SPECIAL

J1復帰のジェフ千葉、J2での16年の軌跡。「結果至上主義」と「レボリューション」で揺れ動いた先に辿り着いた答え

2025.12.22

2025年12月13日、J1昇格プレーオフ決勝で徳島を1-0で下して17年ぶりのJ1復帰を決めたジェフユナイテッド千葉。その2010年から続いたJ2生活を見守ってきた西部謙司氏と、江尻篤彦監督体制から始まった16年の軌跡を振り返ってみよう。オリジナル10に名を連ねるクラブが苦しみ抜いた先で辿り着いた答えとは?

小林監督が築いたのは「ファンの支持」を得るサッカー

 J2での16年間を経て、ようやくJ1復帰を果たした。リーグ戦は最高位タイの3位、プレーオフでの昇格である。

 おそらく昇格できた最大の要因はファンの存在だろう。自動昇格、もしかすると優勝の可能性もあった最終節、ホームのフクダ電子アリーナは1万9103人で埋まった。千葉はJ2でシーズン最多の観客を集めている。0-3から4-3の大逆転だったプレーオフ準決勝、1-0で競り勝った決勝、いずれも黄色に染まったスタジアムの応援は大きな力になっていた。

 声援はチームを肯定してくれるパワーだ。応援する理由は様々だが、プレーそのものの魅力は決定的だったと思う。観て面白いサッカーを確立できていた。サッカーそのものが人々を動かし、人々がチームを走らせていた。

 小林慶行監督が3年間で築いたのは、いわば優勝争いをするチームのサッカーだ。

 敵陣に攻め込み、ボールを失っても即時の守備で奪回、さらに攻め続ける。攻撃的でエネルギッシュ、観ていて面白い。就任前のシーズンを10位で終えたチームがやるには分不相応とも言えるが、やり続けた結果、本当に優勝を争うチームになったわけだ。

 プロは「結果がすべて」とよく言われるが、結果は勝敗だけを意味しない。プロは興行だからだ。たとえ優勝してもスタジアムがガラガラなら経営は立ち行かなくなる。観客を感動させ、新規客を増やせる、魅力あるサッカーで勝つ必要がある。

 それがどんなサッカーなのか。答えは1つではない。ファンにどんなサッカーがいいか聞いても答えは様々だろう。大半は「勝てばいい」と答えると思う。だからこれに関してはチームが提示すべきものだ。プロとして、「こういう魅力のあるサッカーをしますけど、どう?」という問いかけをしなければならない。何でもそうだが、具体的に形になったものを目にして、人は初めて「これこそ求めていたものだ」と気づく。それを提示するのはプロである監督、選手たちの仕事になるわけだ。

 どんなサッカーに魅力があるのか、その答えは1つではない。ただ、およその枠というものはあると思う。

 本当にサッカーが好きな人は、すでにいろいろな試合やプレーから魅力をもらっているからだ。サッカーそのものから啓示を受けている。当然、監督や選手も同じなので、ファンのマジョリティが魅力を感じるサッカーがどういうものか、その大枠はあると考えられる。

 だから欧州5大リーグのチャンピオンは大枠で同じようなプレースタイルになっていて、優勝争いをするチームのサッカーはおよそ決まっているわけだ。

 小林監督が志向したのはそういうサッカーだった。それは多くのファンに支持され、最終的に昇格の原動力になった。

 問題はそれを具現化できるか、それをもって勝利することができるか。そのためのバックアップをクラブが行えるかどうか。16年目はそれらが揃ったわけだが、昇格できなかった15年間はどれかをクリアできなかったわけだ。

5年間で3回のプレーオフ。「あと一歩」が結果至上主義を招く

 J2最初のシーズンは2010年。江尻篤彦監督が率いて4位だった。江尻監督は魅力あるサッカーを提示しようとしていた。

 2年前、千葉はアレックス・ミラー監督下で「奇跡の残留」を果たしている。リバプールのコーチだったミラー監督は堅守サッカーの信奉者。「チバナチオ」なんて言われたものだが、実際イタリアのカテナッチョが大好きだった。しかし、それで降格してしまったので反動もあったのかもしれない。ともあれ、江尻監督は技巧的なパスサッカーで魅力の再構築とJ1復帰を目指していた。

……

残り:2,776文字/全文:4,429文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

関連記事

RANKING

関連記事