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クロアチア最高の監督ビエリツァは、「CL→降格」危機のウニオンの救世主になれるか?

2023.12.15

昨シーズンのブンデスリーガで4位の快進撃を見せてCL出場権を獲得したウニオン・ベルリンだったが、CLに参加した今シーズンは一転大不振に陥った。公式戦12連敗で近年の成功の立役者だったウルス・フィッシャー監督と双方合意の上で契約解除。後任として白羽の矢が立ったのは、ネナド・ビエリツァだった。クロアチアで最高の監督とも評価される名将は、ウニオンの救世主になれるのだろうか?

ローター・マテウスの懸念

 独『スカイスポーツ』のサッカー番組『Sky90』でコメンテーターを務めるローター・マテウスは、クロアチアの指導者に対して懐疑的だった。11月27日、ブンデスリーガ最下位にあえぐウニオン・ベルリンがネナド・ビエリツァを招聘したことに、ドイツサッカー界の大御所は「大きなリスク」と叫び、このように意見した。

 「彼はまだブンデスリーガを知らない。カイザースラウテルンの元選手とはいえ、それは遠い昔のこと。ブンデスリーガで監督経験のない者がウニオン・ベルリンを救わなければならない。それは困難で非常にデリケートな仕事だ」

 5年間にわたるウルス・フィッシャー監督の指揮下、ウニオンはブンデス初昇格からCL初出場に至るまで大躍進を遂げたが、今季はその反動が一気に押し寄せた。公式戦12連敗という大トンネルを這い続け、レバークーゼンに0-4で敗れた直後の11月15日に、とうとうフィッシャー監督と契約解除。レアル・マドリー・カスティージャを指揮するラウール・ゴンサレスが後任候補の筆頭に挙がる中、最終的に指名されたのは、今年10月にトラブゾンシュポル監督を解任されたばかりのビエリツァだった。今回が5大リーグ初挑戦となる52歳の智将は、就任会見で淀みないドイツ語を操りながら抱負を述べた。

 「このチームを困難な時期から抜け出させ、再び実力を世に示すことが私の仕事だ。挑戦を楽しみにしているよ。よく組織されたアクティブかつ支配的なプレーを見たいし、責任を負えるような選手たちを欲している。そんなチーム作りに我われは取り組むつもりだ」

 かつてはパルチザンやザルツブルク、ハンガリー代表やブルガリア代表も率いたマテウスにしては、同地域へのアンテナレベルが低いのではないか。マテウス自身が母国のクラブから一度も声がかからず、ドイツではほぼ無名の外国人が監督指名されたことに嫉妬を覚えたのかもしれない。ボルフスブルクのニコ・コバチ監督やドルトムントのエディン・テルジッチ監督もクロアチア系(移民)だが、「クロアチア産」で最高の手腕を持つ指導者がビエリツァだ。

指導法のルーツにあるのはアラゴネスとゲレツ

 彼のルーツやキャリアを辿れば「汎ヨーロッパ」の象徴とも言うべき人物である。現役時代に再生を果たしたこともあり、監督としてもチームや選手の「再生」を得意としている。

 1971年にモンテネグロ人の父とクロアチア人の母の間に生まれたビエリツァは、生まれ故郷のオシエクでプロサッカー選手のキャリアをスタート。激しい爆撃を受ける戦時下の街で、クリエイティブなセントラルMFとして頭角を現した。22歳になる1993年夏にラ・リーガのアルバセテに移籍。最初の2シーズンは不遇を味わったものの、のちにベニート・フローロ監督に見出され、アルバセテがカンプノウでバルセロナに唯一勝利した試合では決勝ゴールを挙げている。1996年に引き抜かれたベティスでは、称賛と批判を巧みに使い分けるルイス・アラゴネスの人心掌握術に惚れ込み、監督が選手に対してどのように振る舞うべきかを身近に学んだそうだ。

1995年6月10日、「機械仕掛けのチーズ」と呼ばれたアルバセテがクライフ率いるバルセロナに勝利した試合のダイジェスト動画。この試合でゴールを決めたビエリツァは、アルバセテの4シーズンで72試合出場・18得点の数字を残している

 その後のラス・パルマス(当時2部)ではケガで長期離脱を強いられ、1999年夏にフリーで復帰可能なクラブを探す中でオシエク帰還が決まる。この28歳時の決断が彼の「再生」に繋がった。得点力の高い司令塔としてチームを牽引し、00-01シーズン前半はUEFAカップ3回戦進出に加え、18戦無敗でリーグ首位に立った。ダボル・シュケルやズボニミール・ボバンといった名だたる国外組を抑えて2000年度のクロアチア最優秀選手に選出されると、冬にはカイザースラウテルンに移籍。のちにエリック・ゲレツの指導を受けることになり、もっぱらボールを使用する彼のトレーニング方法に感化された。

 「ゲレツはベルギー出身とはいえ、PSVアイントホーフェンで長く働いていただけに“オランダスクール”というべき指導法だった。先発の機会はそこまで得られなかったけど、彼のサッカー哲学は気に入ったし、いずれのトレーニングも興味深くて面白かった。アラゴネス然り、ゲレツ然り、彼らのメソッドはチームを率いる際に参考にさせてもらったよ。しかし、私は誰もコピーするつもりはない。私は私。悪いコピーになる必要はないんだ」

 90年代に黄金期を迎えたクロアチア代表とはまったく無縁だったが、カイザースラウテルン移籍直後の29歳で初招集を受ける。それから新たに3年間の空白が生まれたものの、EURO2004メンバーに最後で滑り込んでスイス戦とフランス戦に先発出場を果たした。

テクニックと戦術理解度の高さをオットー・バリッチ監督に評価され、同い年のニコ・コバチ(右)とダブルボランチを形成。代表キャップは9。写真は筆者がEURO2004直前のデンマーク戦で撮影

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Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。

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