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超新星キリアン・ムバッペを輩出。育成組織の教育方針とは?

2017.10.03

クレールフォンテーヌ潜入ルポ

タレントは一日にしてならず――。ここ数年でトップレベルのサッカーそのものが劇的に進化しており、育成の現場もそれに合わせてブラッシュアップされてきている。選手を買えなくなったクラブはアカデミーからの選手供給に頼るようになり、10代でのトップチームデビューも珍しくなくなった。高まり続ける要求に応えるためには育成システムの変革が必須。それはかつて世界最高と称えられたクレールフォンテーヌも例外ではない。新生INFの理念とは何なのか、そして彼らはムバッペに何を伝えたのか。

 パリから南西におよそ50km離れた緑豊かな森の中に、クレールフォンテーヌ国立フットボール養成所(INF)はひっそりと佇んでいる。

 このランブイエの森は、かつては王族の狩猟場として知られたところ。ランブイエ城にはその昔、狩り好きだったルイ16世や王妃マリー・アントワネットも滞在し、現在は国賓の宿泊施設や大統領の別邸として使われている。そんな格調高い深林の一本道に、INFの入り口はある。注意していないと見過ごしてしまうほどひっそりしたそのゲートを通過し、さらに小道を進むと、その奥にフランスサッカー界のエリート候補生が学ぶ、INFの施設が現れる。

 56ヘクタールの敷地内には、フットボールグラウンドが8面(うち2面は人工芝)、室内トレーニング施設や、A代表が宿泊する全サッカー少年憧れの、通称『シャトー』、そして養成所生たちの宿舎が6つ、医務室にカフェテリア、屋外テニスコート、そしてメイン受付のある近代的なオフィス棟。周囲にはどこまでも緑の大地が広がり、敷地内にも木々が生い茂り、鮮やかなグラウンドと、至るところに緑があふれる。マイナスイオンが放出されているのかエリートたちのポジティブな氣が充満しているのか、普通に呼吸をしているだけで心身ともに英気がみなぎってくるような清々しい空間だ。

16歳以上のフォルマシオンから
13~15歳のプレフォルマシオンへ

 INFはかつて、フランス中部、ミネラルウォーターで有名なビシーという街にあった。1972年の第1期生には、現横浜F・マリノス監督のエリク・モンバエルツがいる。設立当初から一貫して『フランスのプロクラブに優秀な選手を供給すること』というポリシーの下で運営されているが、現在のINFが当時と異なるのは教育する生徒の年齢。当初はフランスで“育成”を意味するフォルマシオンの世代にあたる16歳以上を教育していたが、1988年に場所を現在のクレールフォンテーヌに移してから、INFでの育成は13~15歳のプレフォルマシオン(前育成)を専門とするようになった。

 「プレフォルマシオンを行うことになった基本アイディアは、FFF(フランスサッカー協会)の教育方針をこの世代に仕込み、それからプロクラブに彼らを送ることで、クラブ全体にFFFの方針を広めることができるから。また、各クラブが育成所を併設して育成に力を入れるようになったことで、より若い世代に特化したエリート育成所が求められるようになったためでもある」と話すのは、INFの現ディレクター、ジャン・クロード・ラファルグ。以前はここでコーチを務め、2014年からディレクターに就任した。

 「始めてみると、プレフォルマシオンは非常に効果的だった。13~15歳という年齢は学ぶのに適していて、良いことをどんどん吸収していくから学べば学ぶほど身につく。育成は家を建てることに似ていて、家の基盤、土台になる部分がプレフォルマシオンで、壁はフォルマシオン、そして屋根がプロ。ここでは一番大事な基盤の部分を育てている」

 かつては13~16歳の3年制だったが、現在は13~15歳の2年制だ。その理由は、クラブができるだけ早く逸材を手元に置きたいと希望するから。しかし3年制だった時代も、基本的な育成は最初の2年で終え、3年目はユースチームのリーグ戦に参戦して実戦経験を積むことをメインとしていたから、短縮したことでの育成プログラムへの影響はないという。

 開設当時はクレールフォンテーヌ1校だった国立養成所は、現在はここを含む全15のポールと呼ばれる支局に分散している。フランス全土、そして海外県のレユニオン島とグアドループにもポールを置くことで、より広範囲をカバーすると同時に、子供たちが家族とそれほど遠くない場所で育成を受けられるようにするのが狙いで、各ポールから約200km以内に居住する子供を対象にするというガイドラインがある。

 1年間に育成する生徒数は、クレールフォンテーヌが23人、他のポールでは15人程度。パリ地区、すなわちクレールフォンテーヌのセレクションには、およそ2000人が集まるというから、合格率は1%程度、まさにピラミッドの頂点だ。

 各ポールを卒業した生徒は、ほとんどがプロクラブの育成所に進む。さらにそこからプロ契約にこぎつけるのは毎年5、6人で目安は30%だというが、これは非常に高い数字だ。またプロ入りは叶わなかった選手も、より低いカテゴリーでサッカーを続けているケースが多い。

 ちなみにINFは卒業後のクラブ選びについては介入せず、選手本人と家族の決断に委ねるという。

 それに、各クラブの育成所にいる指導者は、やはりINFが育てた人材であるからどのクラブの育成所を選んでも基本理念は共通している。育成にどれくらい予算を使うか、プロチームにどのような選手がいるかといったクラブのストラテジーに違いはあるが、教える内容はどこもINFの推進するガイドラインに基づいているのだ。

INFのディレクターを務めるジャン・クロード・ラファルグ

約半年、異例の長期セレクション
「選手」ではなく「人間」で見る

 INFは多くの代表選手を輩出しているが、代表クラスの選手は4、5年に1人出れば上等、というほどのレベルだという。

 現代表でINFの卒業生はマテュイディとムバッペの2人。ティエリ・アンリのいた78年組からはアンリの他、ギャラス、ロテンの3人が代表入りし、翌年もアネルカ、クリスタンバル、サハの3人を輩出したが、その後はユース世代の代表はいても、A代表は85年組のジミー・ブリオンまで登場しなかった。そのような事情もあって、近年INFのレベルが下がったという声も聞かれるようになったが、ラファルグは「プロ選手になる数は増えていて実際にはクオリティは変わっていない。むしろリクルート面を強化し、よりピンポイントな手法を採っている。そうすることで前よりも持ち味やキャラクターの違う生徒を集められるようになった」と進化を強調する。

 以前はクレールフォンテーヌ1校しかなかったため、真に厳選された者だけが集まる今よりもさらに少数精鋭の育成所であったことも影響しているのだろう。

 セレクションは約半年間かけて行われる。11月に始まり、23人に絞る最終選考は4月。それだけ長く時間をかける理由は、スポーツ面だけでなく、人格的に適しているかなども入念に観察するためだ。学校から内申書も取り寄せ、成績ではなく素行面について注意深く吟味するという。

 「もちろん非常に難しい。なぜなら本当に見抜かなくてはいけないのは、セレクション中の彼らではなく、4年後の姿だからだ。ポテンシャルがある子は、その片鱗を見せているものだ。それはモチベーションに表れたり、すでに状況を分析・判断する能力を持っている子もいる。集中力の問題もある。つまりはメンタル的にすべてを備えている子だ。加えてサッカーの才能もあれば、我われは4年後に良い選手に育っているという確証が持てる」

 その際たる例が99年組にいたキリアン・ムバッペだという。

 「彼はテクニック、ポテンシャル、すべて持っていた。もちろんメンタルもね。4年後に良い選手に育っていると確信できるものを持っていた。そして実際そうなった」

 しかしもちろん、すべての生徒がムバッペのように成功するわけではない。

 「実際、我われの目に見えることよりも、見えない部分の方が重要だったりする。13歳という年齢で『良い』と判断される部分というのは、18歳になっても良い場合が多い。逆に13歳では見えなかった部分、発育が遅い、あまりしゃべらない、など見えない部分が多かった子供が18歳になって化けることもある。そういう場合はじっくり時間をかける必要がある。逆もしかりだ。13歳ですでに素晴らしいものを持っていて、『この子は未来のジダンだ!』などと期待されても、18歳になって消えてしまう子もいる」

 アブ・ディアビは、ここではメンタル面、テクニック面ともにずば抜けた、ディレクターいわく「王者級」の生徒だったというが、たび重なるケガの影響もあり、期待されたほどの活躍はできていない。

 逆に、名前は明かしてくれなかったが、セレクションで採用しなかった選手で現在大活躍をしている者もいるという。

 「当然いるさ。我われが採用しなかったのは、単に選手として劣っていたからという理由だけではないからね。ここは学校であり、包括的に指導するから、サッカー選手として優れている子だけを探しているわけではない。だから子供によっては、最初からクラブに入る方が適している場合もある。クラブでは、徹底的にサッカー選手を育てるから、もっと短時間でより直感的に判断する場合が多いからね。しかし我われは『選手』ではなく『人間』で見る」

 INFでは、「学業」、「他の子供たちとの生活」、「フットボール」の3つを学ぶが、そのコンセプトを理解できない子供や父兄は、プロクラブの方を選ぶという。

 また最近では早いうちから海外に出たがる選手が増えたが、ラファルグは懐疑的だ。

 「統計によれば、16歳より前に海外に出た選手の95%は成功していない。家族の問題など様々なことに直面するし、海外クラブに入れば即、実戦で勝負することになる。しかし18、19歳頃までは、しっかりフォルマシオンを受けるべきだ。ムバッペも15歳でここを出る時、すでに多くの海外クラブが彼を引き抜きにきた。でも彼はそれを望まず、フランスでの育成を選んだ」

INF卒業生のアンリ(左)とアネルカ

ムバッペのプレーに宿る新生INFの理念

 生徒たちは、クレールフォンテーヌから10分ほどの場所にある地元の学校に月曜から金曜まで通い、学校から戻った後、15時半頃から練習を始める。

 育成スタッフは少数精鋭で、ラファルグの他はコーチを務めるフィリップ・ブレトー、そしてGKはフランスA代表のコーチ、フランク・ラビオから指導を受けられる。年初におおまかな年間スケジュールを立てた後は、毎週その週にやるべきテーマを決める。テーマは常に攻撃と守備の両面だが、別々ではなく同時にやることで相互的に学んでいく。

 「私の役割は、選手をチームプレーの枠組みの中で育てることにある。ある時は全員がDF役をやり、ある時は全員がアタッカー役をやり、またある時は全員がMF役をやる。唯一の例外はGKだ」

 確かに練習時に生徒にポジションを尋ねた時も、1人は「どこでもやります。特に決まっていません。どちらかというと攻撃」と答え、もう1人も「僕は守る方です」とざっくりと答えただけだった。入学間もない頃は、生徒たちにも戸惑いが見られるという。

 「それは、ここでは今まで彼らがやってきたサッカーとは違うものを提案していくから。サッカーを違う見方で見るように教える。それまでは彼らはおそらく、自分自身のプレーだけに意識を向けてきている。しかし実際は、敵や味方など他の登場人物もいる中でプレーしなければならない。よって自分のプレーも、周りの状況に大きく左右される。周りで何が起きているか、今どんな状況にあるかに常に注意を払うこと。そうすることが、自分のレベルを知ることに繋がる」

 一時期、INFでは個人プレーに優れた選手を多く輩出していた。しかし現在は技術がしっかりしていること、そしてそれをチームプレーの中で生かせることが育成の二大柱だ。サッカーのプレースタイルが時代とともに変わるのに応じて、当然ながら指導方針も変えていく。

 「最近の選手はよりスピードに長けているし、プレースタイルも相手DFがより引いて守ってくるパターンが多い。さらに確実にプレーできるスペースはどんどん狭くなっていく。守備の選手なら、より低い位置で、時に数的不利な状態で守るやり方を習得する必要がある。加えて重要なのは、様々な状況に対応できる術を学ぶこと。かつては一定のパターンで守ることが通用していた時代もあったが、今日は特にハイレベルになればなるほど、相手が繰り出してくる数々の難題にそれぞれに最も適したやり方で応じていくことが必須になっている。数的に不利か有利か、DFラインが高い時、下げた時、かなり広いスペースがある時……シチュエーションは同じではない。よって育成所では、あえて様々な難題を与えて、柔軟に対応できる術を学ばせている」

 多くの例を学べば、それだけできることの引き出しが増えて選手としての深みが出る、というのがINFが目標とする選手像だ。

 実際、ムバッペがINFでの2年間で特に成長した部分も「プレー中にどのような選択をするかという効率性の部分、それからポジショニングと動き方」とラファルグは指摘した。

 「今の彼のプレーを見ていると、自然に任せるのではなく、頭で考えて動いているのがわかる。それはどの瞬間にどんなことをするのが一番効果的か理解しているからだ。ボールをプレーするのが好きな子は多い。実際ほとんどがそうだ。しかしサッカーは単なるボールゲームではない。同じ喜びを保ちながらも、ゲームの中でいかに効果的にできるかという部分が肝心なのだ。なぜならサッカーで一番大事なのは、何をおいても試合だからだ。試合の中で持てる力を発揮し、なおかつ同じ楽しさを感じられることが大切だ。ムバッペは、クオリティという部分ですでにここに来た時から他の子供とは違っていた。スピードもあったし、ドリブルもうまかった。それを本人も楽しんでいた。しかし今日のムバッペは、同じように自分のプレーを楽しんでいるが、試合の中で効果的にそれを使う術を身につけ、試合を楽しむことを覚えた」

 6月13日のイングランドとの親善試合(フランスが3-2で勝利)の3点目のシーンでは、ムバッペは自分で打たずにデンベレにパスを出し、彼に決めさせた。

 「その方が効果的だと判断したからだ。自分で打てると判断した時は自分でシュートに行くが、それ以外の選択肢が有効だと判断すれば他の選手にパスを出せる。仲間のために自分を捧げられることは好判断をすることに繋がる。サッカーというのは適切なタイミングで良い判断をすることに尽きる。テクニックと判断、どちらかをできる選手はいるが、大切なのは両方ができることだ。だから入ったばかりの選手は戸惑う。これまで自分のテクニックを磨くことだけに集中してきたからだ」

 ラファルグは、普段サッカーの試合を見ていて「ここの卒業生だな」と違いを感じる部分があるという。

 「1つはテクニック。ボール扱いがうまい。もう1つはポジショニングだ。ピッチ上での反応がいい。好判断をして、良い位置に動ける。ポテンシャルの高い選手になればなるほど、ゲームの中で効果的なプレーができるようになる」

2016年のU-19欧州選手権でフランスの優勝に貢献したムバッペ

「自分の才能が何か」に気づかせる
ゴールが見えれば人は努力できる

 では、どうすればINFが理想とする選手に育てられるのか? どういう教育の仕方をしているからINFは優秀な選手を輩出できるのか?

 「指導者は魔法使いではない」とラファルグは言う。

 「我われにできることは、生徒自身が自分たちの才能に気づけるような環境、状況をすべて整えてやることだ。しっかりサッカーというものを理解して、取り組んでいけるように。才能がなければ成長はないが、自分自身で自分の才能を知った時、人はそれに向かって成長していくことができる」

 その意味で、ムバッペがスター選手に成長したのは理にかなっていたと語る。

 「彼は子供の頃から物事をしっかり分析し、頭がクリアだった。成長したい、ということにひたすらフォーカスするが、自分にプレッシャーをかけ過ぎるようなことはしない。なぜなら彼は、自分が何を伸ばせるのかを理解して取り組んでいたからだ。我われは選手本人が『成長できる』と感じていない部分を伸ばしてやることはできないが、才能の限界を知る手助けはできる。ムバッペもそうやって自分の持つ才能が何であるかを学んだ。子供は自分にはそれができるとわかった瞬間、そこに向けて猛然と努力し、目標に向かっていくことができる。彼は自分には何ができて、将来的にどこまで伸ばせて、どのくらいのキャパシティがあるかわかっているから、謙虚に努力を続けていくことができるし、あのように自然体でいられる。失敗した時も成功した時も、その理由がどこにあるのか自覚しているから、明日さらに良くなるためにはどうすればいいか、自分で理解した上で取り組むことができるのだ」

 INFはポジションの枠に当てはめることはないが、多くの選手がINFにいる間に自身の得意ポジションを発見するという。最初は「自分は……」と尻込みしても、「今の良いプレーだったぞ!」と指摘しているうちに、それが自信になり、自信がつくと好きになっていく。そして褒められたポジションがいつしか天性のポジションになっている。

 ラファルグが繰り返し強調したのは、INFは「学校」であって「人を育てる場所」であり、「サッカー選手を育てる場所」ではない、ということ。

 「我われにとって関心があるのは子供を育てること。その子が将来サッカー選手になるかもしれない。しかしそのことよりも気を配っているのは、どのような『人間』として育っていけるかということだ」

 ムバッペの同期には、才能はあったが卒業後はプロクラブには入らず、医学の道に進んだ生徒もいる。スポーツ医学の専門家として仲間をサポートするのが、彼の将来の夢だという。

 この夏、ムバッペには国外のビッグクラブへの移籍がささやかれているが、ラファルグは「いずれにしても、彼と彼の親御さんは正しい判断をするだろう」と楽観している(編注:本稿執筆後にパリSGへレンタル移籍が決定)。

 「私の意見では、彼はすでに海外クラブでもやっていけるだけのものを持っている。なぜなら彼は自分がやるべきことに集中することができる選手だからだ。今の時点で海外クラブに入れば、プレー時間はこれまでよりは減るだろう。しかしその状況の中でも自分がすべきことをきちんとやれる選手だ」

 やるべきことをやり続けるのはINFも同じ。

 「サッカーに奇跡は起こらない。どこの国の育成においても、自分たちがやっていることが正しいと信じてやるだけなんだ。それぞれの国に合ったノウハウや文化にはまるかどうかは、時間をかける必要がある。しかし我われは育成のパイオニアであるから、それができると考えている」

 実績に裏づけられたラファルグの言葉は、自信に満ちていた。

Photos: Yukiko Ogawa, Getty Images, Bongarts/Getty Images

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INFキリアン・ムバッペクレールフォンテーヌティエリ・アンリ

Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。

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