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想像せずにはいられない「もしも」の世界。リエカで復活の魔法がかかるマルコ・ピアツァに抱くロマン

2023.09.28

ECL(ヨーロッパカンファレンスリーグ)予選では本大会出場こそ逃したものの6試合で14得点を叩き出し、クロアチアリーグでも第9節(1試合未消化)時点で首位と勝ち点2差の2位につけているHNKリエカ。好発進の若手軍団を後押しするさらなる起爆剤として期待が高まるのは、今夏ユベントスから母国復帰を果たしたマルコ・ピアツァの復活だ。ディナモ・ザグレブ時代には「モドリッチに次ぐクロアチア最高の選手」と評されながらも、度重なるケガで伸び悩んできた28歳に抱くロマンを長束恭行氏が綴る。

 9月16日のクロアチアリーグ第8節・対オシエク戦。半月前にリエカと電撃契約した元クロアチア代表FWマルコ・ピアツァにとって、これが2戦目にして初先発。本拠地「シュタディオン・ルイェビツァ」では初お目見えの試合だ。ECL予選プレーオフでのリエカは、フランスの強豪リールを延長戦に引きずり込む健闘はしたものの、周囲のアタッカー陣は平均年齢21.5歳だけに経験不足が否めない。彼らはオシエク相手に強引なミドルシュートばかりを放ってはGKに弾かれ続けていた。

 「マルコは魔法のようなボールタッチを失っていなかった。他の選手とは異なる蹴り方を見た瞬間、リエカのサポーターはその事実にすぐ気づくことだろう」

 ディナモ・ザグレブ時代にピアツァを指導しているリエカのジェリコ・ソピッチ監督は、オシエク戦の前日会見でそう予言していた。47分に「魔法の瞬間」が訪れる。左ウイングのピアツァが縦パスを受けて前を向くと、右から寄せてきた相手選手をマルセイユルーレットで欺き、バイタルエリアの中央に向かって突進。30m近い距離から放たれたミドルシュートは無回転のまま、ネット右下隅に突き刺さった。ピアツァにとっては実に653日ぶりの公式戦ゴールだ。さらに5分後、ピアツァは新たな魔法を見せる。ハーフウェイライン手前から大幅のスプリントで走り出してボールを受けると、左サイドからペナルティエリアに侵入。対峙した2人の間をダブルタッチで抜け、サイドネットを狙ったグラウンダーシュートにオシエクのGKは一歩も動けなかった。私たちが知っている剛柔自在のピアツァが戻ってきた。まるで「復活の魔法」を自分にかけてきたかのように。

リエカvs.オシエクのダイジェスト動画(得点シーンは3分52秒~)。ピアツァは第8節全試合における最優秀選手に選出された

「欧州王者になれた」EURO2016で悔やまれる起用法

 クロアチアのフットボーラーで「もしも」の世界を覗きたいのならば、ピアツァに比類する人物はいないだろう。レスリングの元ユーゴ王者である父と柔道の元クロアチア王者である母のDNAを受け継ぐ強靱なフィジカルに加え、ロナウジーニョに憧れて磨きをかけたボールテクニックでサイドを切り裂くウインガーは、ディナモ在籍時の19歳で早くもA代表入り(2014年9月4日、キプロス戦)。2015年には右ウイングの代表レギュラーに収まり、名門クラブの間で争奪戦が始まった。

 2016年3月に鎖骨を骨折してEURO2016出場が危ぶまれる中、最短の1カ月で戦線復帰。その影響で本大会はサブに甘んじたものの(今となっては信じ難いが右ウイングはマルセロ・ブロゾビッチが務めた)、彼は相手国を震え上がらせる「リーサル・ウェポン」だった。しかしながら、ラウンド16のポルトガル戦で地蔵と化したアンテ・チャチッチ監督は、スコアレスで延長戦突入後の110分になってようやくピアツァを投入。短時間でポルトガル守備陣を脅かすも、117分のカウンター一発でバトレニ(“炎の男”を意味するクロアチア代表の愛称)は沈む。敗退後にミロスラフ・ブラジェビッチ(フランスW杯3位の代表監督)が国民全員の気持ちをこのように代弁した。

 「負けたのはチャチッチのせいだ! 私はいつも『ピアツァを出場させるべき』と口酸っぱく言ってきた。彼はモドリッチに次ぐクロアチア最高の選手であり、ポルトガルにとってのロナウドと同じ存在だ。ロナウドが90分間に見せたプレー以上のものをピアツァは10分間で見せている。チャチッチよ、お前は代表監督の才能がない」

 2年後のロシアW杯ではズラトコ・ダリッチ監督に率いられたバトレニが準優勝を果たすが、「EURO2016のメンバーの方が強力だった」という意見に私はコクリとうなずく。主力陣の多くがピークを迎えていた上、すでに決勝トーナメント進出が確定したグループステージ第3節では、控え中心でEURO2連覇中のスペインを倒したほど。ラウンド16でクロアチアに劣勢だったポルトガルがそのままEURO2016を制覇しており、「もっと早くにピアツァを投入していればクロアチアが欧州王者になれたのに……」と当時はクロアチア人の誰もが悔やんでいたものだ。

A代表デビューとなった2014年の親善試合・対キプロス戦でバイシクルシュートを試みるピアツァ。ボディバランスに優れた彼はEURO2016のスペイン戦でもバイシクルシュートを試みている。撮影は筆者

「無意味な試合」で未来のバロンドーラーに訪れた悲劇

 伸び盛りの21歳を大会終了後に競り落としたのはユベントスだった。移籍金2300万ユーロはディナモにとっての史上最高額(ボーナス込みで最終的には2940万ユーロが支払われている)。腓骨炎でシーズン前半を長期離脱したとはいえ、年明けからピアツァは出場機会を増やしていき、CLラウンド16・対ポルト戦の第1レグでは交代5分後に決勝ゴールを挙げる大活躍。セリエA開幕前に取材で訪れたクロアチアの記者陣に対し、ジャンルイジ・ブッフォンが「あの子はいずれバロンドーラーになる」と予言していたという。しかし、ユベントスでの初ゴールから1カ月後に忘れ得ぬ悲劇が起こる。……

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Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。

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