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1982年のブラジルを芸術的なチームへと昇華させた「黄金の4人」。その中心にいたのはジーコだった

2022.11.28

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

勝者として歴史にその名を刻むことは叶わなかったものの、卓越した完成度や華のあるプレーでサッカー史に強烈なインパクトを残したチームたち。その1つとして名が挙がる、1982年のブラジル代表の代名詞「黄金のカルテット」の中心にいたのがジーコだ。Jリーグ黎明期の日本サッカーを大きく前進させたレジェンドの、全盛期の凄みを振り返ってみよう。

日本が知らない全盛期

 ジーコが当時の住友金属にやってきたのは1991年。その後の鹿島アントラーズでの活躍や日本代表監督としてすっかりお馴染みの人物だが、選手としての全盛期はフラメンゴとウディネーゼでプレーしていた時代だ。来日した時は一度引退した後で、当時はブラジル政府のスポーツ庁長官を務めていた。本人も当初、選手として来ることは予定していなかったそうだ。

 1993年のJリーグ開幕戦では名古屋グランパス戦でハットトリック、チームに勢いをつけてそのままファーストステージ優勝を果たした。ただ、Jリーグでの2年間は選手というより監督的な役割を果たしていた。それでも随所に素晴らしいプレーを披露していて、特に視野の広さやすべてを見透かしているような状況判断には舌を巻く思いがしたものだ。ただ、繰り返すが日本でのジーコはすでに引退していた選手である。

Jリーグ開幕をハットトリックで彩った名古屋戦のプレイバック動画

 鹿島でのジーコになかったのはスピードだ。全盛期のジーコは恐ろしく俊敏だった。相手DF陣をすり抜けるステップワーク、反転のスピードは目を見張るものがあり、山猫のような俊敏さと獰猛さがあった。当時の映像を見ると、敵陣へドリブルで突っ込む様子はリオネル・メッシのようだ。

 フラメンゴでデビューしてからの13年間で635試合に出場して476ゴールをゲット。81年のコパ・リベルタドーレスをもたらし、トヨタカップでは欧州を席巻していたリバプールを3-0で一蹴している。ウディネーゼでも最初のシーズンで19ゴールをゲットしてサポーターから絶大な信頼を勝ち取った。

 数々の伝説的なプレーを残した偉大なアタッカーだが、ジーコと言えば1982年スペインW杯でのブラジル代表での活躍だろう。

黄金の4

 テレ・サンターナ監督が率いた82年のブラジル代表はW杯史に残る印象的なチームだった。「印象的」にとどまるのは、この大会のベスト4に進むことができなかったからだ。2次リーグのイタリア戦に2-3と敗れて準決勝に残れなかった。ただ、魅力的なプレーぶりはセレソン史上でも最高クラスと評価されている。

 82年のブラジルと言えば「黄金の4人」で知られている。ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾのMF4人を指すのだが、この4人がそろったのはグループステージ2試合目のスコッランド戦からだ。緒戦のソ連戦ではトニーニョ・セレーゾが出場停止だったのでファルカンが出場、ファルカンのプレーぶりが素晴らしかったため[4-3-3]からトニーニョ・セレーゾを加えたMF4人編成の[4-4-2]に変更している。

 さらに、[4-4-2]自体もかなり特殊なバランスだった。トニーニョ・セレーゾとファルカンが後方中央のボランチ、前方がソクラテスとジーコなのだが、2トップの1人であるエデルは左サイド専門。しかも現在でいうウイングバックに近い稼働範囲だった。片方のウイングがMFを兼ねるワーキングウインガーなのはセレソンの伝統なのだが、その場合には反対サイドに本格的なウイングを置くのが通例である。ところが、82年は右が空きスペースになっていた。当初の構想[4-3-3]ではパウロ・イジドーロだったが、中盤が4人になったことで右ウイングがいなくなってしまったわけだ。この空スペースには右SBのレアンドロをはじめ、トニーニョ・セレーゾやファルカン、あるいはジーコやソクラテスが自由に入って行った。

 10番タイプが多いのは、セレソンではよくあることだ。全勝優勝した1970年大会はペレ、トスタン、リベリーノが10番タイプだった。ただ、トスタンのポジションはCF、リベリーノは左ウイングだ。ジーコとソクラテスのように10番を並列させたのは、それまでにはなかった構成かもしれない。

 ジーコはこのチームのエースだった。背番号も10で、主に右側のハーフスペースを担当していたが動きは自由。相手を背にしての反転の速さ、絶妙のタイミングで放たれるラストパス、抜群の決定力、FKの威力と「白いペレ」にふさわしい10番らしい10番としてのプレーを披露している。ただ、特筆すべきは周囲との連係だろう。それが82年のセレソンを特別なチームにしていた。

1982年W杯イタリア戦の先発メンバー。後列左からバウディール・ペレス、レアンドロ、オスカル、ファルカン、ルイジーニョ、ジュニオール。(スタッフを除き)前列左からソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、セルジーニョ、ジーコ、エデル

「どうプレーするか」わかっている名手たちの芸術的チーム

 今日のフットボールは1980年代から大きく進歩している。ポジショナルプレーなど専門用語も増えた。あらゆる領域で高度化しているのは間違いないが、フィニッシュへのアプローチは意外に進歩していない。カタールW杯でも大半のチームがやっているのはDFライン裏へ飛び出すか、サイドからクロスというシンプルな攻め込みである。いつの時代でも、また草サッカーからプロまで、レベルの差こそあれ得点へのルートは意外と同じなのだ。そこまでの過程は複雑化し高度化しているが、最後の30mは変わらない。サイドからのクロスの質やスピードの変化などはあるものの、結局は守備を外側から殴りつけるか、一発で裏を突くか。スピードやパワーが決定的なスタイルと言える。

 そんな中、82年のブラジルは相手の守備陣を崩し切る攻撃ができた。その点で、史上屈指のチームなのだ。

 それが可能だったのは、攻撃に共通認識があったから。テレ・サンターナと同年齢で、ある意味セレソンの監督としてライバルだったマリオ・ザガロはこう言っている。

 「どうプレーするか。それを私から言われる必要のない選手たちとともにあることができるかどうかが重要だ」

 82年のチームは、まさに「どうプレーするか」をわかっているメンバーがそろっていた。だからパスワークで守備を崩すことができたし、だから個でえぐれるウイングを必要としていなかった。

 組織的な守備を崩し切るには、DFを動かす必要がある。つまり、わざと相手を圧縮させる。2、3人のDFを近づけさせることで、その周辺に攻め込むスペースができる。その手順を完璧に理解していたのがジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ、そして左SBとして自由奔放な動きを見せたジュニオールだ。この5人が織りなすパスワークは後の黄金時代のスペイン代表と似ていて、敵を圧縮させて隙を作り、突破できなければいなしておいて同じことを繰り返した。

 主にジーコとソクラテスがDFを圧縮させ、その間に後方からファルカンやトニーニョ・セレーゾ、あるいはレアンドロ、ジュニオールが飛び出していく鮮やかな連係と崩しが随所に見られた。守備を崩すための根本原理を理解しているので、即興なのに再現性があるのだ。これはブラジルのお家芸で、他国にはなかなか真似のできない攻め方でもある。

 その中心にいたジーコはいかにもブラジルの10番らしく、ブラジルの素晴らしい部分を凝縮した傑物といえる。右足インサイドに引っかけるジャックナイフのようなフェイントモーションや、右足1本で左回りにターンするシングル・ルーレット、単純に足裏で抑える切り返しも、その俊敏性で効果抜群だった。そしてボールと敵を操りながら、後方から飛び出してくる味方の動きを完璧に把握している。今、相手DFのどこを閉じさせて、どこを開けているかを意識しているからこその視野の広さだ。実際、視野の外から上がってくる味方をほぼ見ていない。パスを出す瞬間には「そこ」に来ているのがあらかじめわかっているパスの出し方だった。

 戦績としてはベスト8相当で、ブラジルの成績とすれば失敗なのだが、その美しいプレーは人々の記憶に刻まれている。1954年のハンガリー、1974年のオランダとともに、敗者なのに優勝国よりもはるかに評価の高くなった芸術的価値のあるチームであった。

1-3で勝利した1982年W杯アルゼンチン戦で、華麗なボールタッチで相手を翻弄するジーコ。W杯のタイトルにこそ恵まれなかったが、歴代でも屈指の名手としてその伝説は生き続ける

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ジーコ以外にもセレソンの主力としてW杯制覇を経験しているペレ、リバウドのレジェンド2選手に加え、現役にしてすでに伝説となっているリオネル・メッシを筆頭にネイマール、ニコラス・タグリアフィコ、フアン・クアドラード、ダビンソン・サンチェス、ロドリゴ・ベンタンクールといった南米のスター選手たちがラインナップされた“世界大会開催記念 LEGEND SCOUT”が開催中だ。

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<商品情報>

商品名 :プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド
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メーカー:セガ

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Photos: Getty Images

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サカつくRTWジーコブラジル代表

Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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