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インテル3冠の陰の立役者、ゴラン・パンデフ引退。名脇役を演じた寡黙なリーダーとの別れに寄せて

2022.10.05

39歳を迎えた北マケドニアの英雄が、現役生活に終止符を打った。9月22日、自身のInstagramで「美しいチャプターが終わりを迎えた……。信じられないほど豊かな感情を一緒に共有できて幸せだった」と想いの丈を綴り、引退を宣言したゴラン・パンデフ。大半をイタリアで過ごしたキャリアの中でも記憶に残るのは、2009-10シーズンにインテルが達成した3冠への貢献だ。当時から「寡黙なリーダー」の勇姿を見守り続けてきたインテリスタの白面氏がコラムを寄せる。

 約1年半在籍のインテルで残した記録は、通算69試合出場、8得点、11アシスト。数字だけで見ると、前線の選手として突出した成績を残していたわけではない。

 だが、特別な日々をともに過ごした「仲間」としての彼を知るファンにとっては違う。表面上だけではとても語り尽くせない、稀有な存在感を持つプレーヤーであった。

 ゴラン・パンデフ。

 北マケドニアのサッカー史上、最大の英雄と言える選手である。今年9月、齢39にして、遂にスパイクを脱ぐことを決断したのだ。

 パンデフのキャリアを振り返ってみると、インテルというクラブはその長い旅路において、さほど長い時間を過ごしたクラブではない。だが、「彼を象徴するクラブはどこか?」と欧州サッカーファンに尋ねれば、多くから真っ先にインテルの名が挙げられるだろう。

 個人的にも思い入れが強い選手である。自分がインテルに惹かれ始めた時期と、彼がクラブにやって来た時期が、ピタリと重なっているためだ。ジョゼ・モウリーニョ指揮の下、3冠達成のラストピースとなったのが誰あろう彼、パンデフなのである。

苦境のインテルに到来した即戦力

 パンデフとの出会いは、2010年1月まで遡る。

 前年の夏、絶対的な攻撃の柱であったズラタン・イブラヒモビッチを放出したインテルは、サミュエル・エトー、ディエゴ・ミリート、ウェズレイ・スナイダーにチアゴ・モッタ、ルシオらの大型補強に成功する。当時の会長マッシモ・モラッティは、自身の悲願である欧州制覇に向けて、なりふり構わず超一流の即戦力をズラリとそろえてみせた。

 当時の陣容に対しては、故イビチャ・オシムをしても「インテルは欧州中を見渡しても、最も強力なメンバーをそろえたチームの1つだ」と言わしめていた。一方で「だが、それだけで勝てるわけではない。それがサッカーの面白さでもある」と釘を刺した通り、所属選手の充実ぶりから考えると2009-10シーズンの前半戦はいかにも物足りない試合が続いていたのだ。

 実際CLでは、グループステージから敗退の危機に晒されていた。前季王者のバルセロナはともかく、残る2チームはウクライナのディナモ・キーウと、ロシアのルビン・カザン。スペインの名門以外からは勝ち点が計算できると目された組み分けだったにもかかわらず、GS第3節終了時点での順位は最下位。続く第4節、ディナモ・キーウ相手に見せた終盤の逆転劇(○1-2)がなければ、3冠どころか決勝ラウンドの前に散る未来すらあり得たのだ。

2009-10CLのGS第4節ディナモ・キーウ戦では前半に先制を許すも、86分にミリート、89分にスナイダー(動画)がゴールを奪い、1-2で敵地から白星を持ち帰ったインテル

 底知れぬ可能性を感じさせながらも、どうにも危うさが拭い切れない。さらにラウンド16相手は前年ベスト4のチェルシーということもあり、暗雲が立ち込める状況と言えた。

 そんな苦境で冬の補強としてやって来たのが、ゴラン・パンデフだったのである。

45年ぶりCL制覇のラストピース

 実は加入当時、恥ずかしながら筆者はパンデフがどんな選手かまったく存じていなかった。理由は大きく2つ。1つは自分がカルチョを見始めてまだ日が浅かったことであり、もう1つは前所属ラツィオでクラウディオ・ロティート会長の不興を買い、長らく干されていたため。プレーできない状況に業を煮やしたパンデフは、裁判で争った末にインテルへと“戻ってきた”。実は彼のインテル在籍は2度目で、2001年に18歳で下部組織に加入したもののトップチームでは1分と出番を得ることができず、スペツィアとアンコーナへのレンタルを挟んで2004年にラツィオへと移籍した過去を持っている。

 古巣に帰還したパンデフのプレーを実際に見てみると、一目で実に使い勝手の良い選手であることがわかった。最大の特徴は、時代を先取りするかのようなユーティリティ性だ。

 当時のインテルの前線は、ミリート、エトー、スナイダーの3人がレギュラーとして定着。安定感には欠けるものの爆発力のあるマリオ・バロテッリが控えとして起用されていた一方、残るマンシーニ、ダビド・スアソ、リカルド・クアレスマらがどうにも噛み合わず、ほとんど出番がない状態だった(実際、マンシーニとスアソはこの冬に放出の憂き目に遭っている)。選手交代で戦い方に変化をつけることが、難しい状況に置かれていたわけである。

 この点、パンデフは実に頼りになる存在だった。CF、セカンドトップ、ウイングからトップ下まで、どのポジションでも器用にこなす。スナイダーが前半のうちに退場してしまった自身初のミラノダービー(○2-0)では、前線に残ってボールの預け先となりながら時間を作るだけでなく、直接フリーキックまで蹴り込んでみせた。

 他クラブでの活躍を見る限り、本来であれば適正ポジションは2トップの一角か、もしくは1トップでの起用だったように思える。パンデフの一番の武器はゴール前でのポジショニングの良さや嗅覚、DFとの駆け引きの巧みさだからだ。その類まれなセンスは、ラツィオ時代に指導したデリオ・ロッシから「ゴランは他の選手より数秒先にチャンスが見えている。まるで魔法のようだよ」とも形容されている。

192試合64得点を記録したラツィオ時代のパンデフ。両耳に手を当てるゴールパフォーマンスは彼の代名詞だった

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インテルゴラン・パンデフジェノアラツィオ戦術

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白面

集団心理とか、意思決定のノウハウ研究とかしています。昔はコミケで「長友志」とか出してました。インテルの長所も短所も愛でて13年、今のノルマは家探しです。

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