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キミッヒが語るタイトル獲得と、自身のキャリアが救われたライプツィヒ移籍

2020.07.15

 7月4日のポカールでレバークーゼンを下し、2冠を達成したバイエルン。7月8日の『シュポルトビルト』の中で、王者バイエルンの“新世代”を代表する1人であるヨシュア・キミッヒがインタビューに応じた。ドイツを代表する選手の1人になったキミッヒが、自身のキャリア、バイエルン、そしてドルトムントとの差について語っている。

リーグの行方を決めたドルトムント戦

 コロナ禍による中断期間を終え、5月26日には頂上決戦を迎えた。第28節のドルトムント戦。バイエルンは敵地で押し込まれながらも、GKの頭上を超えるキミッヒの美しいゴールで1-0の勝利を収めた。

 キミッヒ自身もドルトムントの選手たちも認めたように、バイエルンが勝負をモノにできた要因は“勝者のメンタリティ”だと振り返る。

 「この試合では、クオリティの部分で自分たちがドルトムントより優れていたわけではなかった。でも、この試合で負ける気は最後までしなかった。まったくその逆で、自分たちの方がドルトムントよりも勝利への強い意志を持っていると信じることができた」

キャリアを救った3カ月の休養

 この勝利によってバイエルンは8連覇を大きく引き寄せ、キミッヒ自身も2015-16シーズンの加入から5季連続優勝を果たした。今季も不可欠な主軸としてリーグ戦34試合中33試合に出場し、鉄人ぶりを発揮したが、ユースの頃はケガに悩まされていた。

 「育成年代の頃は恥骨のケガに長いこと苦しんでいた。でも、当時は休みたくなかった。『ここで半年も休んだら、次のレベルに進むことができない』と若い頃は思ってしまうものさ。だから、痛みを感じることなくサッカーができることは、もうないのかもしれないと不安にもなったよ」と当時を振り返る。

 このタイミングで、キミッヒは当時3部だったRBライプツィヒへの移籍を決める。「ちょうどこの時期にRBライプツィヒへ移籍できたのは幸運だったよ」とキミッヒは続ける。ラルフ・ラングニックをはじめ、クラブの首脳陣はキミッヒのケガの状態を知ると、プレーすることを禁止したのだ。

 「クラブの責任者たちは、休む以外の選択肢を与えてくれなかった。そして、僕をチームから完全に外したんだ。そうして3カ月の間、再び健康な身体に戻ることだけに集中したのさ」

タイトルよりも重要なもの

 痛みなくサッカーができる尊さを知るキミッヒは、それだけに自身のキャリアの中で大事にしていることもあるという。

 「成功に飢えているから、UEFAチャンピオンズリーグも優勝したいし、代表でもタイトルを獲りたい」とした上で、「タイトルだけで成功を評価するなんてことはしたくない」と続ける。オランダの故郷フローニンゲンで電撃復帰を果たした元同僚のアリエン・ロッベンのことは、今でも頭に残っているようだ。

 「ロッベンが良い例だよ。あれだけタイトルを勝ち取っても、サッカーをプレーし続ける意欲を持ち続けている。それが最も重要なことなんだ。健康でい続けて、毎年、毎試合でプレーしたいという気持ちでいられることがね。僕らはみな、そうやってサッカーを始めたんだから」


Photo: Getty Images

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Profile

鈴木 達朗

宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。

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