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池田誠剛が語る、城福浩という男。「評価されなければ、日本に未来はない」

2018.08.14

【短期集中連載】広島を蘇らせる、城福浩のインテンシティ 第六回


J1広島の短期集中連載、トリを飾るのは池田誠剛フィジカルコーチの記事だ。城福浩監督と同じく、今季からチームに加入。後述のとおり日程的に非常に厳しい中にありながら、見事としか言いようのないコンディショニングを成功させ、躍進の礎となった。彼は、なぜ広島に来たのか? 中野和也氏によるレポートをお届けする。


自分だけFC東京に残る判断は、できなかった。

 友情という言葉は、闘う現場においてもっとも不似合いである。

 サッカーというスポーツにおいても、ビジネスの現場であっても、友情というウェットな感情が入り込んでしまうと必ず判断を間違える。友だちであることが優先され、プロフェッショナルとして守るべきケジメを失ってしまう可能性もある。友情を信じて裏切られることだってある。

 日本の歴史上、「友情」によって結ばれた関係で社会を動かした例は、筆者の知る限り、一つしかない。西郷隆盛と大久保利通。言うまでもなく明治維新の立役者の2人だけだろう。そしてサッカー界では寡聞にして、知らなかった。池田誠剛フィジカルコーチの言葉を聞くまでは。

 2016年7月24日、池田誠剛はFC東京のフィジカルコーチを退任する。城福浩監督解任を受け、彼は自分でクラブを去ることを決めた。当初、FC東京は指揮官の解任を決めたもののフィジカルコーチについては慰留する方針だった。だが、池田コーチの気持ちが、それをよしとしない。「僕は残れません」。ストレートに言い切った。城福監督が「お前は残ってほしい」と言ったにも関わらず。

 「城福の解任という現実が、自分の心にすごくひっかかっていた。彼だけが解任され、自分がFC東京に残る。そういう判断はできなかったですね」

 前年、FC東京は過去最高となる4位にまで躍進。ACLプレーオフの出場権も獲得し、サポーターは「次こそ優勝だ」と意気込んでいた。クラブはここでマッシモ・フィッカデンティ監督の退任と城福浩監督の就任を決断。ディフェンシブなサッカーと訣別し、自分たちで主導権を握るスタイルを構築する方向性を固めた。この時、新指揮官と一緒に池田誠剛はFC東京へと赴いたのである。香港代表フィジカルコーチの仕事を辞めて。

 池田と城福は、早稲田大学時代の同級生だ。ここまで一緒に仕事をしたことはなかったが、互いにその力量は理解しあっていた。だが、友だちだから一緒に仕事をしたいのではなく、共に働きたかった相手が友だちだった。そういう順序は、非常に大切だ。そこを間違えてしまったら、ウェットな感情に流され、判断を誤る。

 新監督・新フィジカルコーチ就任初年度、最大の問題となったのはACLである。4位という順位はACL出場権が自動的に付与されるのではなく、プレーオフで勝ち抜くことが条件。ところがその日程が厳しい。2月9日。FC東京の2015年シーズンが終わったのは12月24日の天皇杯準々決勝(対川崎フロンターレ戦)だから、準備にはわずか6週間しかなかった。

 オフに4週、プレシーズンに5~6週が必要。それがプロサッカーにおけるコンディショニングのコモンセンスだ。常識はずれの日程と言っていい。疲労した選手たちを休ませることも、戦術的な深化も、何よりフィジカルコンディションを上げることも、難しい。事実上不可能と言っていい。

 日本サッカーに関わるメディア、そしてサポーターは、テクニックやタクティクスに対する関心は高いが休息も含めたフィジカルコンディションについては、ほとんど興味を示さない。だが、相撲における「心技体」ではないが、肉体の状態が万全でない状況で、戦える身体として鍛え抜いていない状態で、自分自身の100%の力を発揮できるはずもない。

 読者の皆さんも、ぜひ自分自身に置き換えていただきたい。休日もろくにとらずに働き詰めで、しかも発熱したような状況で、果たしていい仕事ができるのか。ミスが増え、効率がダウンするのは当然である。ましてスポーツ選手だ。まずはコンディションありき。肉体ありき。走るだけが正義ではないが、どんなタクティクスにあってもまず「適切な時に適切なスピードで適切な位置に移動する」ことがサッカーのベースになる。

 その「移動」において最大の力を発揮するのが走力。そしてそれを支えるのはスタミナであり、肉体の耐久性である。それはプレシーズンでトレーニングを積み重ねて自分自身の中に蓄積しないといけないのに、それができない。非常に厳しい状況に立ち向かわないといけないわけだ。

 「1~2週間くらいしかオフがとれない状況でしたし、物理的に難しい。シーズンを闘う上でのベースをつくれない。この状況では、梅雨時期に(選手たちのコンディションが)間違いなく落ちる」

 その現実は、クラブに対しても進言したという。しかしクラブはJリーグとACL、両方とも狙ってほしい。その気持ちもわかる。首都のクラブとしてFC東京はまだ、カップ戦のタイトルしか手にしていない。リーグ制覇は悲願だし、ACLのチャンスもモノにしたい。だが選手たちの肉体を預かる者としては、ほぼ連続してシーズンを闘うことになる状況を、わかっていても「是」とはしたくない。

 どうするか。

 指揮官との議論の中で、ACLグループステージが終わった後、週1度のペースになった時に改めてチームをつくり直そうという方向性を定めた。


この男に対して正当な評価が為されなければ、日本の未来はない。

 6月に入り、チームはなかなか勝てなくなった。7月2日からのセカンドステージは、最初の5戦で1勝4敗。確かに厳しい。しかしそれは、想定されたことでもあった。

 ここから立て直す。

 そういう決意が城福や池田にみなぎっていた時、クラブは解任を通告した。

 これは、いい・悪いということではない。チームの指導陣としては、ここから上昇気流に乗せるために、ここまでやってきた。一方、クラブ側としては現実を見る。残り12試合で勝点26。16位・湘南との差は7ポイント。決して危険水域ではないが、6月以降の10試合で2勝3分5敗。7月に限れば1勝4敗という数字である。危機感が募る気持ちもわかる。たとえ立て直すだけの戦略はあったとしてもサッカーには絶対はない。メディアからの批判もあり、空気は凍っていた。

 確かなことは、クラブが決断したということだ。そしてその決断に対し、池田コーチは「Yes」と言うことができなかった。退任を決意したということだ。

 「自分たちにしてみれば、当初から描いていたシナリオだったし、想定外の状況ではなかった。中途半端なまま、FC東京での仕事が終わってしまった」

 実は池田はS級の指導者ライセンスをとっていない。監督になる希望や目標を捨て、フィジカルコーチとしてトップに立つことを目指していた。その決意のもと、城福監督と共に仕事をして栄光をつかむ。それが自分の役割だと信じていた。だがその道は突然、断たれてしまった。そうなった以上、慰留に応じるわけにもいかない。たとえ批判を受けたとしても。

 その後、彼は中国にわたり杭州緑城でフィジカルコーチを務め、昨年は岡田武史氏がオーナーを務めるFC今治で仕事を続けた。

 「でも、結局はJ3に上がれなかった。自分の中ではそれがミッションだったから、責任をとらないといけないと考えていたんです。でもありがたいことに岡田さんからサポートしてほしいという依頼をいただいたんです」

 返事は保留していた。だが、やらなきゃいけないんだろうなという気持ちにもなっていた。選手たちが慕ってくれたこともわかっていたし、彼らと一緒にJ3に上がりたいという想いも強かった。

 そんな時、広島からオファーが届いた。正確には、城福浩から直接、「一緒にやりたい」というメッセージが届いたのだ。

 「城福は僕の親友です。そして何よりも、素晴らしい監督だと思っています。この男に対して正当な評価が為されなければ、日本の未来はない。それほどの指導者なんですよ。だから僕は思ったんです。城福が一流の監督として認識されるための手助けをしたい。彼が日本を背負うべき監督なんだと周りから認知されるために一肌脱ぎたい、と。FC東京を辞めた時からずっと、城福を男にしたいと思っていたから」

 12月のファミリーレストランで2人は再会し、共に再起を誓った池田誠剛は岡田社長に「城福と一緒に広島に行きたいんです」と申し出た。早稲田大学の1年時の先輩、キャプテンでもある日本サッカー界の先駆者は一言、「わかった」。広島行きは、この段階で決まった。

 任された仕事はもちろん、簡単ではない。J1残留争いに巻き込まれ、2012年から4年で3度の優勝を果たした広島は2017年、一気に転落した。黄金期を築いた主力は高齢化し、何人かはチームを去っていた。選手たちのモチベーションはまだまだ高く、勝利にも貪欲。その思いを勝利という形に変えるには、「肉体」という器をハードワークに耐えられるものに創り上げねばならないことは自明である。だが、そのために与えられた条件は厳しかった。


僕らの仕事は、選手から不安に思われたらアウトなんです。

 就任した時、トレーニングのスタート時期は既に決められていた。6週間のオフ後の1月22日。開幕の2月24日までは、5週間もなかった。他のJ1チームと比較しても、もっとも遅い時期のプレシーズン・トレーニングのスタート。特に問題となったのは、1月26日からのタイキャンプだった。気温は連日30℃が続くレベルで、乾期とはいえ湿気もある。冬の日本からタイに移動すれば2、3日の暑熱馴化が必要だし、単純な移動時間だけでも日本での移動とは比較にならない。寒い日本よりも身体をつくりやすいし、サッカーに集中できる環境ではあるのだが、全ての物事は表裏一体。時間さえあれば、移動や暑熱馴化の問題はプレシーズンではそれほど重要ではないが、今回は事情が違う。最後の1週は開幕戦への準備だと考えれば、フィジカル強化に使えるのは3週間しかなかった。

 チーム始動日、乳酸値などの測定を行い個々のデータを収集する。1人1人の状態を拾ってみても、3週間で仕上げるのは難しいレベル。それが実感だった。

 「でも監督には、選手を早く見極めてほしいという思いがあるし、トレーニングマッチもできるだけ組んでほしい。だからこそケガをしない身体づくりにまず着手しないと。僕もそれなりの経験は積んできましたし、城福の性格や目指したいサッカーはわかっているから、プランは立てやすかったんですけどね」

 数値を手に入れることによって、池田コーチは選手個々の状態に応じたグループごとのトレーニングメニューを組んだ。技術やスプリント能力などと同じで、心肺能力にも個人差がある。その個人差を無視して同じメニューでトレーニングを続けても、効率が悪い。データを落とし込み、いくつかのグループに分けて強度の差をつけた。

 だが、大切な1週目のトレーニングで不運が襲う。広島を襲った大寒波。広島市内ですら最高気温が0℃を上回らないという強烈な寒波のため、中国山地の山間にある練習場・吉田サッカー公園は積雪。とても使える状況ではなくなった。

 「あれには、まいりましたね」

 池田コーチ、苦笑。

 「暑熱馴化に必要な時間を考えると、広島での1週間である程度の(強度の高い)トレーニングをやるべきだと考えたんです。2部練習も当然、プランしていました。でも、それが練習場の関係でできない。仕方ないことなんですが。

 でも、そこで考えたんです。この大雪は何かのメッセージなんだ、と。こういう思考法は実は、岡田さんから教わったんですよ。不運に見舞われたり、やりたいことができない状況になった時は、必ず何らかの理由がある。意味があるんだ、と」

 たとえば、と今回の大雪について説明する。

 「もし、自分がやりたいようなトレーニングができていたら、もしかしたら選手の疲労回復が追いつかなかったかもしれない。too much(やり過ぎ)だったかもしれない。ここは一息つけよと(天が)教えてくれたのかもしれない。時間がないことはわかっている。だからどうしても、詰め込んでやりたくなる。でも、詰め込めばいいってものでもない。選手たちの食事の状況や会話なども参考にして、冷静に判断しないといけない。まあ、落ち着けってことです(笑)」

 普通に考えれば、ネガティブなことばかりのスタート。でも、それをそのまま伝えるのであれば、誰にでもできる。手をかえ、品をかえ、いろんな角度から切り込む。客観的にみれば厳しいと思っても「でも、こんないいことだってあるんだ」と方便を使う。

 「僕らの仕事は、選手から不安に思われたらアウトなんですよ」

 それが、指導者の本質だろう。戦いの場に臨む時、選手たちが「大丈夫だ。やれるんだ」と感じていないと、その時点で力は出し切れない。かといって一方で、何の具体的な裏づけもなく、一方的に「お前たちはできるんだ」と言ったとしても心には響かない。選手たちに自信を植え付け、前向きに闘う気持ちにさせているかどうか。指導者たち自身が立てた戦略に酔いしれ、選手たちに理解させることを怠っていた、あるいはそれができる能力がなかったら、その段階でチームはうまくいかない。


サッカー界は、「走る」という行為があまりにないがしろにされている。

 「タイはいいところだった。天候にも恵まれましたからね。スコールのような大雨が1度だけ降ったけれど、あの日はたくさん走らせる日だったから(笑)、灼熱の太陽よりもよかったんじゃないですか?」

 豪快な笑顔によって、周りはなんとなく安心感を得る。大丈夫だろう。そんな思いも感じさせる。指導者として第一とも言える素養が、池田コーチが見せる笑顔だろう。納得感とは論理だけで得られるものではない。

 池田誠剛が着手したことの一つに、城福監督が言うところの「中堅選手」たちの再生がある。青山敏弘、水本裕貴、千葉和彦ら、30歳の半ばを迎えようとしている経験豊富な選手たちの肉体をブラッシュアップし、動ける肉体にして彼らのスキルを100%発揮できるように整備する。仕事のメインテーマの一つである。

 サッカー選手の肉体はF1マシンそのものだと言っていい。ギリギリまでチューンナップされ、パワーを最大限に発揮できるように精密な整備を施される。だからこそ調整がゼロコンマの精度で必要になるのだが、それでも自らのパワーの巨大さによってマシン化した肉体が壊れることもしばしば。一般の人々にとってのスポーツは健康増進のためだが、スポーツ選手にとっては身体を破壊することと紙一重の戦いだ。フィジカルコーチやトレーナーといったプロフェッショナルたちは、F1におけるメカニックの如き。専門的な知識を常に学び、個人によって違う肉体の特長を把握し、選手個々がより力を発揮しやすいように身体を常に見つめ、触り、機能性を向上させる。

 特に池田フィジカルコーチが重視しているのは、肉体の「機能」だ。たとえば走り方。サッカー選手のランニングについて、彼の指摘は鋭い。

 「いつもサイドブレーキをかけながら、走っているようなものなんですよ」

 どういうことか。

 「ほとんどの選手が、地面を蹴ることで反動をつけて走っている。でも、それでは地面に着地する時の足が、肉体軸より前にいくことになるでしょう。となると、その足が必然的にブレーキをかけてしまう。右足で蹴り上げているのに着地する左足ではブレーキ。推進しようとしているのに、同時に制御がかかる。それではエネルギーのロスになるし、スピードも上がらないんです」

 かつて男子200mで破壊的なスピードを発揮したマイケル・ジョンソンにしても、説明不要なスピードスター=ウサイン・ボルトにしても、そのフォームは前がかりではない。身体の軸はどちらかと言えば真っ直ぐで、足で地面を蹴るというよりは叩くイメージだ。 

 「そう。地面を叩いて、床や地面からのエネルギーをもらう。陸上競技の指導者たちは、誰もがそう言います。地面の力を利用することでトルク(回転させる力)を増幅させ、リズミカルに足を運ぶことができる。右足をしっかりと叩けば、左足は必然的に上がっていく。トントントンと、ピストンが軽快に動くようになっていくから、力のロスが少ない」

 そしてもう一つ、重要なことがある。足を蹴って走るフォームではケガがしやすいということだ。

 「蹴るという行為は、足関節や足首に力がかかってくるわけです。そこに関わる筋肉はふくらはぎを構成するヒラメ筋や腓腹筋などですが、いずれも質量が小さい筋肉なんです。一方、たとえば太ももやお尻といった部位の筋肉の質量は大きいわけで、どちらを有効に使う必要があるかは自明でしょう。ふくらはぎの筋肉は軽自動車で、太ももやお尻は大型車。それくらいの違いがあるんですから。

 エネルギー消費量の高い運動を行うには、質量の大きな筋肉をできるだけ使いたい。小さな筋肉を使うと疲れるし、へたれる。よくふくらはぎをつらせる選手がいるけれど、本来であればつってはいけないんです。走る時に蹴っているから、つってしまう。股関節まわりの大きな筋肉群を使えていないんですよ。

 サッカーの基本は走ること。なのにランニングというベーシックな行為について、あまりにないがしろにされているのがサッカー界の現状です。それが原因で故障している選手がたくさんいる。前述した『蹴る』走り方ではブレーキがかかる。それは筋肉にとっての負荷になる。ブレーキをかけ続けて走っていると負荷が大きくなりすぎて、ふくらはぎの筋肉がつるんです。そこを修正しないと走力も上がらないし、ケガも増える」

 ただ、こういう指導は、若者には響きにくい。若くて疲労回復も早く、身体的な能力が高いうちは、走りに深刻な問題は抱えていないからだ。本来ならば、若くて爆発的な力をもっているからこそ、機能性を高めればもっとよくなる。だが、今の自分の肉体に満足している段階では、何を言っても難しい。自身に問題を感じて初めて、改善に取り組みたいと感じるものだ。

 「若くても時間が経つにつれて、落ちていくじゃないですか。90分、走りきれない。そこに問題を感じているなら、『ブレーキ』の話も理解できる。皮下脂肪の重さについても『無駄なウェイトを抱えながら走っているようなもの』ということも実感できる。でも、何を優先しないといけないのか、その感じ方は人によって様々なんです。修正には準備が必要だし、まずはその身体がパフォーマンスに直結している選手に対しては早いアプローチをしてやらないと、ケガにもつながってしまうんで」


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【短期集中連載】広島を蘇らせる、城福浩のインテンシティ

第一回:城福浩の時計は、2016年7月23日で止まっていた(前編) …8/7
第二回:城福浩が語る、選手育成。「ポジションを奪うプロセスこそ、成長」(後編) …8/8
第三回:稲垣祥、「連続性」のモンスター。広島を動かす中盤のモーター …8/9
第四回:覚悟を決めた選手でないと、広島ではやれない。足立修(広島・強化部長) …8/10
第五回:GK林卓人(広島)。寡黙な男が語る、雄弁なプレーのすべて …8/13
第六回:池田誠剛は、城福浩を男にしたい。「正当な評価がされなければ、日本の未来はない」 …8/14
第七回:池田誠剛が語る、広島。「ここにいる選手たちを鍛え上げたい」 …8/15

Photos: SIGMACLUB
Edition: Daisuke Sawayama

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Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。