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誰もやっていないからこそ、発信する価値がある地方クラブ×サポーターの幸福な関係

2019.08.05

2018年5月に創設されたフットボリスタのオンラインサロン「フットボリスタ・ラボ」。国外のプロクラブで指導経験を持つコーチに部活動顧問といった指導者から、サッカーを生業にこそしていないものの人一倍の情熱を注いでいる社会人や大学生、現役高校生まで、様々なバックグラウンドを持つメンバーたちが日々、サッカーについて学び合い交流を深めている。この連載では、そんなバラエティに富んだラボメンの素顔とラボ内での活動、“革命”の模様を紹介していく。

今回は、レノファ山口のサポーターとしてTwitterブログで情報発信を行い、フットボリスタWEB上でも戦術からクラブ経営まで幅広いジャンルでの記事執筆を行っているジェイさん。地方クラブを応援し発信することの魅力について語ってもらった。

レノファ山口との出会い


── そもそもサッカーやレノファ山口をどういう経緯で好きになったんですか? 地元は山口ですよね。

 「そうです。僕の地元はサッカーより野球の方が盛んな地域で、最初は『将来の夢はプロ野球選手』と作文に書くくらいの野球少年でした。それが小6の冬休みに『キャプテン翼』を読んで影響されて、中学からいきなりサッカーに転向しました。プレーヤーとしては全然大したことがなくて、なぜかサンフレッチェユースと対戦する機会がありましたが0-19で大敗しました。同じ人間とは思えなくて、日本人が決定力不足とか嘘だろと(笑)」


── 観戦する方はどうでしたか?

 「中学に入った頃にちょうどJリーグが始まって、これまた漫画『Jドリーム』の影響で浦和レッズを応援していました。社会人の最初の頃までは浦和ファンでしたね。埼玉のホームには1、2回しか行ったことがないんですが、地方在住レッズファンという感じで西日本のアウェイには結構通っていました」


── そこからなぜレノファになったんですか?

 「浦和がゴタゴタしていてうーんと思っていた時期に、ちょうどレノファが出てきたんですよね。2006年には前身の教員団から『レノファ山口』と名前が変わってJリーグを目指し始めていたんですけど、当時は僕も全然知らなかったです。その後2、3年経ってようやく存在を知って、2009年の地域リーグ開幕戦が初めての試合観戦でした。ただ最初の頃はホームでたまに見る程度で、JFLに昇格した2014年から本腰を入れて応援し始めました。ちょうど転勤から山口に戻ってきたので、アパートもスタジアムの近くを探して借りて(笑)」


── すごいですね。その頃からレノファの情報発信も始めて。

 「当時はインターネット上の情報もまだまだ少なかったんですが、どうもTwitterにはいろんな人が感想を書いたりしているようだ、ということで、自分もTwitterを始めてみました。そのうち自分でも発信してみたいという思いが出てきて、せっかくだから解説ブログの真似ごとをやってみようと、2014年の夏頃に初めて得点シーンの解説みたいなことを書きました」


── 反響はどうでした?

 「最初はそもそも見てくれる人が少なくて、ブログも普段は10人程度、更新した日でも多くて100人くらいだったんですけど、気がついたらチームの昇格と躍進と一緒に増えてきていたという感じです。2014年以降はほぼ全試合見ていますし、2015年は全試合ブログを更新しました」


── 今ではTwitterのフォロワー数も4000人以上いますよね。地方クラブのインフルエンサーのような存在になるために必要なことって何かありますか?

 「僕はフットボリスタで記事を書かせてもらったのが1つ起爆剤になりましたね。それまでもレノファの注目度が上がっていくのと一緒にフォロワー数も増えていってはいましたけど、フットボリスタWEBで記事を初めて書かせていただく前は、1300人くらいしかいなかったと思います」


── W杯のリアルタイム戦術レポートですよね。あの記事は話題になりました。

 「おかげさまで、記事がアップされた日にいきなり200人くらいフォロワーが増えて驚きました。やっぱり地方クラブの話題だとそもそも読んでくれる人の絶対数が少ないというのがあって、その意味ではJ1や海外について書いている人の方が有利なんですよね。でも逆に言うとライバルが少ない、いないということでもある。別に戦術記事に限らず、観戦記とかマスコットやグルメみたいなのでも、自分の色を出せたらいいと思います。僕も最初の頃は戦術的なことはおまけ程度でした。なので、もし地元にこれから上がっていきそうなクラブがあったら、今のうちから見ておくのが重要かなと。あとは特に地方だと、共感を得ることが大事ですね。独自の表現を出しつつ、いかに『ああそうだよね』っていう部分を切り取れるかという」

地方クラブを応援する楽しさ


── ジェイさんは、地元のクラブスタッフやメディアの方とも繋がりが強いですよね。

 「田舎の新興クラブなので、メディアとサポーターの距離が近いんですよね。メディアの方がサポーターの飲み会に参加することもありましたし、古参のサポーターさんになるほどメディアやクラブスタッフと仲の良い方が多いです。それと初期からアウェイにも駆けつけていた人はクラブスタッフだけでなく、選手にも認知されたりしていますね。新潟駅前で某選手と遭遇した時に『こんなところまでご苦労様です、ジェイさん』と名前を呼ばれた時は心臓が止まるかと思いました」


── 何もかも距離が近いですね、地方クラブは。そのあたりは関東圏のクラブにはない関わり合い方なのかなと。

 「同じ地方でも、例えば広島や岡山はけっこうな大都市なのでそこまで近くないと思うんです。でも山口は町が狭過ぎて、意図せずとも選手とばったり出会ってしまう。飲食店やドラッグストアだったり病院だったり、あらゆる場所で選手やその家族に遭遇してしまうんですね。すごく身近なところで普通にプロ選手が生活しているから、商店街の人とかも『あの子が出るんだったら見に行ってみようかな』となったり。距離感が近いがゆえの、仲間というかファミリー感というか、そういう雰囲気があります。あとは逆に何もかも足らないところも、楽しめる部分なのかなと思います。予算はない、スタッフも足りないっていうないもの尽くしですけど、でもそれがちょっとずつ成長していくのを見られるというのは、リアルサカつく的な楽しみがあります。今思うと、Jリーグに上がる前の下部リーグの時代を見られたのは、得難い体験だったなと思います。一緒にJFLからJ3、J2と上がっていく経験をすることができて、よくここまで来たなと」


── 山口は結構すぐJ2まで昇格してきていますよね。

 「はい、JFLに上がってからJ2まではまったくつまずかなかったんですよね。地域リーグではずっと足踏みしてきたのに、いざJFLに上がってみたら毎年のように昇格するという」


── なんでそんなにスムーズにいったんですか?

 「2014年に上野展裕監督が就任したのは大きかったです。今となっては非常に先進的なポジショナルプレーっぽいサッカーをやっていて、特に2015年のJ3時代は無敵状態に近かった。リーグ戦でも100点近く点を取りました」


── すごいですよね。予算がすごくあったわけでもないのに。

 「そうなんですよ。お金もなくて、上から落ちてきた実績のある選手もほとんどいなかったんですが、上野監督の戦術と目利き、育成力ですね。JFL以下のリーグでくすぶっていた選手が、気がつけば何人もJ1に行っている。これはスカウティングだけではなくて、バルの話題にもあった『ポジショナルプレーが選手を成長させる』という側面もいくらかあったと思います。J2の1年目も、後半はさすがに研究されたんですけど前半までは快進撃だった。僕の勝手な持論なのですが、あの時の山口がきっかけでJ2・J3で戦術を重視する傾向が生まれたんじゃないかと思っています」


── そこから霜田監督になって今に至るわけですが。

 「どこまで意識してかはわからないですけど、やっぱり攻撃的なサッカーというコンセプトはクラブもファンも根っこにある感じがしますね。山口で質実剛健なサッカーは流行らないんじゃないかなとも思います」


── なにか地域性があるんでしょうか?

 「J3時代にあまりに得点が多かったので、サッカーはそういう競技だと県民が勘違いしてしまったのかもしれません(笑)。それにしても、僕が初めて見た地域リーグの試合からそうだったんですよね。凄く攻撃的で面白いんだけど、その分バイタルエリアはガバガバという。昔から、監督や経営者が変わってもなぜかそのあたりは変わらないんです。『諸君、狂いたまえ』的な維新のDNAなのかもしれません(笑)」


── 基本的に攻撃的なサッカーは下部カテゴリーだと苦戦しているイメージがありますが、どうしてうまく行ったんでしょう?

 「あまり知られていないかもしれないんですが、上野監督1年目のJFLの年はそこまでイケイケなサッカーをしていないんです。1年目は最初の2試合くらいでポジショナル的なものは若干諦めた感じがあって、町田から期限つき加入していたCFの岸田和人がJFLでは反則級だったので、そこへ放り込む展開も多かった。その点は上野さんのうまい割り切りだったのかなと。下部リーグはFWで殴れればかなり優位ですし、勝ち上がるには割り切りをどこでできるかっていうのも大事なのかなと思います。と、こういうふうにクラブの歴史を偉そうに語れるのも新興クラブならではですよね。みなさんも明日の地方インフルエンサーを目指して地元クラブをウォッチしてください(笑)」


── 最後に、ラボでの活動についてお聞きできればと思います。今はリアルな場での地方の方との接点がどうしても少ない状況なのですが、そのあたりはいかがでしょう?

 「せっかく地方にいるので、逆に地方から盛り上げるような提案ができたらというのはすごく思っています。地方でこういうことをやりたいからフットボリスタの名前を使わせてほしいとか、経費まで試算してこの講師を呼んでくれと逆提案するとか、もっと自分たちからフットボリスタ・ラボを利用していくみたいなことがあってもいいのかなと思っています。僕個人としては今まで以上に、フットボリスタの名前をお借りして取材経験を積ませてもらったり、記事をたくさん書かせてもらいたいですね(笑)」


── 西日本のメンバーもすでにいろいろと動きがあるので、さらに盛り上げていってもらえたらありがたいです。今日はありがとうございました!

“スタグル”を味わうジェイさん。サポーター目線でバラエティに富んだ情報を発信することで多くの共感を集めている

フットボリスタ・ラボとは?

フットボリスタ主催のコミュニティ。目的は2つ。1つは編集部、プロの書き手、読者が垣根なく議論できる「サロン空間を作ること」、もう1つはそこで生まれた知見で「新しい発想のコンテンツを作ること」。日常的な意見交換はもちろん、ゲストを招いてのラボメン限定リアルイベント開催などを通して海外と日本、ネット空間と現場、サッカー村と他分野の専門家――断絶している2つを繋ぐ架け橋を目指しています。

フットボリスタ・ラボ15期生 募集決定!

フットボリスタ・ラボ15期生の募集が決定しました。

募集開始日時:2019年8月6日(火)12:00~(定員到達次第、受付終了)

募集人数:若干名

その他、応募方法やサービス内容など詳細はこちらをご覧ください。皆様のご応募を心よりお待ち致しております。


Edition: Mirano Yokobori (footballista Lab), Baku Horimoto (footballista Lab)

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フットボリスタ・ラボレノファ山口

Profile

浅野 賀一

1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。