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冨安との手合い、コンパニとの出会い、ムバッペも驚くばかり…ジェレミー・ドクの成長物語【後編】

2023.12.13

92日の新天地デビューから即レギュラー争いに参戦し、11月にはクラブ月間MVPも受賞。3冠王者マンチェスター・シティの一員として早くも欠かせない存在となったのが、今夏レンヌから移籍金5550万ポンド(推定)で加入したドクである。今やプレミアリーグ屈指のドリブラーとして脚光を浴びる212002527日生まれ)は、いかにして育成されたのか。ロンドン在住のオランダ人記者アルトゥル・レナール氏が、ユース時代にドクを指導した母国の恩師2人、U-16U-17ベルギー代表の監督と10歳から所属した古巣アンデルレヒトのアカデミー責任者を取材。その証言を基に成長の軌跡を追ったルポを前後編でお届けしよう。

←【前編】ジェレミー・ドクはなぜ止められないのか?ユース時代の恩師が語る“左右両刀”WGの覚醒秘話 はこちら

「好きなだけドリブルすればいい。ただし、周りもよく見ること」

 左ウイングであれ、右ウイングであれ、瞬時の加速がジェレミー・ドク最大の武器である点は、アンデルレヒトでプロになった16歳の当時から変わっていない。5年後に移籍を果たすことになったマンチェスター・シティでは、軽快にパスを繋ぐチームのサッカーに、ドリブルで一気に運ぶスピードという要素を加える新戦力となっている。

 「ドリブルの自由は常に与えていた」と語るのは、祖国ベルギーでの年代別代表チームで指導に当たったボブ・ブロウイェスだ。自発的な学習が最良のレッスンになるとの判断によるアプローチだったという。

 「好きなだけドリブルすればいい。ただし、周りもよく見ること。それが私のスタンスだった。相手が何人がかりで止めようとしているのかがわかっていれば、これはパスを選んだ方がよい状況だということに自然と気づくようになるだろう。敵は当然『ジェレミー・ドクが相手だ』と意識していると忠告してはいた。1対3になった場合には、シンプルなプレーを心がけるべきだと説明もしていた。ボールを持った時に、勝負かパスかの判断力を養わせたかったから。それでも根本的な出発点は、常に彼の個人技にあった」

 ブロウイェスは、同時にドクが突破力を発揮しやすい攻撃展開をチームに意識させてもいた。

 「ジェレミーが1対1に持ち込みやすい状況を作り出すことは、チーム戦術としても重要だった。特に、一気にプレーを逆サイドからスイッチできれば、敵には彼のマークに割く時間も頭数も足らない。その上で、やはり彼には状況判断を促した。1対1で勝負できると思ったら迷わずに行けばいい。十中八九、持ち前のスピードで抜き去れるはずだから。そうした判断力を磨くことも、才能を伸ばすために欠かせないプロセスだった」

 アンデルレヒトでの1軍デビューは、2018年11月25日のベルギー1部リーグ、シント=トロイデン戦で訪れた。敵の最終ラインには冨安健洋(現アーセナル)がいた。相手のベンチには、やはり今季はプレミアで顔を合わせることになった遠藤航(現リバプール)もいた。チームとしては一時的な逆転も虚しく敗れたアウェイゲームだったが(4-2)、終盤にベンチを出たドクは、短い時間ながらも注目のティーンエイジャーとして周りの目を引いた。アカデミーディレクターのジャン・キンデルマンスの記憶では、同年1月にクラブを買収したマルク・クッケが、「あの手のタレントが他にも何人か育っているのだろう?」と、冗談交じりにスタンドで声をかけてきたそうだ。

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アンデルレヒトイングランドジェレミー・ドクプレミアリーグベルギーベルギー代表マンチェスター・シティレンヌ

Profile

アルトゥル レナール

欧州を股にかけ、サッカー界の人間ドラマを描く新進のオランダ人フリーライター。きっかけは18歳での渡英。2015年に改めて拠点をロンドンに移し、祖国の『フットバル・インターナショナル』誌や、『ガーディアン』紙、『フォーフォートゥー』誌といった英国メディアの他、『フランス・フットボール』誌などにも寄稿。

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