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最下位で終わっても、誰も責められない…苦境の下で輝いたシャフタールの奮闘

2022.11.06

最終節、ライバルとの直接対決に勝てば決勝ラウンド進出という位置で迎えたが……最後は力尽きGS突破はならなかったシャフタール・ドネツィク。しかしながら、昨季王者レアル・マドリーを相手に2試合とも好ゲームを演じるなど、その戦いぶりは称賛されてしかるべきものだった。その裏で直面していたチーム内外の難しい状況など、背景事情を含めて彼らの奮闘を振り返る。

「私たちはシャフタールのためだけでなく、ウクライナ全体を代表して戦う」

 シャフタール・ドネツィクを率いるクロアチア人のイゴール・ヨビチェビッチ監督は、CL開幕を前にした記者会見で使命感を帯びた決意を口にした。しかし、シャフタールの今季の状況を考慮すれば、世界最高峰の舞台はあまりにも高い壁のように思われた。

「殺人的」な環境での戦い

 2月のロシアによるウクライナ侵攻を受けて、FIFAはウクライナとロシアでプレーする外国人選手が一時的に自由に移籍できる救済措置を発表。シャフタールはチームの売りだったブラジル人選手7人がレンタル移籍で流出し、砲弾の痕や人々の涙を目の当たりにしながら陸路でウクライナを脱出した彼らは家族の反対もあってシャフタールへ戻ることを拒否した。レンタル先の選手たちの処遇は現在宙に浮いた状態であり、新たな戦力を大量に獲得することもできないため、新シーズンは自国の若手選手中心のチーム作りを強いられることになった。正当な移籍交渉がないまま一時的な契約解除に至ったとして、クラブは5000万ユーロの補填金を求めてFIFAを提訴。セルヒー・パルキンGMは「FIFAは話し合う気がまったくない」と不満を露わにした。外国人を多く抱えるシャフタールやディナモ・キーウにとって、FIFAの特例措置は致命的な足枷となってしまったのである。

 現役時代の2003年にウクライナのカルパティ・リビウで1シーズンプレーし、監督としてもカルパティ(2014-16)とドニプロ-1(2020-22)を指揮したヨビチェビッチは今年7月にシャフタールの監督に就任した際に「私はCLのアンセムを聞くことを夢見て毎日仕事をしてきた」とウクライナの名門を任された喜びを素直に表した。一方で、「1カ月でチームを構築するのは不可能。“ブラジルのシャフタール”はもう忘れなければならない。外国人選手も含めて、今ではみながウクライナ語を話すようにしている」と激変したチーム内の雰囲気と準備の難しさを強調している。

今季からチームを指揮するヨビチェビッチ監督。母国クロアチアの名門ディナモ・ザグレブでの指揮経験がある

 さらに、昨季ウクライナ侵攻によって第18節終了時点で中止となった国内リーグは8月23日に新シーズンが開幕。キーウ周辺と西部2州に限定しての開催となったが、特に街が壊滅状態となったハルキウ、オデーサの住民や戦地の兵士たちにとっては希望の象徴となった。ただし、無観客のスタジアムは空襲警報が鳴った時は地下に逃げ込むことになっていて緊張に満ちている。10月8日のクリミア橋爆破事件の後はキーウにまで及ぶ報復攻撃が断続的に続き、日常生活が戻りつつあった地域にも再び危機感が高まった。戦争はまだ終わっておらず、国内にいる限りは選手たちにも完全に心が休まる時はない。

 欧州カップ戦に参戦しているクラブはウクライナでのホーム試合が認められていないため、シャフタールは隣国ポーランドを代替地とした。自国内では空路が使えないため、CLのために約10時間のバス移動でワルシャワに向かい(アウェイの場合はさらに対戦国へ空路で移動)、週末のリーグ戦に向けて再びバスでウクライナに戻る過酷なスケジュールは指揮官いわく「殺人的」。たとえ大敗の連続でグループ最下位で終わったとしても、誰も責められないほどの苦境の中でシャフタールはCLを戦っていた。

下部組織出身者の中から現れたスター候補

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UEFAチャンピオンズリーグウクライナシャフタール

Profile

篠崎 直也

1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。

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