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サンフレッチェ広島と城福浩の4年間(前編)。過小評価された2位躍進、そして監督としての誠実さ

2021.11.06

2018年から4シーズンにわたりサンフレッチェ広島の指揮を執ってきた城福浩監督が、10月25日をもって退任した。彼はチームに何をもたらし、そして何が足りなかったのか――広島を追い続ける中野和也氏に4年間の総括をお願いした。

前編は、シーズン終盤まで首位を独走した2018年シーズンから2020年シーズンまでの3年間。果たして、1年目での2位躍進の後にチームに何が起こったのだろうか?

 「おそらく、もっとも祝福されない2位だと思います」

 ある時期、城福浩監督が口癖のように言っていた言葉である。

 2018年、就任1年目に成し遂げたJ1リーグ2位。前年度、わずか勝ち点1差でJ2降格を免れた広島の凄まじいリカバリーは本来、絶賛に包まれていいはずだった。だが11月24日、ホーム最終戦後のセレモニーで城福監督に浴びせられたのは、激しいブーイングと野次。2位になり、ACL出場権を獲得した監督に対する反応とは、とても思えないものだった。

2018シーズンのホーム最終戦となったJ1第33節、名古屋グランパス戦のハイライト動画

勝ち点33(15位)→57(2位)で大批判の理由

 前年度の勝ち点は33ポイント。2018年の柏は、39ポイントで自動降格の憂き目にあった。2019年の湘南は36ポイントでJ1・J2入れ替え戦に回っている。33ポイントは本来、降格しても不思議ではない成績で、幸運が作用してこその残留だった。

 それほどの危機に瀕した翌年の2018年、戦力的にはほとんど変わっていないにもかかわらず、広島は開幕から快進撃を見せた。第9節まで8勝1分。第10節、FC東京に初黒星を喫したものの、そこから4連勝。第25節終了時点で勝ち点55を稼ぎ、2位・川崎フロンターレとは9ポイント差。残り9試合という試合数から考えても、優勝は確実だと思われた。

 しかし、そこから信じがたい失速。9月1日、アウェイの鳥栖戦で0-1と敗れた時、指揮官はサポーターの前に立って「大丈夫だから」と絶叫する。しかし、そこから広島は最後まで勝利を握ることはなかった。2分7敗。チームは坂道を転がるように転落し、最終戦で札幌と引き分けて、2位を確保するのがやっとだった。

 前述したホーム最終戦は偉大なるレジェンド・森﨑和幸の引退試合。絶対に勝利しないといけない大切な試合の相手は16位とJ1残留に向けてもがいていた名古屋だった。だが、柏好文のゴールで先制しながら1-2と逆転負けを喫してしまう。

 選手からもサポーターからも尊敬を集めていた森﨑の引退セレモニーは、厳かに行いたい。だが、ホーム最終戦に伴う挨拶を行う城福監督に対しては黙っていられない。そんな複雑な空気がスタジアムを包んでいた。

 騒然とした雰囲気の中、城福監督は毅然と、用意されたマイクの前に立つ。

 「みなさんの期待に応えられなかった。そのお詫びしなければなりません。選手たちはよくやってくれました。日々、激しい競争の中で、試合がどんな結果であっても、ひるまず、ゆるまず、ひたむきにやってきました。彼らの向上心には、頭が下がる思いです。

 広島の豪雨災害で大変な思いをされている多くの方々がいた中でも、声援を送ってくれた。こういう厳しい中でも温かいお声をかけていただいたし、背中を押していただけた。そういうサポーターの声もありながら、最後の最後、いい結果を届けることができませんでした。みなさんと本当に喜び合える瞬間をつくることができませんでした。本当に申し訳ありませんでした。

 J1で戦う上でチャレンジャーとして挑み続けた春、独走と言われ追われる立場で過ごした夏、そして苦しい中で戦いづけた秋。この経験は必ず、チームにとっても選手にとっても、成長の大きな糧となります。この戦いの中で自信を持っていいもの、失ってはいけないもの、頂点に立つには足りないもの。多くのことを学びました。これを次の試合、次のシーズンに向けて繋げていくことが大切だと思います。

 (森﨑)カズとやれるのも、あと1週間。いい準備を整え、最終節を迎えたい。みなさんの力をあと1試合、ください。ファン・サポーター、スポンサー、ボランティア、クラブに関わるたくさんの方々に支えていただきました。ありがとうございました」

 魂を振り絞って叫ぶように語った男の言葉に、いつしかスタジアムは静かになった。ブーイングは消え、拍手が続いた。「2位になった」という事実を一切言い訳にせず、優勝できなかったことに対して真摯に謝罪した城福浩の誠実さが、森﨑和幸の引退セレモニーの素晴らしい雰囲気をつくってくれたのだ。

名古屋戦後に開催された森﨑選手の現役引退セレモニーの様子

 指揮官の言葉と気迫に、サポーターの怒りは鎮まった。だが、いくら2位に入ったからといって、2カ月もの間負け続けた事実は、重い。人間とは不思議なもの。前年はずっと負け続けていたのに最後に連勝して逆転残留を決めたことで、なんとなく気持ちが穏やかになる。2018年は勝ち続けてきたのに、最後の2カ月で輝かしい日々が一気に消え去った。

 この2018年に起きた出来事が、城福浩監督の4年間を象徴している。連続して負けない時期は、常に存在した。だが一方で、連続して負け続ける時期も生まれた。堅守を実践できているのに、シーズンを通して不安定な闘いぶり。そこを修正することが、遂にできなかった。

 「靴1足分の寄せ」という言葉で守備の原則をチームに浸透させ、ミハイロ・ペトロヴィッチや森保一の時代とは違う、強度の高いチームをつくりあげた。4年間の平均失点は0.99。これは森保一監督のもとで優勝3回を果たした黄金時代(2012〜2015)とほぼ同じ(0.97)レベルだ。2017年の広島が1.44失点/試合だったことを考えれば、劇的な改善といっていい。なのに、城福監督のチームには連敗癖があった。それが、彼と彼のチームに栄光をもたらせなかった最大の要因だ。

 この部分は、後に語りたい。まず、彼の就任前の状況を語らないと、城福浩監督の4年間を考察することはできないと考える。

皮肉にも成功し過ぎた「チーム再建策」

 広島は2017年に一度、壊れてしまっていた。

 黄金時代を支えた選手のうち、2017年に20試合以上の先発を果たしたのは、柴﨑晃誠・青山敏弘・水本裕貴・千葉和彦の4人だけ。塩谷司はシーバス途中でアル・アイン(UAE)に移籍し、リーグ屈指のサイドアタッカーであるミキッチと柏好文はケガで離脱が続いた。大エース・佐藤寿人も、ファンタジスタ・髙萩洋次郎も、次代を担う浅野拓磨も移籍し、長年チームの顔だった森﨑浩司は前年に引退。「ピッチ上の監督」と言われた森﨑和幸は慢性疲労症候群の症状が酷くなってシーズンをほぼ棒に振った。残った黄金時代の戦士たちもパフォーマンスが上がらず、期待して獲得した外国人選手や移籍してきた選手も機能しない。

 何より、黄金時代を迎えたがゆえに新旧交代もスムーズにいかなくなっていた。将来を嘱望された川辺駿や野津田岳人、宮原和也らはいずれも出場機会を求めて期限付き移籍中。森島司はケガがちで、他の若手も伸び悩んだ。

 戦力の枯渇はチーム戦術にも影響した。パスは繋がりシュート数も少なくないが、決定的な崩しが見えなくなった。システムも相手に研究され尽くし、ドウグラスやピーター・ウタカのような怪物FWもいない。2016年の1.61得点/試合から一気に0.94点/試合にまで落ちた得点力は、そのままチームの低迷を招いた。

 第17節、浦和に逆転負けを喫して2勝4分11敗という惨状を受け、森保一監督は退任。その後を受けたヤン・ヨンソン監督はリスクを冒さないサッカーで立て直しを計り、16試合6勝4分6敗という戦績でなんとか残留を勝ち得た。だが、試合内容が劇的に変化したわけでもない。2016年夏に小野剛監督を引き継いだミハイロ・ペトロヴィッチ監督時代のような、未来への夢を見られる状況ではなかった。

 そういうチームの再建を担ったのが、城福浩である。2018年は、[4-4-2]のソリッドなフォーメーションを組み、パトリックという破壊力満点のFWの力を最大限に活かす戦い方を選んだ。前年の状況から、まずは勝ち点優先。残留を決定的にしてから、本格的にチームを再建しようともくろんでいた。

 当時、彼はこんなことを言っている。……

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サンフレッチェ広島城福浩戦術文化

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。