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グリエルモ・ビカーリオ。「アンジェ・ボール」で花開いた遅咲きGKはなぜイタリアで埋もれていたのか?

2023.11.25

アンジェ・ポステコグルー新監督の下、第10節まで無敗で首位に立つなど2023-24プレミアリーグ序盤戦で、8位に沈んだ昨季からの復活を印象づけたトッテナム。この好発進を最後尾から支えているのが、戦力外のウーゴ・ロリスに代わってゴールマウスを任されたグリエルモ・ビカーリオだ。今夏エンポリから加入した遅咲きGKの知られざるキャリアを、イタリア在住の片野道郎氏に教えてもらおう。

 セルティックから日本のサッカーファンには元横浜F・マリノス監督としておなじみのアンジェ・ポステコグルーを新指揮官に迎え、長年チームを支えてきたハリー・ケインに別れを告げて世代交代を進展させるなど、アントニオ・コンテの下で迷走した昨季を清算して新たな中期プロジェクトをスタートしたトッテナム。直近の2試合で連敗して4位に後退したとはいえ、シーズンの3分の1を過ぎようというこの時点で首位戦線の主役を演じているのは、欧州カップ戦の負担がないことを差し引いても期待を少なからず上回る躍進と言える。

 その一端を担っているのが、序盤戦から「アンジェ・ボール」の中で機能し、小さくない貢献を果たしているジェイムズ・マディソン、ミッキー・ファン・デ・フェン、デスティニー・ウドージェ、グリエルモ・ビカーリオという新戦力たちであることは明らかだ。その中でも最大のサプライズを1人挙げるとすれば、やはり新守護神ビカーリオということになるだろう。

 セリエAでも残留争いの常連である弱小エンポリから、1900万ユーロという格安の移籍金で獲得された27歳。決して若くはない年齢にもかかわらず、セリエAでのプレー経験はわずか3季、しかも正GKを務めたのは直近の2年間だけと、そのキャリアはかなりの「遅咲き」である。

 アンダー年代でのイタリア代表経験はまったくなく、昨シーズンから招集されるようになったA代表でもまだ出場なしと、母国イタリアでもそれほど高い評価は受けてこなかった。それが、世界最高峰プレミアリーグのビッグクラブであるトッテナムに引き抜かれて開幕から正守護神の座に収まり、ビッグセーブを重ねてチームの躍進を支えているのだから、これはもうサプライズ以外の何物でもない。

  実際、ここまでのパフォーマンスデータを見ても、セーブ率76.9%はアリソン・ベッカー(リバプール)に次ぐリーグ2位、失点期待値17.9に対する失点14(オウンゴール除く)の差分+3.9(およそ4失点からチームを救った勘定になる)もトーマス・カミンスキ(ルートン)に次いでリーグ2位と、世界トップクラスのGKたちをも上回る申し分ない数字を叩き出しており、今シーズン序盤のプレミアリーグ最優秀GKと呼ばれるに値する活躍ぶりだ。

2023-24プレミアリーグ第9節フルアム戦で早くも4試合目となるクリーンシートを達成したビカーリオ。11分の左手一本でヘディングシュートを凌いだ横っ飛びは、10月のリーグ月間最優秀セーブ候補に選出された

 これだけのポテンシャルを秘めた才能が、なぜ今までイタリアの「その他大勢」の中に埋もれていたのか。そして、どのようにして開花するに至ったのか。それを探るためには、ビカーリオのここまでのキャリアを振り返る必要があるだろう。

才能の宝庫ウディネーゼからアマチュア経由でベネツィアへ

 1996年、イタリア北東のはずれ、スロベニアとの国境に近いフリウリ地方のウディネ生まれ。父親が医者、母親が高校教師、一族にも医師や薬剤師が多い恵まれた家庭で一人っ子として育ち、両親からは医者への道を歩むことを期待されていた。しかし6歳でサッカーを始めると、すぐにGKとしてプレーする楽しさに目覚め、学業の傍ら地元のアマチュアクラブをいくつか転々としながら育成年代を過ごす。

 そのプレーは当然ながら、地元のNo.1クラブであるウディネーゼのスカウト網に引っかかっており、17歳になる2013年、育成年代の最終カテゴリーであるプリマベーラ(U-19)の一員としてはじめてプロクラブとの契約を交わすことになる。とはいえ、これでセリエAに続く未来が開けたというわけではまったくなかった。

 ビカーリオにとって不運だったのは、ウディネーゼがこの時期、同年代でもトップレベルのタレントを持つGKを複数抱えていたこと。プリマベーラでのチームメイトは、すでにフランチェスコ・グイドリン監督の下でセリエAデビューを果たしていた1歳年上のシモーネ・スクフェット(現カリアリ)、そしてU-17代表の正守護神だった同い年のアレックス・メレト(現ナポリ)で、アマチュアクラブから這い上がってきた3番手の彼に出番はほとんどなかった。

 続く2014-15シーズンも、プリマベーラ正GKの座はメレトに塞がれており、さらに1歳年下でやはり大きな期待を集めていたサムエレ・ペリザン(現エンポリ)もU-17から上がってくる。状況を察したビカーリオは、声をかけてくれたセリエD(当時5部リーグ)のアマチュアクラブ行きをクラブに直訴してレンタルで移籍、ようやく本格的な出場機会を手に入れた。

 せっかく実現した地元一番のプロクラブ入りからたった1年で、アマチュアカテゴリーへのレベルダウンを受け入れるというのは、簡単ではない勇気ある選択である。ビカーリオはそれを「日曜日にはピッチに立ってプレーする必要を感じていた。当初クラブは渋っていたけれど、最後には理解してくれた」と振り返る。

 5年制理科高等学校の最終学年(スポーツ科学専攻)に通いながら、終業後に電車で70km離れたそのクラブ、フォンターナフレッダのトレーニングに向かうというハードな日々を送りながら、シーズンを通してゴールマウスを託されたビカーリオに目をつけたのが、前年の破産(クラブ史上3度目)を経て、アメリカ人弁護士ジョー・タコピーナが設立した新運営会社の下でセリエDから再スタートを切ったベネツィアだった。

 2015-16シーズンに再びレンタルという形で移籍したベネツィアで、リーグ戦をダントツで制してのセリエC昇格に主役として貢献したにもかかわらず、ウディネーゼはビカーリオの可能性を信じ切ることができなかった。20歳という年齢と比べて身体的な成長が遅く、同年代と比べて線が細いだけでなくパワーも十分とはいえなかったこと、そしてスクフェット、メレト、ペリザンという育成部門から育ててきた生え抜きのタレントたちを擁していたことも理由の1つだったには違いない。いずれにしてもウディネーゼが選んだのは、わずか500ユーロという文字通りの捨て値で保有権をベネツィアに譲渡することだった。

偉大な先達との出会い。実績と自信を積み上げセリエAに到達

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Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。

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