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南米サッカーに根づく概念「パンチ・フットボール」とは?

2019.01.16

TACTICAL FRONTIER


サッカー戦術の最前線は近年急激なスピードで進化している。インターネットの発達で国境を越えた情報にアクセスできるようになり、指導者のキャリア形成や目指すサッカースタイルに明らかな変化が生まれた。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つのは、どんな未来なのか? すでに世界各国で起こり始めている“戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代サッカーの新しい楽しみ方を提案したい。

 フットボールの世界において、名手と呼ばれる繊細な芸術家は「正確無比」なパスによって称賛される。一方、効果的なパスを成功させるために重要となるもう1つの要素はパスの「速度」だ。受け手の足下に的確なスピードでパスを届けることができれば、受けた選手は次のプレーに移行しやすい。今回は他の文化とは異なるパス速度の解釈によって、多くの名選手を生み出している南米から「パンチ・フットボール」という概念を学んでみたい。

足下に速いボールをぶつける、パススピードに着目

 パンチ・フットボールを発案したのは、マドリッドに在住するイングランド人指導者リー・フレッチャー。様々な国のフットボール文化を学ぶことを重要視している彼は、ある時スペインで7人制のアマチュアサッカーに参加。一緒にプレーしたアルゼンチン人の選手に、「強いパスを出してほしい」と指摘される。フレッチャーは、自分のパスが完璧なタイミングと速度だったと感じており、「非常に困惑した」と語る。試合後、そのアルゼンチン人選手に「なぜ、パスのスピードを重要視するのか?」と彼が尋ねたところ、「パスのコースが正確であれば、それをコントロールするのは受け手の責任となる。自分のプレーのスピードを保ちながら、相手DFを抜くにはボールのスピードが最も重要だ」という答えが返ってきた。フレッチャーは彼の考えに感銘を受け、南米のフットボールを観戦するようになる。南米のフットボールは非常にパスのスピードを重視しており、積極的に縦パスを狙っていく傾向にある。フレッチャーは便宜的にパスの速度を重要視する南米的な概念を「パンチ・フットボール」と名づけた。

 実際、イングランドでは「パスは味方に届ける」という考え方が一般的だ。当然、注意深くスピード、タイミングを指導していく。しかし、南米的な「パサーと受け手の責任区分」は示唆に富んでいる。特にスペースではなく、選手の足下に届けるパスは「スピード」を重視するべきではないだろうか。

 イングランドでは、パスをミスした時に「出し手」の責任として扱われやすい。指導者も「パスが悪かった」という結論を出すことが多く、練習を最初からやり直す。このような傾向は、日本でも同様だろう。正確なパスを重要視する価値観は、卓越した「ボールコントロール能力」を武器にするアタッカーを生み出す障害になっているのかもしれない。リオネル・メッシ、アンヘル・ディ・マリア、セルヒオ・アグエロを筆頭とした南米出身のアタッカーは、鋭いパスを「スピードを殺さずに」コントロールする。アレクシス・サンチェスもドリブラーとして知られているが、パスを受けながら次のプレーに移行する能力が高い。速いパスは、同時に「ボールに触れない」ことで抜け出す選択肢も与えることになる。アグエロは一瞬のスピードを武器に得点を量産しており、味方からのパスの勢いを生かしてボールに触れずに抜け出すようなパターンを得意としている。

 南米の育成は、フットサルを重要視していることでも知られる。狭いピッチでのゲームは、当然ながら速いパスをコントロールする経験を積むことに寄与している。また、ストリートフットボールの文化が重要視されていることも見逃せないポイントだろう。整備されている芝のグラウンドではなく、予想外のイレギュラーバウンドが避けられない環境でプレーすることで、選手たちは自然にボールを扱う能力を向上させていく。

ポジショナルプレーの3つの優位性を生む

 南米の「パンチ・フットボール」という概念が生み出しているのは、受け手の技術向上だけではない。現代フットボールの戦術上も大きな意味を持つ。

 ペップ・グアルディオラが信奉するポジショナルプレーという概念は、「質的」「数的」「位置的」という3つの優位性を作ることを目的としている。ヨハン・クライフは「テクニックとは、ワンタッチでボールを繋ぎ、正しいスピードを持って仲間の正しい足に置くことなのだ」と語っているが、シンプルなプレーを徹底する正確な技術がポジショナルプレーの基礎となる。

 前述したメッシやアグエロのようなアタッカーは、ドリブルやスピードの質的優位を生かすことに特化している。足下への鋭いパスは、彼らに様々な優位性を与える。1つは、「思考時間」の増加だ。相手に寄せられる前にボールが足下に届けば、先手を取った仕掛けが可能になる。当然、インターセプトの可能性も減少する。ドリブルを仕掛ける前に寄せられてしまっては、彼らの力を発揮することは難しい。さらに、パスの勢いを利用したポストプレーや突破という選択肢が生まれる。ボールに勢いがあれば、予備動作の少ない状態でボールを逸らすだけでも十分にパスや仕掛けのタッチとなる。17-18シーズンのプレミアリーグ第27節レスター戦(○5-1)でアグエロが決めた3点目のゴールは、ボールの速度を生かして次のプレーに移行するワンタッチのお手本だ。

 左右に相手を動かしてギャップを作る際にも、速いパスを使えば「一瞬の隙を狙うこと」が可能となる。マンチェスター・シティのケビン・デ・ブルイネや、マンチェスター・ユナイテッドのポール・ポグバは「パンチ・フットボール」の思考を体現したパスを得意としており、両翼のアタッカーの能力を最大化する。アントニー・マルシャルはその恩恵を受けるアタッカーで、ポグバの強烈なパスによって生まれたコンマ数秒を、ゴールへと昇華させる。

鋭い高速パスで“時間を生み出す”ポール・ポグバ

 さらに、「数的優位」を生かす密集の局面でもパススピードは重要だ。2015年にポルト大学のダニエル・パレイラ氏を中心とした研究グループが発表した研究によれば、狭いエリアにおける「激しいプレッシャー」への対抗策として「パス本数の増加」を指摘している。1966年は11.3本だった1分あたりの平均パス本数は、2010年には15.3本に増加。狭いスペースでのリズミカルなパス回しはバルセロナの根幹を支える武器だが、彼らの相手を翻弄するパスワークもパスのスピードによって成り立っている。ジューレン・ロペテギは、パスワークの中心に君臨したシャビを「完璧なパススピードとプレーの精度によって、味方のプレーを良化させる」と絶賛している。1本のパススピードだけでなく、何本かのパスを連続的に繋ぐスピードを向上させないと、網の目のような守備を突破することは難しい。

 「位置的優位」を活用するにも、パススピードは大切だ。例えばビルドアップの局面、右CBが縦と逆サイドへのパスコースを保つ「好位置」へと移動。強いパスが通れば、右足でボールをコントロールしやすいが、弱いパスになるとボールを「迎えに行く」必要が生じる。左足でボールを受けることになると視野も狭く、縦パスのコースも狙いづらい。左足側にボールが流れたとしても、強いパスであれば、逆足側にトラップすることでリカバリー可能な場合もある。一方、パス自体が弱いと、受け手側の工夫での打開は難しい。

 「パンチ・フットボール」という造語は単純明解なフットボールの真理を説明しながら、南米的な価値観を読み解く鍵になるだろう。最先端の理論と潤沢な投資を基盤に、欧州が育成面での支配を目指す現代においても、南米からは常に魅力的な選手が現れる。彼らのような選手を輩出する背景には、このような価値観があるのかもしれない。


Photos: Getty Images

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Profile

結城 康平

1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。

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