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カカーが、栄光も苦悩もあったキャリアを振り返り思うこと

2017.10.23

“それぞれの時代が、僕を幸せにしてくれた”

Interview with
KAKÁ
カカー

2017年12月17日、その去就が注目されていたカカーが正式に現役引退を発表した。このインタビューは、偉大な名手が引退の1年前に、栄光も苦悩もあった自身のキャリアを振り返った貴重なものだ。惜別を込めて、カカーの足跡に思いを馳せてほしい。

すべてを達成したミラン時代

あの決勝は、一番心に刻まれる試合だ

── このインタビューは日本の雑誌『フットボリスタ』の創刊10周年号に掲載されます。ですので、今日はカカーのこの10年間を振り返りたいと思っています。

 「人生には、時期とか時代というものがあると思うんだ。僕は実際、自分のそれぞれの時代を凄く良く生かせてきた。日本でのワールドカップに行った2002年はもっと若い時代で、すべての経験を楽しんで吸収しようとしていた。2006年、2010年の大会では、僕はチームの中でも重要な存在になった。そしてその後、もっと経験豊富で成熟した時代が来た。そんなふうに各時代を生かせてきたし、そういう機会を得てきたことを幸せに思っているよ。今の僕は、特に精神面でとてもバランスが取れている。だから、プロとして凄く良い時期にあると思っているんだ」

── あなたのプレーはどう変わりましたか?

 「試合を理解できるようになった。この間、インテルでプレーするミランダと話していたんだ。彼はイタリアに行って毎日戦術練習をやっている、と。『それってうんざりするよね』と言い合った(笑)。僕がそこへ行った時も、あまり好きになれなかったことの一つだったから。でも今、自分のイタリア時代を振り返って、最も価値があったと思えることだ、とも言った。シーズンの終わりになると、自分の戦術眼やサッカーの見方が、シーズンの始まりと比べてどれだけ変わっていたことか、と。試合でピッチの中にいて、何が起こっているのかがわかるし、その場でのベストな選択肢がわかる。この年齢になった今、それが実感できる。突破すべき時、キープすべき時、ペースを落とすべき時がわかる。ポジショニングのことも含め、より良く試合を読めるようになったんだ」

── サンパウロからミランに移籍したのは2003年。当時、たぶんミランはカカーの将来に賭けたんだろうけれど、加入直後から活躍し始め、最終的にはすべてを達成した。そんな自分を想像していましたか?

 「いや、想像していなかった。サンパウロを去る時、僕はまだ21歳。クラブ首脳陣が言ったんだ。『君はミランでベンチ暮らしをすることになる。それでも挑戦したいならクラブは君を送り出そう』って。あの頃、僕のポジションにはリバウドとルイ・コスタがいたからね。でも、それでもいいと思った。ミランというビッグクラブで学びたいことがたくさんある、とね。それで移籍して練習を始め、僕にもプレーするコンディションがあることを見せて、ポジションを獲得した。そしてチームはセリエAで優勝し、僕も年間MVPに選ばれたんだ。それがヨーロッパでのスタートだった」

── この雑誌の創刊シーズン「06-07」というと、やはりチャンピオンズリーグ優勝です。

 「あの決勝は、ミラン時代を通しても一番心に刻まれる試合だよ。相手はリバプール。2005年の決勝で敗れたのも彼らだったんだ。あの決勝は素晴らしいものだった。その結果、僕も大会MVPを獲得した。あのシーズンは、FIFA世界最優秀選手賞(当時)も受賞できて最高な年になった。個人的には、準決勝マンチェスター・ユナイテッド戦のゴールが思い出に残る。アウェイとホームのサンシーロで決めたんだ。勝利への決定的な瞬間だった。経歴に刻まれるものになったね」

── 大会得点王にもなりました。

 「FWでもないのにね。僕にとっては大ニュースだよ。想像したこともなかったのに、10ゴールを決めて得点王になった。それもチャンピオンズリーグという、ヨーロッパ最高峰の大会でだからね」

マドリッド…そしてMLSへ

難しい時期、多くを学んだ年月だった

── そのミランを去り、レアル・マドリーに行ったのは、自分の意思以上にクラブの経営的な事情が大きかったんですよね。

 「首脳陣もはっきりと言ってくれたんだ。その時、クラブがどういう状況で何が必要だったか。それで僕は、移籍しなければならないのならレアル・マドリーが良いと決断した。僕には“どこのクラブでプレーしたい”というのはなかったんだ。ただ、あの時点でマドリーはチャンピオンズリーグで9回優勝していた。ミランは7回。それだけでも、この2つのクラブの偉大さやヨーロッパのシンボルのような存在であることを示しているからね。もちろん大きな挑戦だったけど、人生には訪れる分岐点で、新たなモチベーションを求めなければならない時、というのはあるものだよ」

── 振り返って、レアル・マドリーでの4年間(09-13)は、今のカカーにとって何を意味しますか?

 「凄く良かったよ。難しい年月ではあったけどね。僕自身が期待していたこと、それに僕に懸かっていた期待も考えると、難しい時期だった。多くを学んだ年月だった。多くのことに対して戦わなければならなかったし、理解しなければならなかった。神のご加護も必要だった。凄く強くなければならなかった。だが誠実に言っても、僕の経歴の上でレアル・マドリーでプレーするというのは必要なことだったんだ。ヨーロッパで、いや世界でも最高の2つのクラブでプレーする機会が持てたことを、本当に幸せに思う」

── その後、ミランに復帰して再び結果を出しました。

 「ミランへ戻ったことは、とても良い判断だったと思っている。復帰後、最初の試合でケガをしただけで、その後はフィジカル的にも何の問題もなく全試合でプレーした。サッカーをプレーする喜びを、再び取り戻すことができたんだから」

── アメリカでプレーしようと決めた最大の理由は?

 「僕はいつでも、いつかアメリカでプレーしたいと言っていたんだ。ここのリーグは凄く成長すると信じているからね。今は種をまく時期。たぶんMLSがもっと繁栄する頃には、もうここでプレーしていないだろうけど、このリーグの成長と発展に参加したかった。だから、この時期にここへ来ることを選択したんだ。実際、MLSのプランと組織力は印象的だよ。それに、成長の仕方。みんなが一緒に成長していっている。しかも、持続可能な成長だ」

── そしてさらに、カカーが人気をもたらした。

 「ああ、僕が来たことで少し人気度が上がったと信じている。それとおそらく、少し信頼感も。他の選手がここへ来る上でのね。そういう面でも寄与したかったし、オーランド・シティのプロジェクトにも参加したかった。ゼロから始まったチームだから、ファンタスティックな経験になりつつあるんだ。簡単じゃないよ。学ぶことも多いし、忍耐も必要だから。でも、そういうのもすべてプロジェクトの一部。プロとしても、人間としても、非常に良い経験になりつつあるよ」

── これまで一緒にプレーした選手の中で、あなたにとって最高の“パスの受け手”と“パスの出し手”は誰?

 「僕の主な特徴は、攻撃を生み出すこと。チームメイトが誰であるかにかかわらず、他の選手がゴールを決めるためにパスを出すこと。それが、ピッチでの主な役割だ。だから、パスの出し方は選手ごとに変えるよ。それぞれにボールの受け方も違うし、好きなプレースタイルもある。だから、選手の好みを知るのは重要なことだ。ロングボールが好きだとか、短いパスを繋ぐのが好きだとか。すべて受け手の特徴によって変えるものなんだ。一人ひとりの特徴やスタイルが組み合わさって、攻撃は完成されたものになるんだから。監督が戦術的に僕に何を指示するか、というのもある。それにのっとって、僕は僕の役割を果たし、攻撃を生み出すんだ。そして、FWの近くに行く。ゴールするチャンスがあればいつでも、僕はそこに行くよ。なぜなら、ゴールを決める感動は凄く大きいからね」

── あなたがヨーロッパを去った後、現在のセリエAやリーガにはどんな変化を感じていますか?

「全体的に言えるのは、現代サッカーではますます選手のフィジカルコンディションが要求されるようになっているということ。その国のサッカーやクラブへの適応にはいろいろな要素が関わってくるけど、一番大事なのはベストなフォームであること。それが維持できなければ、すべてが難しくなる」

── 今でもミランやレアル・マドリーの試合を見ていますか? その時はどんな気持ちで?

 「今はサポーターの気持ちで見ているよ。ワクワクしながら応援している。苦しんでいる時も、僕らはわかるからね、そのピッチの中での難しさを。よく言われるよね。ああ、簡単なシュートを外した、とか(笑)。でもその瞬間には、何が起こってそうなったか、というのが常にあるんだ。だから思いは同じくしながら、けれどピッチの外にいるからにはただ応援している」

── 現在の古巣2チームで特に注目している選手は?
「クリスティアーノ・ロナウドは、今も素晴らしい選手であり続けている。彼のプレーを見るのが好きなんだ。素晴らしいゴール、素晴らしいプレー。パワーもある。彼と同じクラブにいられたことを誇りに思うよ。日々、彼と話し、彼が練習や試合で何をするかをいつも見ていた。彼とプレーするのは大きな喜びだった。毎日見ていても、毎日のプレーが印象的なんだ」

── 今、思い描いている将来のプランはありますか?

 「35歳になった時、自分がセレソンに定着しているか、いないか。もう一度ワールドカップに行く可能性があるか、ないか。そういうすべてを合わせて、決断を下すつもりだ」

── 今、私が感じているのは、カカーは最高の時期を過ごしたり、苦しい時期を乗り越えたり、いろいろあったけれど、人間性は変わらないということです。

 「同じであり続けているよ。選手としては、凄く学んだし成熟した。経験も増した。でも人間としては、あなたが長年知っているように、そんなに変わってないと思うよ(笑)」

── 最後に、日本のカカー・ファンに向けてメッセージをお願いします!

 「日本の人たちには、いつだって感謝しているんだ。SNSによって僕らは少し近づいたような気がするんだけど、日本のみんなはいつでも応援し、コメントをしてくれる。その愛情は凄く印象的だし、遠くにいても近くに感じることができるんだ。みなさんにありがとうのキスを。チャウチャウ!」

Ricardo Izecson dos Santos Leite “KAKÁ”
リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ “カカー”

1982.4.22(35歳)185cm / 82kg MF BRAZIL

ブラジリア生まれ、サンパウロ育ち。幼少期、弟が本名のリカルドを発音できず“カカー”と呼んでいたことが愛称の由来。サンパウロのユースでキャリアを始め、01年2月にトップデビュー。03年にミランへ移籍し、初年度からリーグ優勝に貢献する。06-07にはCL優勝を果たし、自身もFIFA最優秀選手賞&バロンドール(10年から統合)を受賞。6季で公式戦271試合96得点をマークした。09年にRマドリーへ活躍の場を移すが、ケガに苦しみリーグ戦の出場は4季で85試合のみ。13年にミランへ復帰する。翌年7月、15年からMLSに参入するオーランド・シティに加入が決定。古巣サンパウロで半年間プレー後、初代キャプテンとして15年は28試合9得点、16年は24試合9得点、17年は23試合6得点を記録。17年シーズンをもってチームを去ることを表明した。02年デビューのブラジル代表ではW杯3大会を経験。通算92試合29得点。

PLAYING CAREER
2001-03 São Paulo
2003-09 Milan (ITA)
2009-13 Real Madrid (ESP)
2013-14 Milan (ITA)
2014 São Paulo on loan
2014-2017 Orlando City (USA)

オーランド・シティ公式チャンネルによる惜別動画

Photo: Getty Images

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Profile

藤原 清美

2001年、リオデジャネイロに拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特にサッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のTV・執筆等で成果を発表している。W杯6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTube『Planeta Kiyomi』も運営中。