史上最年少となる17歳322日で日本代表デビューを果たした市川大祐の記録はいまなお更新されていない。“あの17歳”だった青年は、2026年、清水エスパルスユースの監督に就任し同じ年代の選手たちと向き合う立場にいる。フランスW杯を目前にした異例の代表デビュー、選考落ちの悔しさ、そしてオーバートレーニング症候群。日本サッカーの急成長期を最前線で生きた唯一無二の経験は、指導者としての彼に何を残したのか。
代表初選出から取材を続ける増島みどり氏が三保を訪ね、市川大祐の「原点」と「いま」を聞いた。
前編ではJFAプロライセンスを取得後にユース監督になった経緯、恩師であるアルディレスとペリマンから授かった言葉、そして新チームで掲げた2つの目標について語る。1人でも多くトップチームに選手を送り出すこと。エスパルスユースを再びプレミアリーグの舞台へ戻すこと。指導者として掲げた目標は、当時自身が立った“高すぎる山”を、次世代が自分の足で登るための環境を整えるという決意でもある。
“あの17歳”が意欲と自信に満ちた45歳の新任監督へ
清水エスパルスユース監督に就任したばかりの市川大祐監督を目の前に、取材していたはずなのにあらためて「あの時、17歳は何と向き合い、何を乗り越えようとしていたんだろうか」と問いが浮かんできた。「17歳と322日」での日本代表選出最年少記録は、日本サッカーがこれだけ進化したとされる今でも塗り替えられていない。

当時ユースに在籍し、初めて天皇杯のメンバーに選ばれた知らせに声をあげ家中を走り回って喜んだという。さぁ、次に目指すはJリーグ出場。野心を胸に日々の練習に取り組んだが、17歳の春休みに立っていたのはユースやJリーグではなく雪が舞う韓国ソウルで行われた日韓戦のピッチだった。
98年4月1日は日本代表が初めて出場を果たしたフランスW杯に向かう大事なスタートであり、チーム内の競争や緊張感がとても高い時期だった。別の監督ならこういう状態の日韓戦で17歳ともう1人のティーンエイジャー小野伸二を日本代表にデビューさせるかどうかはわからない。しかし初のW杯を指揮した岡田武史監督は迷わなかった。
「いいか、緊張することはない。リラックスして行けよ!」と背中を叩いて送り出し、17歳は「エッーー!、初めてのW杯の年の、しかもアウェイの日韓戦で代表に初先発するのに緊張しないってそんなのムリです!」と、心の中で絶叫していた。
しかし言葉を飲み込み市川は走り続けた。
日韓戦を終え代表に帯同し、W杯直前のメンバー登録でカズ(三浦知良)と北澤豪とともに代表選考から漏れても1人、チームに帯同して洗濯やスパイク磨きを手伝った。翌年には全力で走り続けた影響に身体と心が悲鳴を上げた。当時は深く理解はされていなかった「オーバートレーニング症候群」と診断され休養を余儀なくされた。
Jリーグに1試合も出場せずに、しかも今では心身の成長において常識とされる手厚い育成プロセスも充実する前に走り続けた日々は、かつての自分と同じ年代に向き合うユース監督にどう映っているのか。ティーンエイジャーたちはあの時、なぜあれほど冷静にまるで以前から日本代表だったかの振る舞いで高い山々に挑めたのか。
1月下旬、今さらながらそんな問いを胸に三保を訪ねた。45歳の新任監督の意欲と自信に満ちた表情、言葉が早春の光によく似合っていた。

アルディレスとペリマン、ロンドンで2人の恩師と再会
――17歳当時を今振り返ると。
「今になると自分のことよりもむしろ、決断して送り出してくれたエスパルスの皆さん、選んで受け入れてくれた日本代表の方々を思いますね。何度かお話してきましたが、ボクにとってエベレストみたいな日本代表を前に、自分の経験だけではもちろん心細くてどんなに見上げても頂上は見えないくらい高かったんです。岡田さんに、ボクにはムリです、登れません! 息が苦しいです! と言いたくなる時もありました。でも言わなかったのは我慢したからではありません。2002年のW杯を目指していたら4年早くチャンスをもらえたのだから絶対掴み取るんだ、日々成長し続けるぞ、と辛いのではなく毎日に一生懸命になれたからです」
――ユース監督として若い選手たちに伝えたいのも、フットボーラーとして日々成長し続ける、自分と向き合う、そういう姿勢でしょうか。
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Profile
増島 みどり
1961年生まれ、学習院大からスポーツ紙記者を経て97年独立しスポーツライターに。98年フランスW杯日本代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」(文芸春秋)でミズノスポーツライター賞受賞。「GK論」(講談社)、「中田英寿 IN HIS TIME」(光文社)、「名波浩 夢の中まで左足」(ベースボールマガジン社)等著作多数。フランス大会から20年の18年、「6月の軌跡」の39人へのインタビューを再度行い「日本代表を生きる」(文芸春秋)を書いた。1988年ソウル大会から夏冬の五輪、W杯など数十カ国で取材を経験する。法政大スポーツ健康学部客員講師、スポーツコンプライアンス教育振興機構副代表も務める。Jリーグ30年の2023年6月、「キャプテン」を出版した。
