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48カ国に拡大される北米ワールドカップ。背景にあるFIFAの思惑と存在感を増すアメリカサッカーの未来

2022.11.04

2022年カタールW杯の次に迎えるのは、2026年にアメリカ、メキシコ、カナダの3カ国で共同開催される北米W杯だ。この大会から出場枠が32から48に拡大されるなど、大きなフォーマット変更が実施される。賛否両論ある新たなW杯をめぐるFIFAの思惑、そしてMLSの成長と欧州サッカーへの積極投資で存在感を増すアメリカサッカーの未来を占う。

※『フットボリスタ第92号』より掲載

 開幕まで1カ月を切ったカタールW杯は、ゼップ・ブラッター会長時代のFIFAが残した最後の遺産であると同時に、その後任として2016年に会長の座に就いたジャンニ・インファンティーノ体制下で開催されるという二面性を持っている。

FIFAゲート」の引き金を引いたカタール大会

 2つの時代の分水嶺となったのは、もちろん2015年夏に起こった巨大スキャンダル「FIFAゲート」。そしてこのスキャンダルをもたらした直接的な原因は他でもない、2010年12月のFIFA理事会における2018年ロシア、22年カタールのW杯開催国決定をめぐる贈収賄疑惑だった。カタールW杯は、ブラッター体制下にあった当時のFIFAが持っていた前時代的な談合体質、密室内での利権分配の論理によって開催が決まった「疑惑のW杯」という側面を持っている。

 20世紀にはヨーロッパと南米の交互開催という形で行われてきたW杯が、初めてその外に出たのは1994年のアメリカ大会。そしてサッカーのグローバル化を進めようというFIFAの方針に沿って、2000年代は6大陸連盟の持ち回り開催というルールが導入され、史上初のアジア開催である02年の日韓大会がその第一歩となった。そして06年は欧州(ドイツ)、10年アフリカ(南アフリカ)、14年南米(ブラジル)を経て、続く18年は北中米かオセアニアの番になるはずだった。ところがブラッターは07年、「持ち回り制はアフリカ開催を実現することが目的だった」として、同じ大陸連盟での開催は最短でも12年置き、という新ルールを導入すると同時に、2010年に向こう2大会分(2018年、22年)の開催国を前倒しで決定するという奇妙なアナウンスを行う。

 当初、18年は「持ち回り」に備えて立候補を検討していたアメリカが有利と見られていた。しかし欧州からイングランド、ロシア、スペイン・ポルトガル(共催)、オランダ・ベルギー(共催)という4つが立候補したことで、アメリカは競合上より有利な22年(他の立候補国は日本、韓国、カタール、オーストラリア)にターゲットを切り替える。これを後押ししたのが、欧州での開催を確実にしたい当時のUEFA会長ミシェル・プラティニだった。22年に立候補するなら欧州はアメリカを支持すると約束したのだ。

 しかし運命の2010年12月2日、実際にFIFA理事会で投票が行われてみると、結果はまったく意外なものだった。イングランドが有利と見られていた18年はロシアに票が集まり、22年はアメリカが確実という下馬評を覆してカタールが開催権を勝ち取ったのだ。22人のFIFA理事による最終投票結果は、カタール14対アメリカ8。キャスティングボートとなったのはプラティニが取りまとめた欧州の4票。3カ月前の時点ではアメリカに支持を約束していたにもかかわらず、直前になってカタールに「寝返った」のだった。アメリカのバラク・オバマ大統領は当時「W杯をカタールで開催するという決定は間違っている」と極めて強い声明を出している。

 プラティニ本人はもちろん否定しているものの、この「寝返り」の背景には、当時のフランス大統領ニコラ・サルコジによる有形無形の圧力があったものと見られている。投票9日前の11月23日、プラティニはパリ・エリゼ宮(フランス大統領府)でサルコジ、そしてカタール首相と昼餐の席をともにしていた。そしてW杯開催が決まると間もなく、カタール国営投資ファンドによるパリSGの買収、アル・ジャジーラによるリーグ1放映権の取得、さらにはカタール空軍によるフランス製戦闘機の大量購入など、巨額の資金が動くビッグビジネスが両国間で次々と成立していくことになる。これらがW杯開催権と無関係だと考えることは難しい。それから4年半後の2015年7月、FIFA幹部の大量逮捕という形でFIFAゲートの引き金を引き、ブラッターとプラティニを失脚に追い込んだのが、カタールにW杯開催権を「盗まれた」アメリカの司法省だったという事実は、それが偶然ではあり得なかったことをはっきりと物語っている。

 これまでも、オリンピックなどと同様に国威発揚の機会としてW杯が「政治利用」されることはしばしばあった(18年のロシア大会もそう位置づけることが可能だ)。しかし、このような形で国際政治や外交の文脈の中に取り込まれ、国家的なソフトパワー増大の道具として自覚的に使われたのは、このカタール大会とそれをめぐる綱引きが初めてのケースだろう。

渦中にあった2015年7月、ロシアW杯の予備ドローイベントロシアのでウラジミール・プーチン大統領と握手を交わすブラッター

MLSの計画的発展。仕上げは北米W杯?

 このカタール大会がブラッター時代最後の遺物であるとするならば、4年後の2026年にアメリカ、メキシコ、カナダの3国によって共催される北米大会は、インファンティーノ体制の下で開催が決まったという意味で、正真正銘初めての「ポストFIFAゲートW杯」である。新時代を象徴する要素は少なくとも2つある。……

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FIFAW杯ジャンニ・インファンティーノビジネス

Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。

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