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浦田樹所属のNKバラジディンがクロアチア1部で躍進中!“フェニックスクラブ”の復活劇は続く

2022.10.31

10月28日、クロアチア1部リーグ第15節で実現した日本人所属クラブ対決。敵地に乗り込んだ5位のNKバラジディンは所属する浦田樹こそ負傷明けでベンチ外となったものの、試合終了間際に逆転弾を沈める1-2の劇的展開で新井晴樹が先発したHNKシベニクを下し、4位との勝ち点1差を維持している。昇格組ながらも上位に食い込み続ける“フェニックスクラブ”の複雑な歴史と華麗な復活を、現地取材した長束恭行氏にたどってもらった。

名称変更に完全消滅…創立10周年以上に複雑なクラブ史

 クロアチアの首都ザグレブからバスで80kmほど北上すれば、「バロックの街」の愛称で親しまれる小都市に到着する。その名はバラジディン。90年代の独立戦争で戦火に見舞われなかったこともあり、旧市街には保存状態の優れた古城や教会などが点在している。同国最大のストリートフェスティバル「シュパルツィルフェスト」、50年以上の歴史を誇るクラシック音楽祭「バロックの夕べ」も開催されるなど文化的にも豊かな街だ。

 今、この街のサッカークラブがクロアチアリーグを盛り上げるのに一役買っている。そのクラブとは「NKバラジディン」(NKとはクロアチア語でサッカークラブを意味する“nogometni klub”の略称)。世界中のいかなるクラブも独自の歴史を抱えているが、今年に創立10周年を迎えたNKバラジディンも実に深いストーリーが存在する。街を歩くとやたらと見かけるのが、「NKバルクテス」のサポーターたちが描いたグラフィティだ。

かつてのNKバルテクスのエンブレムを描いたグラフィティ(Photo: Yasuyuki Nagatsuka)
レンガをクラブカラーの青とオレンジで染め、右には「俺たちはバルテクスをやらない」と書かれている(Photo: Yasuyuki Nagatsuka)

 1931年に「NKスラビヤ」の名で創立されたクラブは、1958年からメインスポンサーの繊維・アパレルメーカー「バルテクス」にちなんで「NKバルテクス」と改称。その名は市民に長年親しまれてきた。クロアチア独立による1991年の新リーグ発足以降は、しばしば優勝争いに絡む中堅クラブの地位を確立した。指導者として当時のNKバルクテスの礎を築いたのが地元出身のブランコ・イバンコビッチ(現オマーン代表監督)で、NKバルテクスで現役生活を終えて指導者に転じたのが現クロアチア代表監督のズラトコ・ダリッチだ。

 イバンコビッチは地元貢献の一貫として、私財を投じてバラジディンにスポーツセンターを建設・運営している。ヘルツェゴビナ出身のダリッチはバラジディンに今でも常住し、市民から愛される存在だ。市内ならびに周辺地域の子どもたちを鍛え上げるNKバルテクスのアカデミーは誉れ高く、トップチームは国内タイトルこそ恵まれなかったものの、クロアチアカップで5度の準優勝。98-99シーズンのカップウィナーズカップではベスト8進出、01-02シーズンのUEFAカップ1回戦ではアストンビラ相手に大金星を挙げた。

05-06シーズンのバルテクスを率いたズラトコ・ダリッチ監督(左)。彼のスーツはバルテクス社製のもの。アシスタントのマリヤン・ムルミッチ(右)は現在、クロアチア代表のGKコーチを務めている(Photo: Yasuyuki Nagatsuka)

 しかしながら、メインスポンサーのバルテクス社が経営不振に陥ると、クラブは2010年7月にスポンサー名を外して「NKバラジディン」と改称。「バルテクス」の名を失うことに反発したのがサポーターグループの「ホワイトストーンズ」だった。2011年5月、ホワイトストーンズ主導で「NKバルテクス」を新設し、伝統のクラブ名とエンブレムのデザインを引き継いだ。サポーターを失ったNKバラジディンはその後も負債が膨れ上がり、2012年3月にサッカー協会からの処分を受けて活動ストップ。13-14シーズンに3部復帰を果たすも、2015年の破産宣告で完全消滅に追い込まれた。現在のNKバラジディンはこれとはまったく別組織で、2012年に「NKバラジディン・ノゴメトナ・シュコーラ(“サッカースクール”の意)」として新設されたもの。本家の「NKバラジディン」が消滅したことで2015年に名前を受け継いだ、いわゆる“フェニックスクラブ”である。

観客数が50→3600強!地元密着で新旧ファンから支持を獲得

 3部リーグ時代からそのNKバラジディンでディレクターを務めているのが、現在29歳のトニ・ダリッチ。DJとして働きながらデジタルマーケティングの修士号を取得し、マイクロソフトやエイサーで勤務経験を持つ彼は、代表監督ダリッチの次男坊でもある。50人ほどの観客しか集まらない新生クラブを盛り上げるため、ニコラ・シャファリッチ(現スポーツディレクター)、ミリエンコ・ムムレク(現U-19監督)、レオン・ベンコ、ダリオ・イェルテツ、ディノ・クレシンゲルといったNKバルテクスの有名OBを選手やコーチとして呼び寄せ、地元密着を図った。新「NKバルテクス」が現在4部リーグで戦う一方、新「NKバラジディン」は地道に昇格を重ねて19-20シーズンに1部へ“復帰”。一度は降格を味わうも、21-22シーズンに2部優勝を果たして再び1部に戻ってきた。

2015年からバラジディンのディレクターを務めるトニ・ダリッチ(右)。小学生の頃に「サッカーの才能がない」と判断した父親ズラトコ(左)によってバルテクスユースを退団させられた過去がある

 ホワイトストーンズが自分たちのNKバルテクスを応援する以上、NKバラジディンには組織立ったサポーターグループが皆無だが、いまだ旧名を残す本拠地「スタディオン・バルテクス」に集まった今シーズンの平均観客数は3661人。「4強」と呼ばれるハイデュク・スプリト(平均観客数1万7048人)、ディナモ・ザグレブ(5797人)、オシエク(4254人)、リエカ(4090人)に次ぐ多さだ。バラジディンが人口5万人にも満たない小都市であることを考慮すれば、それなりの支持は得られている。

 そんなクラブの複雑な歴史と地元のメンタリティに関して、バラジディンで生まれ育った私の友人イバは単純明快に説明してくれた。

 「これはクロアチア全土で言えることだけど、バラジディンの市民も『ローカルパトリオット』なのよね。つまり、郷土のモノが大好きで、郷土のモノを守りたがる性格。バルテクスという名前が消滅する際、市民の間で強い抵抗があったことは覚えている。それを『郷土に対する攻撃』と感じてしまい、改称を受け入れるのには困難を極めたわけ。まあ、人間なんて時が経てばすべてを受け入れてしまうんだけど(笑)。とはいえ、今のNKバラジディン(以降、バラジディン)の経営には新たな人々が参画しているし、新世代や昔からのサッカーファンが応援している。クロアチア人にとってのサッカーは永遠というべき愛の対象だからね」

バラジディンで3年目を迎えた浦田樹。本拠スタディオン・バルテクスにて(Photo: Yasuyuki Nagatsuka)

バラジディンと相思相愛の浦田。1部復帰の象徴に

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NKバラジディン文化浦田樹

Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。