なぜいいサッカーをすることが大事なのか

「なぜアッレグリのユベントスは『見るに堪えない』のか?」
ある読者から届いたこの問いは、イタリアのWEBマガジン『ウルティモ・ウオモ』にサッカーにおける美とは何かについて、あらためて考える機会を与えてくれたという。我われはピッチ上の試合に何を期待しているのか。結果至上主義に引導を渡すようなサッカーの今後を語る指針としても興味深い論説(2023年10月20日公開)を2024年5月の解任後、1年間の休養期間を経て現場に復帰するマッシミリアーノ・アッレグリのミラン監督再任にあわせて特別掲載する。
※『フットボリスタ第100号』より掲載。
2018年、ある読者から、なぜアッレグリのユベントスは「見るに堪えない」のか? という質問の投書を受けた。当時のユベントスは、カーディフでのCL決勝でレアル・マドリーに敗れて間もない時期で、イグアイン、ディバラ、ドウグラス・コスタをはじめ、偉大なプレーヤーを数多く擁するチームだった。そのシーズンも、ミラノでインテルにリードされながら終了間際の2ゴールで逆転勝利を収め、その翌日フィレンツェで不甲斐ない敗北を喫したナポリとの接戦を制してスクデット7連覇を達成することになる。

その質問は、サッカーにおける美とは何かについて、あらためて広く省察する機会を与えてくれた。そこで私は、サッカーにおける美とは、一つのプレーをめぐる個の次元にとどまらず、戦術的調和、組織的なプレーの機能性など、コレクティブな次元にまで及ぶものだと論じた。それから5 年の時を経た今もなお、というよりも今さらに、この質問は意味を持ち続けている。ここで正直に告白すれば、私にとってユベントスの試合を見るのは特に楽しいことではない。つまるところ、ユベントスのサッカーは「見るに堪えない」という意見に、私も同意するということだ。
サッカーの試合に何を求めるか?
しかし、当時も今もまず最初にするべきは、この議論の根底にある問いに立ち戻ることだろう。あるチームが「見るに堪えない」と我われが言う時、それは何を意味しているのだろうか? これは、私たちの期待をめぐる問いだ。我われは、サッカーの試合に何を期待しているだろうか? ピッチ上の22人に何を求めているのだろうか?
サッカーは複雑な感情をもたらすスポーツだ。90 分という時間の中で決定機、シュート、ゴールといったピークはごく稀にしか起こらず、起伏の少ない平板な時間の中でそれを起こそうと繰り返される試みは、ほとんどいつも何ももたらすことなく唐突に途切れて終わる。観戦者は常に緊張状態の中にあって、何かが起こることを待機し、そこに意識のほとんどを向けている。希望と怖れが入り交じった複雑な感情の中で、その緊張が解き放たれる瞬間を待ち続ける。その意味においてサッカーは、次々とイベントが起こるスペクタクルなスポーツとはほど遠い。加えて、身体の中でも敏感さに欠けボールを扱うには向いていない足を使うスポーツであり、それゆえプレーは正確性に欠けるしミスの確率も高く、調和の取れた技術的振る舞い、つまり我われが考えるところの美しさを帯びるのは簡単ではない。
サッカーというスペクタクルを享受する層は一つではない。まず、ビッグイベントで戦う代表チームの試合や欧州カップ戦のファイナルになら興味を示すようなライト層がいる。そして、数の上ではおそらく多数派を構成しているサッカーファンがいる。特定のチームを応援しつつ、サッカーそのものが好きで多くの試合を観戦する人々だ。
サッカーファンにとって、試合を観る楽しさはどこにあるのだろうか? プレーヤーの運動能力やコーディネーション、創造性や意外性が存分に発揮された高度なプレーは、間違いなく試合を美しいものにする。しかしコレクティブな次元におけるチームの戦術的な振る舞いもまた、プレーヤーが美しいプレーを見せる機会をお膳立てするだけにとどまらず、サッカーの試合が持つ美しさの度合いを決定づける要素の一つだ。数少ないピークの瞬間に備え、それを待ち続ける時間、希望と怖れ、期待と不安という感情が圧縮されていく時間の質に、決して小さくない影響を及ぼす。明快で一貫性を持ち狙い通りに行われた戦略・戦術は、サッカーの試合における「待機の時間」を満たし、豊かなものにする。両チームが準備した戦略・戦術を観察しつつ、その発想や遂行の良し悪しを味わい評価するのは、一つの知的な愉しみだと言うこともできる。それは同時に、チームがピッチ上で、我われの期待に意味を与え感情を解き放つためのメカニズムを実行に移しているのだという感覚も与えてくれる。

サッカーの戦略において、支配的とは言わないまでも重要な部分を占めるのが、守備の局面にまつわるそれであることは確かだ。敵の攻撃に備え、それを防ぐというのは、サッカーの試合におけるすべてのピークを否定し、それを削ぎ落とす行為だ。サッカーファンならば、効果的に準備され遂行された守備の戦術を観察し、そのロジックや機能を読み解くことにも愉しみを見出すことができるだろう。しかし大部分の人々にとっては守備よりも攻撃の方が面白いものであり、それゆえアイデンティティの基盤を守備に置いたチームは、観る楽しさにおいて劣ると一般的には考えられている。
アッレグリのユベントス
アッレグリのユベントスに話を戻すと、その内在的なアイデンティティが守備、しかもきわめて保守的で慎重な基準に則ったそれに根ざしていることは否定できない。サッカーにおける守備のアプローチは多様であり、サッカーのようにきわめて流動的かつ連続的スポーツにおいて、守備の局面は密接に、そして分かち難く攻撃の局面と結びついている。この観点から見ると、アッレグリのユベントスがリスクを避けるために用いている慎重さは、チームのあらゆる側面に影響を与えずにはおかない。
最も顕著なのは、純粋な守備の局面、すなわちユベントスがボールを保持している相手に対応するそのやり方だ。アッレグリのチームにとって、守備の局面を攻撃の出発点として用いることの優先順位は高くない。彼らの狙いは、ボールを高い位置で奪回することや、ボールロスト直後でバランスを崩した相手にカウンターアタックを仕掛ける手段としてプレッシングを用いることではなく、単に自分たちがゴールを喫するリスクを最小化することだけに向けられている。
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Profile
ウルティモ ウオモ
ダニエレ・マヌシアとティモシー・スモールの2人が共同で創設したイタリア発のまったく新しいWEBマガジン。長文の分析・考察が中心で、テクニカルで専門的な世界と文学的にスポーツを語る世界を一つに統合することを目指す。従来のジャーナリズムにはなかった専門性の高い記事で新たなファン層を開拓し、イタリア国内で高い評価を得ている。媒体名のウルティモ・ウオモは「最後の1人=オフサイドラインの基準となるDF」を意味する。