしなりを許容することで全体としてはむしろ折れにくい、すなわち致命的な損壊が起きることを避けるような構造となっている。
すなわち、「レジリエンスがある組織」は「突然の変化に柔軟に対応し、パフォーマンスの致命的な低下を防げる組織」ということになり、これは本記事のテーマである“対応力”のイメージにも非常に近い。そこでここでは、対応力を「個人およびチームにおけるレジリエンス」と定義して話を進めよう。
レジリエンスの有無を決める7つの要素
レジリエンスおよび対応力に関して、抽象的な定義だけでそれが何たるかを本質的に理解することは難しいので、「レジリエンス」の有無を決める要素にはどのようなものがあるのかについて考えてみよう。
・多様性
多様性が欠如したシステム、すなわち均一性が高まり過ぎたいわゆる「同質集団」では、多様な解決策が用意できずに、少しでも想定外のトラブルが起きた際に“共倒れ”しやすくなってしまう。例えば、リバプールが理論物理学者をクラブに招いていたのは、まさに異なるバックグラウンドをもった人間を組織内に招き入れ、多様な視点から解決策を見出すためのアクションと言える。
選手編成に関しても、テクニックに優れた選手ばかり、背が高くてフィジカルに優れた選手ばかり、といったように似たような選手ばかり集めていると、いざという時に異なる戦術オプションを持てずに解決策が見出せないような状況に陥る可能性がある。同様に、各ポジションには異なる役割を求めていても、同ポジション内では均一性が高まりすぎるのも多様性を失う危険がある。例えば、CBにはフィジカルに優れた選手を、ボランチにはテクニックに優れた選手を、というのは一見すると様々な役割の選手を集めていて多様性があるように見えても、ボランチ5人が全てテクニックに優れた同じようなタイプだと、ボランチというサブシステム内では多様性が欠如しているということになり、結局のところ先に挙げた例と同様に解決策が見出せず、詰んでしまう可能性が出てくるというわけだ。
・コントロールしようとしすぎない意識……



Profile
山口 遼
1995年11月23日、茨城県つくば市出身。東京大学工学部化学システム工学科中退。鹿島アントラーズつくばJY、鹿島アントラーズユースを経て、東京大学ア式蹴球部へ。2020年シーズンから同部監督および東京ユナイテッドFCコーチを兼任。2022年シーズンはY.S.C.C.セカンド監督、2023年シーズンからはエリース東京FC監督を務める。twitter: @ryo14afd