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ブンデス主審が語るVAR、そしてハンド。アングルの数だけ真実がある

2020.01.24

 『キッカー』誌の「ブンデスリーガの選手が選ぶ最優秀レフェリー」に6年連続で選出されたマヌエル・グレーフェ。「審判の試合の割り当てや、試合数に能力が反映されておらず、公平さが欠けている」と、自身の上司にあたるドイツサッカー連盟の担当責任者を批判するなど、ドイツ国内で発言力のある審判の1人だ。

VARには2つの視点から批評

 1月20日の『キッカー』 誌のロングインタビューでは、VARやハンドのルール改正について、現役の主審としての経験を交えながら自身の見解を語った。選手たちからの評価が高い理由を、グレーフェは次のように説明する。

 「自分が選手だった時は審判が高飛車で、普通のコミュニケーションが取れない審判、サッカーの能力がない審判には不満が溜まった。だから自分が審判をする際は『落ち着いてフェアに選手と接すること』、そして『プレーを止めず、なるべく流すようにすること』を心掛けている。この組み合わせが選手たちに好まれているのではないだろうか」

 2シーズン前から導入されたVARには、いちファンとしての目線と審判としての目線の間で評価が分かれるようだ。「いちファンとしては、サッカーの精神を奪っていると感じる。サッカーの魅力は即興性、予測不可能なこと、そして感情の動きだからね。一方で、サイドネット外側からのゴールや得点者が5mもラインを越えているオフサイドのような、審判としては信じられないミスを心配することがなくなったので、プレッシャーが減った部分はある」

 選手や監督、経営陣たちからの不満を認めた上で、自身も審判として改善が必要であると感じている。「まずは透明性の確保が第一。スタジアムやテレビのファンたちをVARの判定に納得させなければならない。私がVARの画面を見て判断を下した理由を観客に伝えられるようになれば、ファンやメディアも明確に理解できるだろう」

優れた審判はサッカーを“感じる”

 試合を流すことを好むスタイルだけに、VARの介入頻度に疑問も感じているようだ。「(介入が)多過ぎる傾向はあった。冬の審判団の合宿の際、責任者のヨッヘン・ドレースがあらためて基準を明確にした。『VARの介入は、判定を修正し、より良い判定を下すためのものではなく、明らかなミスジャッジを防ぐものだ』という認識だ。判定の責任はピッチ上の審判に委ねなければならない」

 VAR全般に対しては、次のように総括している。

 「あらゆるカメラアングルに、それぞれ異なる真実があるということだ。そのすべてを現場で見て取ることは不可能。必要なのは、全体の印象をつかみ、選手の一連の動きの流れを正確に解釈すること。優れた審判はサッカーを“感じる”もの。審判が再び試合中のサッカー全体を見渡せる存在になるように、サッカー界は動かなければならない」

ハンド定義の改定には異議

 グレーフェ氏はハンドの判定にも問題を感じている。国際サッカー評議会(IFAB)によってハンドの定義が改められたが、これによってより多くの混乱が生じている。そもそも、審判にとってハンドの判断は最も難しいものだという。「1対1やプレー上のファウルなら準備はできるが、ハンドは前触れもなく起きることがある。個人的には、(新ルールの適応後)ハンドの判定が多過ぎると思っている」

 その上で、再びルール改正の希望を持っているようだ。「ハンドは明確でより少ない基準を適用した方が有意義だ。以前のように『選手のハンドをする意図の有無』を基準の中心とし、判定の責任はピッチ上の審判に委ねるべきだ」

 今シーズンからJリーグでも導入されるVAR。導入3年目を迎えるドイツでも、いまだに問題がすべて解決しているとは言えない状況だ。ドイツ国内の選手たちから最も高い評価を受けるグレーフェ氏の発言からは、微妙な判定に対するVAR介入のベストなタイミングも読み取れる。VARが「誰にでも見て取れる、明確なミスを防ぐもの」という定義を確認したブンデスリーガの後半戦と並行しながらJリーグと他国を見比べるのも、サッカーを楽しむ1つの要因となりそうだ。


Photo: Getty Images

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Profile

鈴木 達朗

宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。