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フェデリコ・レドンド。「史上最高の」父とソラーリ家の血統を継ぐ20歳の“ライトモティーフ”とは?

2023.06.06

卓越したパス能力、しなやかな動き、そしてファッションブランドの広告に起用されても不思議ではないほど端麗な容姿――フェデリコ・レドンド(Federico Redondo)がただ者ではないことは、ピッチ上で躍動するその姿を見れば、サッカー愛好家なら誰もが一目で気づくだろう。昨年6月、ガブリエル・ミリート監督率いるアルヘンティノス・ジュニオルスでトップチームデビュー。ハビエル・マスチェラーノ監督によってU-20アルゼンチン代表メンバーに選ばれ、同国で開催中のU-20W杯に出場したフェデリコは苗字からもわかる通り、かのフェルナンド・レドンドの次男である。

アルゼンチン屈指のサッカー一族の末裔

 スペインの首都マドリッドに生まれ、5歳でアルゼンチンに帰国。9歳の時、父に倣ってアルヘンティノスの下部組織でサッカーを始めただけでなく、ジュニア時代からずっと父と同じ5番(アルゼンチンではボランチ)でプレーしてきた。ボランチの名手だった父について聞かれるたびに「動画として残されている現役時代のプレーは全部観た」と誇らしげに語り、「史上最高の5番」と称賛するが、実際にプレーの参考にしたのは父ではなく、フェルナンド・ガゴ(現ラシン監督)だったそうだ。

 かつて「レドンドの後継者」と呼ばれたガゴは、ジュニア時代のレドンドを発掘した指導者ラモン・マドーニによって育てられた。そのガゴがレドンドに憧れながら成長し、レドンドの息子がガゴのプレーを手本にするという伝承過程は贅沢の極みと言っていいが、フェデリコに才能を授けたのは父だけではない。というのも彼は「レドンドの息子」であると同時に、サッカー一族として知られるソラーリ家の一員でもあるからだ。

ボカ・ジュニオルスやレアル・マドリーなどでプレーし、引退後は指導者の道に進んだフェルナンド・ガゴ。2021年10月から母国のラシンで監督を務めている

 フェデリコの母ナタリアは、1995年に横浜マリノス(当時)を指揮した経歴もある指導者ホルヘ・ソラーリの長女で、かつてレアル・マドリーに在籍したサンティアゴ・ソラーリの従姉にあたる。フェデリコは父よりも従兄のアウグスト・ソラーリ(セルタ所属)やサンティアゴの弟ダビによく似ており、顔立ちからもソラーリ家の末裔(まつえい)であることは歴然だ。

 祖父ホルヘは1960年代にプロサッカー選手として活躍し、アルゼンチン代表MFとして66年W杯に出場。叔祖父エドゥアルド(サンティアゴの父)も、彼らの息子たちから孫たち(フェデリコの兄フェルナンドを含む)に至るまでほぼ全員がプロ選手となってソラーリ家の伝統を守り続けているが、彼らがサッカー一族と呼ばれる理由はそれだけではない。

 1975年、ホルヘとエドゥアルドは故郷ロサリオにアマチュアのサッカークラブ「レナト・セサリーニ」を設立。サンタフェ州リーグに参戦しながら選手を育てると同時に、次世代の指導者を育成する養成機関でもあり、クラブ出身者の中には元アルゼンチン代表選手で現在監督として活躍中のマルティン・デミチェリス(リーベルプレート)やハビエル・マスチェラーノ(U-20アルゼンチン代表)などがいる他、エルチェの監督を務めるセバスティアン・ベカセッセは、大学生だった19歳の頃にレナト・セサリーニの門を叩き、ホルヘの下で指導者としてのキャリアをスタートさせている。

 それぞれが恵まれた素質を生かして選手、監督になるだけにとどまらず、半世紀近い歴史を持つクラブでサッカーの基本と指導の極意を伝授し続ける一族。フェデリコは、そんなソラーリ家と名手レドンドの血統を引き継ぐサラブレッドなのである。

父フェルナンド・レドンドは現役時代、アルヘンティノス(85-90)からテネリフェ(90-94)を経てレアル・マドリー(94-00)で活躍。アルゼンチン代表(92-99)では29試合1得点を記録した

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Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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