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【伊東輝悦インタビュー後編】38歳でのJ3開幕から10年、登りも下山も味わい尽くす特別な旅

2023.03.22

不定期連載「Jリーグと30年を走り続けて」

1993年5月15日に開幕したJリーグは2023年に30周年を迎えた。W杯が「夢の舞台」から「出場して当たり前の大会」に変わったように、この間に日本サッカーは目覚ましい進歩を遂げた。果たして、Jリーグが30年で与えてくれたものとは何だったんだろうか? この連載では様々な立場の当事者の声を聞き、あらためて30年の蓄積について考えてみたい。

第1回に登場するのは、Jリーグ発足から30周年となる2023シーズンまで唯一、現役選手として活躍し続けているアスルクラロ沼津の伊東輝悦。後編では、「もうすぐ頂上、先は長くない」と語った後から始まった長野パルセイロ、ブラウブリッツ秋田、そしてアスルクラロ沼津と巡るJ3での旅について聞いた。

<熱帯夜の肉野菜弁当>

 2010年、鉄人の長い「旅」が始まろうとしていた。長くなりそうだ、とも、ずい分とユニークな旅になるとも、もっといえば、まさか13年も旅が続くなんて、本人さえ知る由もなかっただろう。

 Jリーグが始まった1993年から18年間在籍した清水に、10年のシーズン終了後、戦力外通告を受ける。この時すでに36歳。ブラジルを倒した96年のアトランタ五輪「マイアミの奇跡」、日本サッカー界にとって悲願の初出場を果たした98年フランスW杯、オリジナル10の名門・清水での活躍と、輝くキャリアを胸に引退したとしても、大きな称賛を受けたに違いない。

 しかし伊東は、ボールに初めて触れ、サッカーと歩んだ静岡から甲府へと出発した。そして11年のシーズン、「ヴァンフォーレ甲府」でJ1通算500試合出場の偉業を成し遂げる。

 「(500試合出場について)好きな登山なら、頂上はもうすぐだと思う。先はそんなに長くないけれど、やれるところまでやりたい」

 偉業達成の日、引退を頂上に例えたかのようなこのコメントを聞きながら、どこか寂しさがよぎった。

ヴァンフォーレ甲府に所属していた2011年7月に行われたガンバ大阪戦(○4-3)でJリーグ通算500試合出場を果たした伊東(Photo: Getty Images)

 翌12年のシーズンは、甲府が降格し、初めてJ2を経験するなか、25試合に出場した。しかし13年は、キャリアで初めてわずか6試合の出場にとどまる。甲府からの退団が発表され、38歳の旅はついに終わるかに見えた。

 しかし、翌年の14年に始まるJリーグの新たなカテゴリー、J3に所属する「AC長野パルセイロ」が、ベテランの獲得に名乗りを上げ、伊東はまた、荷物をまとめて新天地へと旅立つ。雪に見舞われるとサッカーどころではなくなってしまう河川敷のグラウンドは、J3が、J1とも、J2とも別世界なのだと教えてくれた。

 16年、旅はさらに北上し秋田へ。「ブラウブリッツ秋田」は1年で退団したが、マイアミの奇跡で得点した男のために「秋田にも奇跡を」と、ポスターまで作ってくれた。17年に、6年ぶりに静岡(沼津)に戻った時には、500試合出場の際、「もうすぐ頂上、先は長くない」と口にしてから12年も経過していた。……

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アスルクラロ沼津ブラウブリッツ秋田伊東輝悦

Profile

増島 みどり

1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。

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