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「ベガルタ仙台をJ1に」覚悟の移籍を決めた佐藤瑶大が振り返る、明治大学時代の成長

2022.10.18

今季、13年ぶりに明治安田生命J2リーグを戦うベガルタ仙台へシーズン途中に加入し、主力となっているのが佐藤瑶大だ。12人のJリーガーを輩出した明治大学の黄金世代の一員で、4年の頭にガンバ大阪内定を掴み取るも、プロ入り後は昌子源や三浦弦太らの高い壁に阻まれ出場機会を存分に得ることが出来ず、仙台行きを決断した。

2年目ながら苦しい状況にあるチームの最終ラインを任される佐藤に、移籍の理由からプロ入り前の成長ストーリー、終盤戦への思いを聞いた。

J1昇格の原動力になりたかった

――シーズン途中で仙台に来て、チームの主力で戦ってみていかがですか? 昇格争い中というヒリヒリ感も含めて。

 「チームも受け入れてくれて、すんなり入れました。ガンバの時は残留争いのヒヤヒヤ、緊張感がありました。一方でベガルタでは昇格争いをしているチームの雰囲気を知れましたし、5連敗後の立て直し方も学べました。昇格争いをしているチーム同士の緊張感も新鮮でしたし、その中で一つひとつのプレーに対して責任感が生まれています」

――期限付き移籍でシーズン途中から入って最終ラインを任されるのは難しい部分もあるのかなと思ったのですが。

 「最初は多少、遠慮もありました。ただ、今はもう一切関係ないかなと。試合中も盛り上げることや、自分が主導していくことは意識をしています。そこは練習からですね」

――ガンバからの移籍を決断した理由はどういったものでしょうか?

 「自分の価値をどう上げるかと考えた時、カテゴリー的にもガンバで試合に出ることが1番でしたけど、試合に出ることでしか見えない課題もあるな、と。試合に出続けた方が成長するし、選択肢も広がると思ったんです。試合だけで得られる感覚的な部分、試合勘はだいぶ大きいとガンバで感じました。出るとしても間が空くことが多くて、その状況で結果を出すのは難しい。そのまま時間が経つのであれば、シーズン途中でも強く欲してくれるチームへ移籍をして、ポジション争いする方が自身の成長に繋がると思いました」

――ガンバでは三浦弦太選手や昌子源選手らがライバルとしている中で、出るのは簡単ではなかったと思います。でも、1年目でそれなりに出場機会を得られたのはポジティブに捉えてもよいのかなと。

 「もちろんセンターバックで1年目から出るには相当な信頼がないといけません。自分が出た試合が右サイドバックや、3バックの左で、そこで結果を残せませんでした。そのポジションで使われる葛藤はありましたが、それは自分の実力不足でしかないので。レギュラー陣に割って入りたかったですけど、結果的にそれはできせんでした。ただ、他の選手の良いところを盗む努力はしました。(昌子)源くんはカウンターの守備が上手いんですよね。下がらないで前に出て止めることができる。海外で言うとぺぺのような感じです。相手のドリブルに合わせて下がる守備をしないで、バシッと止められる。三浦弦太くんはロングフィードのボールの質、キム・ヨングォン選手はボールの運び方、菅沼駿哉選手のラインの上げ下げなども参考にしていました」

ガンバ大阪では右SBや左CBなど、慣れないポジションでも起用された

――対峙するアタッカーも国内屈指で、質の高い選手がいたと思います。そこで得られるものもあったのかなと。

 「宇佐美貴史くんはちょっと時間を与えると振りの速いシュートが出てきてそれがゴールになりますし、パトリックはクロスへの入り方が凄く上手で強い。ゴールキックの跳ね返しは負けないのですが、それだけではダメだと気づかせてくれましたね」

――仙台に来てほしいと言われて、入団を決めた理由は。……

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ベガルタ仙台明治大学

Profile

竹中 玲央奈

“現場主義”を貫く1989年生まれのロンドン世代。大学在学時に風間八宏率いる筑波大学に魅せられ取材活動を開始。2012年から2016年までサッカー専門誌『エル・ゴラッソ 』で湘南と川崎Fを担当し、以後は大学サッカーを中心に中学、高校、女子と幅広い現場に足を運ぶ。㈱Link Sports スポーツデジタルマーケティング部部長。複数の自社メディアや外部スポーツコンテンツ・広告の制作にも携わる。愛するクラブはヴェルダー・ブレーメン。

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