J2リーグ最終節、V・ファーレン長崎は徳島ヴォルティスと1-1で引き分け、勝ち点70で2位が確定。クラブ通算2度目、そして8シーズンぶりのJ1昇格が決まった。シーズン途中での監督交代があるなど紆余曲折の1年だったが、長崎が昇格を成し遂げた理由、そして高田旭人会長を中心とした野心的なプロジェクトへの期待を、クラブを追い続ける藤原裕久記者にレポートしてもらおう。
2018年11月17日にリーグ戦を2試合残してV・ファーレン長崎のJ2降格が決定した。当時、自動降格圏のJ1で17位という順位はすでに確定して中、J2の試合結果によっては17位まで残留できる可能性を残していたのだが、その可能性が断たれたのがこの日だった。それから2569日。2025年11月29日にV・ファーレン長崎の2度目のJ1昇格が決まった。それは、経営危機と厳しい予算の中で「奇跡」と呼ばれたJ1昇格を達成し翌年にJ2降格を味わってから、毎シーズンのようにJ1昇格の大本命と言われながらどうしても届かなかった悲願に辿り着いた瞬間だった。

想定外の自由?第二次高木琢也体制での変化
J2降格後のすべてのシーズンと同様に、今年のJ2も実に厳しい戦いが続いた。
J2最強クラスと言われたチームは、高い攻撃力とタレントの質を見せつける一方で、故障者が相次ぐ状況の中でチームバランスが破綻。徐々にケガ人も復帰し、チームの調子自体は戻りつつあったが、守備の整備が進まないまま上位決戦で苦戦し、シーズン途中の6月で監督交代へと踏み切った。

下平隆宏前監督の交代時点での順位はちょうどリーグ折り返しの19試合を終えて8位。通常なら特別悪い成績ではない。だが、リーグトップの戦力を揃えJ1昇格をノルマとするクラブにとって許容できる順位ではない。当然、後任となった高木琢也監督のミッションは、残り19試合でJ1昇格の可能性を限りなく引き上げること。そのために首位と同勝ち点差の2位との間に横たわる勝ち点10差をいかに縮めるかとなる。しかも、就任発表から5日後にはアウェイゲームが控え、この時点で一部主力が海外やJ1へ移籍する話も持ち上がっている。取り巻く条件はかなり厳しい。
その中で、高木監督は「戦術を落とし込む時間はない。なら、最低限の約束事だけを示して、今いる選手とスタッフをいかに生かすか。どう彼らが力を出せるようにマネジメントするか。それが重要」と考え、それを忠実に実践した。攻撃のエースであるマテウス・ジェズスには、前監督同様にある程度の自由度を残しつつ山口蛍にそのカバー役を任せてその攻撃力を維持させ、その一方で澤田崇、フアンマ・デルガドといった高木監督のスタイルを知る選手を起用してチームのバランスを整える。そして選手の質と層を生かすための素早い交代で、多くの選手にチャンスを与えて、練習では積極的に選手やスタッフに声をかけてコミュニケーションを重ねた。

徹底的に細かく戦術を落とし込み、妥協を許さぬ孤高の監督。かつての高木監督を知る者たちからそう聞いていた選手にとって、想定外の自由を与え、積極的に話かけてくる指揮官の振る舞いは予想外で、それが自身のプレーを冷静に振り返る余裕へとつながった。高木監督自身は以前ほど「ハードワーク」と話していないのに、選手たちの走力と球際の強度は上がっていったのである。
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Profile
藤原 裕久
カテゴリーや年代を問わず、長崎県のサッカーを中心に取材、執筆し、各専門誌へ寄稿中。特に地元クラブのV・ファーレン長崎については、発足時から現在に至るまで全てのシーズンを知る唯一のライターとして、2012年にはJ2昇格記念誌を発行し、2015年にはクラブ創設10周年メモリアルOB戦の企画を務めた。
