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我われは見たことがないのかもしれない、“本当のロベルト・バッジョ”を

2022.12.14

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

「ファンタジスタ」という言葉を聞いて、真っ先にこの名手を思い浮かべる人は少なからずいることだろう。ロベルト・バッジョ。1994年W杯決勝でのPK失敗やビッグクラブを渡り歩いたキャリアから、悲劇の主人公というイメージがつきまとうかもしれない。だが、そうした不遇はもしかしたら、彼が真の力を発揮できなかったからなのではないか――少なくとも、そんな「if」を想像させる稀有な存在であったことは間違いない。

運命に抗う

 「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気のあった者だけだ」

 W杯でPK戦を見るたびによぎる有名な言葉だ。もちろん言葉の主はロベルト・バッジョ。1994年アメリカ大会決勝のPK戦でバーの上へシュートを打ち上げてしまい、ブラジル代表の優勝が決まっている。

 本人が言うまでもなく、バッジョは勇者だ。数々の悲運に見舞われたが、そのたびに立ち上がってギブアップしなかった。人間は運命には逆らえない、しかし運命に抗うことはできるし、それがいかに美しいかを体現したプレーヤーだと思う。

 ビチェンツァからフィオレンティーナに移籍して2日後に右膝十字靭帯断裂の重傷を負っている。完全復帰するまで3シーズンを要した。その後も古傷の痛みなど負傷は数知れず、ユベントス、ミラン、インテルと名門を渡り歩いたが、監督の戦術と合わずに冷遇された時期もあった。しかし、94年大会の後もW杯への意欲を失わず、1997-98にはボローニャに移籍して実力を示し、98年フランス大会に出場した。2000年にはインテルからブレシアに移籍、02年大会の出場を目指し、叶わなかったものの最後まで諦めていなかった。

2001年4月のナポリ戦でFKからゴールを決めるバッジョ。このシーズンはリーグ戦25試合出場で10ゴール、翌2001-02は同12試合で11得点をマークしたものの、日韓大会の代表メンバー入りはならなかった

 貴重なゴール、美しいゴールをゲットし続け、ファンタジスタと言えばバッジョという存在だったわけだが振り返ってみて、我われが見ていたのは本当のロベルト・バッジョだったのかという疑問がふと湧いてくるのだ。

ソロプレーヤー?

 世界にその存在を認識させたのは1990年W杯のグループステージ最終戦、チェコスロバキアとの試合だろう。1人で相手守備陣を切り裂いてゴールした。

 94年アメリカ大会でもノックアウトステージのナイジェリア戦で89分に起死回生の同点弾、延長に入ってPKからの逆転ゴールでチームを救うと、準々決勝スペイン戦で決勝ゴール、準決勝ブルガリア戦では2ゴール。この3試合で5得点をゲットし、イタリアの6ゴールはすべて「バッジョ」が決めている。スペイン戦の1点だけディノ・バッジョによるもので、残りはすべてロベルト・バッジョ。いずれも試合を決めるゴールだった。

94年アメリカ大会のスペイン戦でパスを繰り出すバッジョ

 打てば入るという神懸かり的な活躍である。シュートの正確性、ここというチャンスでの冷静さで格別なストライカーだ。この得点力からゴールゲッターと思われがちだった。実際、素晴らしいゴールゲッターなのは間違いないが、特徴からすればそれだけの選手ではないのだ。しかし、バッジョがプレーしたチームのほとんどの監督はゴールゲッターとしてバッジョを見ている。

 ミランからパルマへの移籍が成立しかけていたことがある。ところが、カルロ・アンチェロッティ監督の構想と合わずに移籍は実現しなかった。

 「君はストライカーとしてプレーしなさいと言ったら、ボローニャへ行ってしまった。ボローニャで22点も取ったよ。我われは22点を失ったことになるから、あれは最大のミステイクだったね」(アンチェロッティ)

 とはいえ、アンチェロッティが残念がっているのは移籍が実現していればあったかもしれない22ゴールなのだ。結局、それで物別れになったのに惜しんでいるのはバッジョの得点能力ということなのだろう。

インテル時代のトップ10ゴール集

 アヤックスの監督として日の出の勢いにあったルイ・ファン・ハールは、「ロベルト・バッジョとロマーリオは大嫌いだ」と話していた。94年W杯の両雄を「大嫌い」と言ってしまうのがこの人らしいが、もしかしたらバッジョの方はそんなに嫌いになる理由はなかったかもしれない。ファン・ハール監督が嫌っていたのは、バッジョとロマーリオを典型的なエゴイストで得点にしか興味のないソロプレーヤーと見ていたからだろう。ロマーリオは確かにそうだと思う。ついでに言うと、ロマーリオもファン・ハールは大嫌いだろう。ただ、バッジョは必ずしもそうではなかった。この2人は似ているかもしれないが微妙に違っていたと思う。

 バッジョがソロプレーヤーに見えるのは、そういう得点が多かったからだ。1人で複数の相手を手玉に取ってゴールする。何もないところからでも得点を生み出せる。そして、監督たちはその能力に頼ってきた。ただ、本当は連係する味方がいないので、1人でやるより仕方がなかったのではないか。バッジョは尊敬するプレーヤーとしてジーコの名を挙げていた。FKの指南を受けたこともあったそうだ。ジーコとロマーリオは違うタイプであり、バッジョが自らのモデルとしてジーコを見ていたのだとすれば、やはりロマーリオとは違っていたのだと思う。

ブラジルの10

 バッジョはロマーリオよりジーコとよく似ている。俊敏なフットワーク、完璧なボールタッチ、決定力の高さ、何よりプレーのアイディアがよく似ている。

 ジーコは典型的なブラジルの10番だった。ペレを筆頭にロベルト・リベリーノ、ソクラテス、リバウド、ロナウジーニョ、カカ、ネイマールと受け継がれていった特有のポジションとプレースタイルである。

 ブラジルの10番が特殊なのは、そのスタイルゆえだ。わかりやすい特徴として、複数のDFをごぼう抜きするドリブルがある。特にフェイントをかけるでもなく、するすると人の間を抜けていく。これ自体はブラジルの10番固有というわけではなく、ディエゴ・マラドーナやヨハン・クライフ、あるいはポール・ガスコインなども持っていた特徴だ。9番のロナウドやロマーリオにもこのドリブルはある。

 ブラジルの10番が違うのは、この推進力をドリブルだけに使わない点だろう。

 DFとDFの中間点に意識がある。だから間をすり抜けられる。そして、それをいつでもパスに変えられる。すり抜けられないようにDF間が閉じれば、その脇は必ず開く。右へ動いているDFに左側は守れない。10番はその守れない場所へドリブルするかパスを通す。ドリブルでDFのゲートを次々に突破していくのは、最初からそれを決めているわけではなく、いわば成り行きでそうなっているだけで、門が閉じていればいつでもパスに変えられる。だからこの手の選手がいれば攻撃力は格段に上がる。バッジョは疑いなくこの才能を持っていた。

 問題は彼が孤立していたことだろう。このタイプの最高峰と言えるリオネル・メッシを考えれば話は早いかもしれない。バルセロナでのメッシとアルゼンチン代表のメッシは、同じ選手には見えないことが多かった。チーム全体のスタイルと連係できる味方の人数の差だ。

 イタリアのサッカーにブラジル型の10番はいない。ジャンニ・リベラの時代はいた。クラブで見ればマラドーナとミッシェル・プラティニの1980年代まではまだあった。しかし、バッジョの90年代はいなくなった。人がいないのではなく、そのポジションと役割を消滅させてしまったからだ。

 天性の守備ブロックバスターの価値が認識されていなかったのだと思う。攻撃はカウンターアタックから1人で得点できるソロアタッカーが重用された。ロングボールを先に拾える走力、カウンターの途中で発生するコンタクトプレーでの強さ、強引にでもシュートできる個の技術を持ったFWたちが活躍している。

 バッジョはカウンターエースとしての能力も高かったが、それならばジョージ・ウェアやクリスチャン・ビエリ、ファブリツィオ・ラバネッリの方が適役なのだ。もし、バッジョがバルセロナやアーセナルに移籍していれば、また違った面を見せられたかもしれないが、イタリアにいたために見失われてしまった感は否めない。

 もしかしたら、我われは本当のロベルト・バッジョを見ていないかもしれないのだ。

94年アメリカ大会のブルガリア戦でゴールを挙げ歓喜の表情を見せるバッジョ。キャリア通算643試合291得点と偉大な成績を残しているが、その才能のすべてを遺憾なく発揮したうえでの記録ではないのかもしれない

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Photos: Getty Images

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イタリア代表サカつくRTWロベルト・バッジョ

Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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