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日本代表を苦しめたオマーンの名将――アジアを知り尽くす「教授」イバンコビッチの正体

2021.09.06

9月2日のW杯アジア最終予選で日本に勝利したオマーンを率いるのは、クロアチアの名将ブランコ・イバンコビッチだ。中国、サウジアラビア、イランで実績を残してきたアジアのスペシャリストで、大学院の修士課程を修了した頭脳派監督でもある。11月16日にもう一度日本の前に立ちふさがる策士のバックボーンを、長束恭行氏に紹介してもらおう。

 「プロフェソール」(profesor)――ブランコ・イバンコビッチは「教授」のニックネームで親しまれるクロアチア人指導者だ。教師然としたスタイルからそう呼ばれていたはずが、現役監督として世界を渡り歩きながら研究に対して貪欲で、57歳でザグレブ体育大学大学院の修士課程を修了。イランの強豪ペルセポリスを9年ぶりのリーグ優勝に導いた2017年、彼はインタビューでこう語っている。

 「少し自慢をしたいのだが、私は今日の世界で最も教育を受けた監督だ。大学院では修士論文(テーマは『U-19代表プレーヤーにおける特殊機能および運動能力の基準値』)を書き上げ、修士号を取得した。さらに毎日こうしてジャージに身を包んでプロの選手を指導している。こんな現役監督は間違いなく世界に存在しないはずだ」

2011年、ザグレブ体育大学大学院修了式に出席したイバンコビッチ。修論執筆の時間を取るためオファーを断っていた時期もある

中国、サウジ、イランでの圧倒的実績

 監督としての哲学は「ハードワークこそ成功の秘密」。選手たちにはかなりの練習量を強いるが、指導中に声を荒げることは滅多にしない。

 もう一つの哲学は「プレー、プレー、そしてプレーあるのみ」。

 トレーニングメソッドはすべてボールを基本とし、「結果を求めるのもプレーを通して。結果に到達するのもプレーを通して」と語る。そんな彼が恩師に挙げるのが、1998年のフランスW杯でバトレニ(クロアチア代表)を初出場3位へと導いたミロスラフ・”チーロ”・ブラジェビッチだ。性格がまったく異なるエキセントリックな人物だが、イバンコビッチは彼から人心掌握術とチームの雰囲気作りを学び、のちのキャリアでも彼が羅針盤になった。

 「私はチーロの金言をいくつも心の中に留めている。『敵から”半”友人を作り、”半”友人から友人を作るんだ。誰のせいにしてもいけない』と彼は教えてくれた。クラブ会長にはいつも『選手に対して君は優しすぎる』と批判されたけど、私はもとからそういう人間だ。選手が抱えるすべての悩みを理解する代わり、指導した全選手が私を愛してくれ、尊敬してくれていたと思う」

左から2番目が恩師ブラジェビッチ。母国で影響力のある彼は「すべての監督における監督」と呼ばれ、代表チームではクロアチア、イラン、ボスニア、中国U-23を指揮した

 フランスW杯でブラジェビッチ監督の参謀役を務めると、イラン代表では再び彼の参謀役を務めたのちに監督へと昇格。クロアチア人としては初めて母国以外の国をW杯出場(ドイツ大会)に導いた。ディナモ・ザグレブの監督になってからはルカ・モドリッチやエドゥアルド・ダ・シルバ、マリオ・マンジュキッチらを指導。国内2冠だけでなくクロアチアリーグ記録の28連勝を打ち立てている。2010年にブラジェビッチが上海申花の監督になるのと同時にライバルの山東魯能の監督に就任し、1年目で中国超級リーグを制覇。サウジアラビアでは中堅アル・イテファクを率いて同国最優秀監督に選ばれ、2015年からはペルセポリスの監督としてイランリーグ3連覇とACL準優勝を果たした。

 イランに対する経済制裁の影響で外国口座への給与振込が滞り、連覇直後に契約解消せざるを得なかったが、テヘラン名誉市民の彼は今でも圧倒的な人気を誇っている。母国クロアチアでは600万ユーロもの私財を投じ、故郷バラジディンにリハビリ施設付きのスポーツセンターを建設するなど地元の名士としても有名だ。

テヘランのアザディ・スタジアムに10万人の観客が集まった鹿島アントラーズとのACL決勝第2戦での光景。イバンコビッチの手拍子に合わせ、ペルセポリスのサポーターが「ブランコ!」と叫んでいた

オマーンサッカーに見出した可能性

 これほど実績ある名将にもかかわらず、W杯最終予選の第1戦「日本対オマーン」を前に敵将イバンコビッチを警戒する声があまりに小さかったことは意外だった。現役時代の知名度だけで雇われ監督になるような人物とは明らかに一線を画す、まさにアジアサッカー界のエキスパート。それこそ日本代表とはフランスW杯やドイツW杯予選で戦っているし、ACLでもサンフレッチェ広島や鹿島アントラーズ(2018年ACL決勝)と対戦した縁もある。フリーだった2年前にはJリーグのクラブからもオファーが届いていると報じられていた。

 引く手数多の中、彼が選んだのはオマーン代表監督のポストだ。2019年9月にサウジアラビアのアル・アハリ監督を5試合で解任されたのち、しばらくはコーチ稼業を休むつもりでいたが、オマーンには過去に数回訪れた経験があり、観光業を中心にして急速に開放・進展している同国にかねてより関心を抱いていた。オマーンサッカー協会が提示した代表チームの強化計画も具体的だったが、年俸は約7000万円。実績に不釣り合いなプライスとはいえ、15年ぶりの代表チーム指揮に新たな野望を燃やした。

 「アジアの権威である日本や韓国、イランやサウジアラビアやUAE、そしてカタールやオーストラリアのような、はるかに強力なサッカー大国がこの地域に存在する一方、オマーン代表は小さな伝統を持ったいちチームに過ぎない。しかし、2017年にはガルフカップを制しているし、2019年のアジアカップでは誰が相手だろうと張り合えることを目にしてきた。ただ、国内リーグは貧弱だし、高価な外国人選手に金を投じることもない。プロリーグが立ち上がってまだ5、6年しか経ってないので、その勢いたるや微々たるもの。それでも国内リーグの目的はオマーン人の選手を一人前にすることなんだ。どのクラブも3人から4人は優秀な選手がいるので、うまく組み合わせれば代表チームが強くなる可能性は十分ある。オマーンサッカー協会の人々はイラン代表をW杯に導いた私の経験を買ってくれた。しかし、このミッションがとりわけ難しいことも彼らは認識している。今はしっかりとしたチームを作り上げ、競争力を高めることが目標だ。ちゃんとした準備をすれば、目覚ましい成果が得られると思う。私たちにだってW杯出場を望む権利、そして夢見る権利がある。ピッチ上で一生懸命に戦う誰もがサッカーの夢を抱き、サッカーのご褒美が得られるんだよ」

オマーン代表監督就任直後のインタビュー動画。「イラン代表監督の頃に私もインタビューしたことがあるが、極めて友好的な語り口調が印象的な紳士だった」(長束氏)

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オマーン代表ブランコ・イバンコビッチ

Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。