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MLSでの指揮が決定したアンリ。モナコ時代の“失敗”を糧にできるか

2019.11.16

 ティエリ・アンリがカナダのモントリオール・インパクトの監督に就任したことが、11月14日、クラブの公式HP上で正式に発表された。

 モントリオールは北米のメジャーリーグサッカー(MLS)に所属している。2010年から2014年までニューヨーク・レッドブルズでプレーしていたアンリは、「その時からこのクラブには良い印象を抱いていた。試合でここに来るたびに、人々はとても優しくてフレンドリーだと感じていた」とコメント。MLSを離れた後も、定期的にクラブの幹部と連絡を取り合っていたという。モントリオールも世界的に実績のある“レジェンド”タイプの人材を監督として探していたということで、アーセナルとフランス代表で歴代最多得点を誇るかつての名選手アンリを歓迎している。

監督初挑戦はわずか104日間で終了…

 2014年12月、NYレッドブルズ退団後に現役引退も発表したアンリは、その後はイングランドに戻ってテレビ解説の仕事をしていた。同時にUEFAのAライセンスを取得し、指導者としての道を歩き始めた。最初は古巣アーセナルのユースチーム。続いて2016年8月には、ロベルト・マルティネス監督のアシスタントとしてベルギー代表のコーチングスタッフに入った。この時、フランスでは「なぜフランス代表ではなくベルギーなのだ!」と論議になっている。

 アンリは南アフリカW杯の欧州予選プレーオフ、アイルランド戦において故意にハンドの反則を犯したと糾弾された一件で世間やメディアから相当厳しい批判を浴びたため、NYレッドブルズを退団した後もフランスではなくイングランドに戻るなど、母国を避けていた。アンリが「フランスサッカー連盟(FFF)からは何のオファーもない」と弁明すると、今度は「なぜレジェンドをみすみす敵国に!」と、世間の非難がFFFに向くこともあった。

 アンリが監督として独り立ちしたのは2018-19シーズン。彼自身がクレールフォンテーヌを経てプロデビューを飾った、出身クラブのモナコを率いることになったのだ。その前シーズンはパリ・サンジェルマンに次ぐ準優勝だったモナコだが、2018-19シーズンは開幕から不振で18位に転落し、レオナルド・ジャルディム監督を解任。その後を引き継いだのがアンリだった。

 しかしチームは17人ものケガ人を抱え、思うように改革も進まず、年明けの2019年1月にはジャルディム監督を呼び戻す形でアンリが解任されてしまう。彼の監督初挑戦はわずか104日間、20試合で4勝5分11敗という成績で終わったのだった。

ようやく訪れた挽回のチャンス

 そして今回、2回目の監督挑戦となる。プレシーズンが始動するのは1月だが、2カ月前に新監督を迎え、万全の体制で3月の開幕に臨むのがクラブの狙い。

 昨シーズンはカナディアン・チャンピオンシップでは優勝したが、MLSでは18位。アンリ監督にはMLSカップ・プレーオフへの進出が託されている。

 モナコではケガ人や累積警告の選手が続出するといった物理的な悪条件もあったが、アンリと選手のコミュニケーションにも問題があった。要求の厳しいアンリに対し、一部の選手たちは反感を募らせていた。彼らの言い分にも一理ある感じもしていたが、今年8月、モナコ解任後に初めて応じたイギリス『テレグラフ』紙のインタビューの中でアンリが語っていた数々の発言を読んで腑に落ちた。

 アンリは自分に相当厳しい。そして、その厳しさを相手にも求めるのだ。「すべての責任は自分にある。もし批判されたなら、その理由は自分にある」。選手時代は、批判されるたびに、次の試合で挽回することを己に課していたのだという。

 「だけど監督は、挽回のために戦おうとしたら、次のオファーが来るまで待たなければならない。それがフラストレーションだ」

 アンリはモナコでの“失敗”を挽回するチャンスを探していた。しかし、1月に解任された後の5カ月間、彼には1本の電話もなかったらしい。

強い意志と信念で挑む新たな道

 そもそも、どんなベテラン監督にさえ厳しい状況だった当時のモナコのオファーを、初挑戦ながらよく受けたものだと思っていたが、そのことについて彼はインタビュー内でこう語っている。

 「一線を越えずに安全な場所に座っていても、何も学べない。学ぶためには挑戦するしかない」

 「私はポジティブにしか物事は考えない」

 アンリは「3カ月間しか与えられないとわかっていたら、違うアプローチもできた」と話している。モナコでの経験は、監督にはいつ何時でも首を切られるリスクがあり、それを頭に入れたプランニングをしなければならない、ということも教えてくれただろう。

 また、「まずはコミュニケーションが大事」とも話していた。

 トーマス・トゥヘル監督も、PSGで指揮を執るようになってからは、ドイツから取材に来た記者たちが「別人か?」と驚くほど朗らかでオープンな指揮官になっている。アンリもモナコとは違うアプローチを考えているに違いない。

 アーセナル時代に一度、個別にインタビューさせてもらう機会があったが、会った瞬間、直立して手を差し出し「ティエリ・アンリです。今日はよろしくお願いいたします」と彼の方から礼儀正しい挨拶をしてきたことに、まず驚いた。その後は、一つの質問に対する答えがおそろしく長く、早口で熱く思いを語ってくれたのはいいが、30分もらった時間でたったの2問しか質問できなかった。情熱にあふれた人、そしてかなり弁が立つ、という印象だった。

 「自分は、監督としても成功できると信じている」と言う。これだけの強い意志と信念があれば、いつか必ず成し遂げることができるだろう。


Photo: Getty Images

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ティエリ・アンリ戦術

Profile

小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。

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