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サンフレッチェ広島と城福浩の4年間(後編)。「違う景色が見たい」2021年の混迷の理由

2021.11.10

2018年から4シーズンにわたりサンフレッチェ広島の指揮を執ってきた城福浩監督が、10月25日をもって退任した。彼はチームに何をもたらし、そして何が足りなかったのか――広島を追い続ける中野和也氏に4年間の総括をお願いした。

後編は2018年の現実主義路線から一歩踏み出し、「違う景色が見たい」と理想に歩み出した2021年シーズンの紆余曲折を振り返る。果たして、城福浩が目指したものとは何だったのだろうか?

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 2021年、城福浩監督は勝負に出た。

 「この選手たちと違う景色が見たい」

 独特の表現でタイトル奪取を表明し、そのためには攻撃力の増幅が必須と判断。フォーメーションを[4-4-2]へと移行したのだ。

[4-4-2]移行で、1試合平均2ゴール台を目指す

 狙いはいくつかある。4バックにすることでCBの数を1枚減らし、前に人数を割くことで攻撃の迫力を出すこと。前線からのプレッシャーを行きやすくして、ショートカウンター発動の回数を増やすこと。左SBの東俊希や右SBの野上結貴には「偽SB」の役割を与え、ビルドアップの軸になるとともに、2人ともペナルティエリア内まで侵入しゴールを狙っていくことを求めた。2019年から続けていた「サイドでフットボールする」攻撃を主軸に起きつつ、ペナルティエリアの中に入ってくる人数を増やし、ゴールをもぎ取ることを求めたのだ。目標は、平均得点2点台。優勝を狙うためには、そのレベルは絶対条件と言えた。

 だが、その狙いは頓挫する。

 開幕から第8節の横浜FC戦まで負けなし。8試合14得点と目標に近い数字も叩き出した。だが、第7節から始まった悪夢のような17連戦が、大きく影を落とす。

 「選手たちの特長を考えたら、どうしてもこの形にはチャレンジしたいと思っていました」(城福監督)

 第7節・ガンバ大阪戦の前、つまり大連戦が始まる直前に指揮官は、[4-1-2-3]への変更を断行した。そしてこのウイング+アンカーシステムは0-0という結果ではあったが、内容的には一定の成果を挙げた。次の横浜FC戦ではエゼキエウと浅野雄也の両ウイングが抜群に機能し前半だけで3得点を奪う快勝。このまま続けていけば、広島はやれる。そういう手応えは、確かにあった。

2021シーズンのJ1第8節、横浜FC戦のハイライト動画

 だがメンバーを入れ替えて臨んだ湘南戦で新フォーメーションが機能せず、広島は0-1で敗れる。もちろん、こういう失敗はあるもの。だが、続けていけばきっと、良くなると信じていた。この今季初黒星がまさか、暗転の引き金になるとは思ってもいなかった。

露呈したドウグラス・ヴィエイラの代役不在

 そのきっかけは、ドウグラス・ヴィエイラの負傷である。

 湘南戦後のトレーニングで肉離れを起こした9番は、ここまで得点こそ1点に止まっていたが、前線からのプレッシャーとテクニカルなキープで攻守において効果的な存在となっていた。だが、彼の不在によってセンターフォワードに入るジュニオール・サントスは、ポストプレーヤーでもなく、また守備のスイッチを入れられる選手でもない。本来は最前線に入るべきタイプではなく、ドリブルとスルーパスを得意とするチャンスメイカーだ。

 城福監督はその事実がわかっていたから、彼の力を存分に発揮させるためにも[4-1-2-3]の採用を決めた。しかし、ドウグラス・ヴィエイラがプレーできなくなってしまった以上、センターフォワードは彼しかいない。守備で大きな貢献ができる永井龍もケガ、鮎川峻はまだ経験が足りず、彼もまたポストプレーは得意ではない。

 城福監督はドウグラス・ヴィエイラの負傷離脱とともに[4-1-2-3]を選択しなくなり、[4-4-2]に戻した。前線で確実にボールを収めてくれるセンターフォワードの不在は、機能しかけた新システムを水泡と化した。

 当初は軽傷とされたドウグラス・ヴィエイラは、4月30日に再び負傷。復帰しては離脱を繰り返し、本調子で先発に復帰するのが8月28日の対大分戦まで待たねばならなかった。そしてその間、チーム状況は大きく様変わりしてしまった。……

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サンフレッチェ広島城福浩戦術

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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