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青山敏弘は、なぜキャプテンに推されるのか。選ばれ続けた男の2017年

2018.09.10

日本代表新監督・森保一がキャプテンに任命したのは、“愛弟子”でもある青山敏弘(広島)だった。温情や縁故ではない。森保は、サッカーでは一種の「現実主義者」である。そんな男が選んだ、男。運命に呪われ、そのたびに這い上がってきた青山のこれまでを、広島の生き字引である中野和也氏に振り返ってもらった。


代表離脱の翌々日、彼はそこにいた

 どうして、青山敏弘がそこにいるのだろう。

 その事実がどうしても、信じがたかった。

 彼は、膝の故障で日本代表を辞退したはずなのだ。なのに5月26日、離脱翌々日のサンフレッチェ広島ファン感謝デーにおける選手入場の先頭に彼はいた。しかも、笑顔で。

 城福浩監督と川辺駿選手会長の挨拶が終わり、MCの掛本智子レポーターが「それでは」とプログラムを進行させようとすると「はいっ」と手を上げた選手がいた。

 「アオちゃん……」

 サポーターが思わず、息を呑んだ。

 誰もが彼の無念をわかっていた。誰もが彼の悔しさを知っていた。青山敏弘の歴史を知っているサポーターであれば、今回の日本代表選出がどれほどの意味を持っていたか。この時期に代表復帰ということは、ほぼワールドカップのメンバーに名前を連ねることは間違いない。そう見られていたのに、なんという不運。だからこそ、ここに青山がいることが信じられない。

 「すみません、このタイミングで(戻ってきてしまいました)。みなさんが笑顔で迎えてくれたので、心がうるっときました」

 サポーターは食い入るように、青山を見つめた。

 「代表からの離脱は悔しい。でも、それ以上に日本代表に入れたことをみんなが喜んでくれた、泣いてくれた。それが自分にはうれしかった。ありがとうございます。14年間、このチームでやってきたこと、間違いではなかった。日本代表に入るということは、特別なこと。でもその特別をつくり、支え、成長させてくれたのは、(サポーターの)みなさんです。僕はみなさんを誇りに思います」

 言葉を一つひとつ噛みしめるように、サポーターに対して「心配しないで」という気持ちを込めて、彼は語った。言葉が終わらないうちに、あちこちで嗚咽する音が聞こえた。

 挨拶を終えた後、彼はほとんどのイベントに参加した。水本裕貴・柏好文・高橋壮也(現岡山)とのトークショーで笑顔を振りまき、話題のイニエスタ(神戸)に対しては「厳しく行くよ」と力強く宣言。ステージを降りた後は、自らプロデュースした「青山(ブルーマウンテン)珈琲」をサポーターに振る舞った。気丈すぎるほど、気丈。青山の気持ちに、心は震えた。

 「ファン感謝デーに出たことは、自分にとって自然なこと。出なかったら、みんなが心配するから」

 サラリと、穏やかな表情で。

 プロフェッショナル。思わず、言葉がよぎった。


なぜ、青山はキャプテンに推されるのか

 青山は普段からサポーターを最も大切にする。単純に「サインを断らない」だけではない。視線をサポーターと同じにして、言葉も友だち同士のようにフランクで。ネットで検索すれば、彼の「神対応」ぶりはいくらでも出てくる。そんな青山の魅力にやられ、サンフレッチェの魅力にはまったサポーターは数え切れない。

 「最初はファンサービスの時に何をしゃべっていいのか、わからなかった」

 なるほど、そうなんだ。

 「でも今は、サポーターのみんなの笑顔が明確に力になる。サポーターと触れ合うのは、特別なことでもなんでもない。ゴミが落ちていたら、拾うじゃないですか。それくらい、当たり前のことなんです」

 ぶっきらぼうだし、決して普段から笑顔を振りまくタイプでもない。初めて取材をする人は彼が醸し出す空気感に圧され、質問することも苦しくなる。「それを頂くつもりはありません」と初対面の記者が差し出した名刺の受け取りを拒否したこともある。ミックスゾーンで「どうぞ」と質問を促しても、そう簡単に本当の気持ちは吐露しない。そういう選手なのに、サポーターの前では温かい。

 どうしてだろう。彼を取材しながら、常に考える。

 もう1つ、考えることがある。

 なぜ、青山がキャプテンに推されるのか、ということだ。

 森保一監督、横内昭展監督(現日本代表コーチ)、ヤン・ヨンソン監督、そして城福浩監督。ここ最近のすべての広島指揮官が青山を主将に指名しているのだ。

 もちろん、彼には圧倒的な実績がある。だが、キャプテンとは決して実績だけで務まるものではない。重要なのは、人間的な資質である。宮本恒靖は常に冷静で慌てない。長谷部誠も同様だ。だが、青山はむしろ熱い。たとえば激しい接触プレーの後、相手から絶対に目をそらさずにファイティングポーズを自分からはゆるめない。

 宮本や長谷部は若い頃から周りとよくコミュニケーションをとり、チームを組織化するのに長けていた。それはきっと、彼らが常に試合に出続けてきた選手だったからかもしれない。試合に出るのは当然のこと。だからこそ、思考がチームに向かう。周りにベクトルを向けることができる。

 青山はそうではない。「自分は認められていない」とイライラして、不満ばかりを漏らしていた若かりし頃。2年目、左膝前十字靱帯を断裂して長期離脱していた時から「誰からも自分は期待されていない」と感じた。

 「食事につれていってくれる先輩もいないし、自分自身も壁をつくってきた。加入当時の小野(剛)監督ともほとんど会話はなかった」

 だからこそ、反発する。ネガティブな状況を常に自分の闘志に変えて、彼は闘ってきた。


昨年のことは、ほとんど覚えていない。

 小野監督退任の後、望月一頼監督を経てミハイロ・ペトロヴィッチが新監督になった時、「今こそチャンスだ」と力の限りアピールした。周りどうこうではない。自分の道を切り開くために、自分の存在を確立するために、周囲のことに気を配る余裕などなかった。

 3度の優勝、ワールドカップ出場、JリーグMVP。素晴らしい実績を積み重ねても、いやだからこそ、青山は現実を相手に苦悶する。2017年、身体が思うように動かなくなった男は、周りがまったく見えなくなっていた。開幕から勝てなくなり、チームが崩壊に向かっていた時も為す術がなかった。

 「あの時は周りと話をすることもなかった。自分自身が、完全におかしくなっていた。あの時のことは、まったく覚えていない。

 正直にいえば、壊れていた。メンタル。フィジカル・技術、そのすべてが。ただ、生きているだけ。(サッカーをやることが)怖かった。

 休んだ方がいいと言ってくれた人もいる。だけど、休んでしまったら、もう帰ってこられないと思った。もう、このまま引退するんだろうなって思った。それでも、休みたくなかった。ただ練習場に来て、ただ練習して、ただ試合をして。その繰り返し」

 昨年のことを彼は、ほとんど覚えていない。もちろんすべてではなく、断片的なことは記憶にある。

 「夏の日のことだったと思います。前日練習の時にポイチ(森保監督/当時広島)さんが、僕と誰かを紅白戦のメンバーから外したんです。その時、グラウンドの横に置いてあったクーラーボックスに座って、ボーッと練習を見ていた。

 自分でもわかっている。こんなことをして、いいわけがない。みんなは自分の目の前で練習していて、厳しい状況を打開しようと必死にもがいている。その姿を確かに見ていた。でも自分はそこから、動けないんです。やる気も出ない。靴下を下ろして、ただそこにいた。そうしたら(現甲府の清水)航平に『みんなやっているのに、なんでそこに座っているの』って言われたんですよ。いや、わかっている。わかっているんだけど、思考が回っていないんです」

 その前後の時期、森﨑和幸が体調不良から復帰した。外から見ていた「広島の誇り」は主力選手たちを集めて問い質し、やらねばならないことを突き付けた。塩谷司や千葉和彦らが奮い立つ中、青山だけは「自分には無理です」と。

 「自分のやれる範囲と求められているものとギャップがあり過ぎて、無理だと言ってしまった。求められているものに対して自分の力はとても及ばない。だから、言われた言葉を否定してしまったんです」

 それでも青山はピッチに立った。腕に巻かれたキャプテンマークにすがるようにして。「もしキャプテンでなかったら、もっと深い闇に墜ちていた」。彼にとっての好運は、森保監督や横内監督、そしてヨンソン監督(現清水)と3人の指揮官が、キャプテン交代を決断しなかったことだろう。


青山は、本当に孤独だったのか。

 2017年、勝ち点1差でJ1残留を果たした。しかし、主将の笑顔はほとんどない。ミキッチの退団セレモニーの時も、涙すら出なかった。何も貢献できなかった自分に涙を流す資格もない。そう思った。残留の歓喜に沸くスタジアムで、背番号6はやはり孤独だった。

 どん底。光が射し込まぬ世界に墜ちた青山を救ったのは誰なのか。

 もちろん、2018年から就任した池田誠剛フィジカルコーチの指導がある。2人の二人三脚は池田コーチのインタビューをぜひ参照して頂きたいが、コーチの指摘を受け入れ、新しいやり方を模索した。第3節鹿島戦、「こんなに動けるようになるなんて」と自分を抱きしめたくなったほどに変化した。肉体の劇的な向上が技術・戦術・メンタルを大きく改善し、日本代表に直結したことは疑いない。

 もちろん、城福監督がまだ肉体が戻りきっていない青山を信頼し、キャプテンに指名したことも大きな要素だろう。木本実トレーナーがずっとトレーニングにつきあってくれて身体のメンテナンスを行なってくれたことも重要だったに違いない。支えてくれる家族の存在も重要だ。

 ただ、周りがどれだけ助けようとしても、彼自身が自分の足で立っていなければ、何も変わらない。自身の努力なくして、どん底からは浮上できない。

 青山は、ずっと自分が青山であることを見つめていた。青山敏弘のプレーができないことに悩んだ。苦しんだ。自分自身に刃をつきつけた。いつも孤独の中で自分をどう成長させるかをずっと考え「チームが勝つことで評価される」という現実に気づく。チームの結果が悪ければそれを刃として自分に向かわせ、すべての状況を飲み込み、たとえ咀嚼できなくても頭の中に詰め込む。責任を1人で背負い込もうとする。常に孤独。それが青山のやり方だ。

 大小、数限りないケガと闘い、心身が崩壊するまでチームのために戦い続ける男の姿勢を見つめるだけで、何かを感じる。誰とも群れず、孤独に闘い続けてきたからこそ、一つひとつのプレーに重みを感じさせる。言葉ではない。背中で、空気で、凄みのあるパスや「エンジン」と称される走りで、メッセージを伝える。

 青山敏弘を森保一監督が主将に推したのは、自身の戦術を理解しているからではない。孤独な闘いの中で培ったプレーでの発信力が2017年の苦闘を乗り越え、さらに増幅されて戻ってきていることを実感したからだろう。森保監督は温かみのある人柄ではあるが、サッカーでは現実主義者だ。違う人材の方がキャプテンに相応しいと判断すれば、迷うことなくそちらを選択する。だからこそ、資金が潤沢でなく毎年のような選手を引き抜かれる広島を3度も優勝に導いたのだ。

日本代表を率いる森保一監督

 ただ、そこで考える。

 青山敏弘は本当に孤独だったのか。

 誰よりも丁寧に行なうファンサービス。日本代表離脱などというショッキングな現実を前にしてもサポーターの前に立つ意志。

 「それは自分の日常です。当たり前のことなんです」

 サポーターに支えられ、サポーターに力を得ていたからこそ、青山敏弘は孤独な闘いに勝利してきた。孤独とずっと闘っているからこそ、サポーターと寄り添えあえる。

 昨シーズン、あえて厳しい言葉を面と向かってつきつけたサポーターがいた。そういう行動に対しても「ありがたかった。1人の力で乗り越えるのではなく、周りの力や想いが必要なことに気がついた」と感謝する。

 普通は綺麗事に聞こえがちな言葉である。だがこと彼に関しては、決して綺麗事ではない。これもまた、青山敏弘の真実である。


【短期集中連載】広島を蘇らせる、城福浩のインテンシティ

第一回:城福浩の時計は、2016年7月23日で止まっていた(前編)
第二回:城福浩が語る、選手育成。「ポジションを奪うプロセスこそ、成長」(後編)
第三回:稲垣祥、「連続性」のモンスター。広島を動かす中盤のモーター
第四回:覚悟を決めた選手でないと、広島ではやれない。足立修(広島・強化部長)
第五回:GK林卓人(広島)。寡黙な男が語る、雄弁なプレーのすべて
第六回:池田誠剛は、城福浩を男にしたい。「正当な評価がされなければ、日本の未来はない」
第七回:池田誠剛が語る、広島。「ここにいる選手たちを鍛え上げたい」


Photos: Getty Images
Edition: Daisuke Sawayama

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サンフレッチェ広島青山敏弘

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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