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フランスで知った真の価値。水戸ホーリーホック・山口瑠伊が考えるGKの概念と役割

2022.08.08

水戸ホーリーホックの守護神が、注目を集めている。山口瑠伊。23歳。パリで生まれ、東京で育ったGKは、圧倒的なセーブ力で何度もチームに貴重な勝ち点をもたらしてきた。では、今シーズンからJリーグでプレーしている山口は、ここまでどんなキャリアを経て、どんな学びを得てきたのだろうか。ホーリーホックと言えばこの人、佐藤拓也が本人への取材も交えて、その抱えている思考を解き明かす。

水戸ホーリーホックに欠かせない守護神の誕生

 7月6日に行われた第25節・FC町田ゼルビア戦。水戸ホーリーホックは前半で0-2のビハインドを負いながらも、終盤に3得点を叩き込んで大逆転勝利を収めた。

 試合開始から続いた劣勢の流れを劇的に変えたのは56分の山口瑠伊のセーブであった。

 最終ラインでのミスを奪われて、町田の選手に独走を許してGKと1対1の局面を作られた。だが、山口は慌てることなく、ボールホルダーの動きを冷静にとらえながら、シュートの局面で一気に距離を縮めて右手でシュートを止め、チームの危機を救ったのだった。

 その場面を山口はこう振り返る。

 「ミスから始まって、相手選手が1人でドリブルしてきました。その瞬間は1対1で来たと思ったんですけど、その後、横に相手が走ってきているのが見えました。ドリブルする選手に対して、前に出て行ったら横パスを出されて決められてしまうと思ったので、状況を見ながら待つような守備をしました。そうしたら、そのままドリブルをしてきましたし、その選手が横を見ながらドリブルしていたので、誰かを探しているんだろうと思いました。パスが出た瞬間に対応できるように我慢していました。結局、だんだんゴールの方に向かってきて、これは1対1で絶対シュートを打ってくるだろうと思い、最後のところで体を出して、どこかに当たればいいかなと思って守備をしました」

 わずかな時間でこれだけ的確に状況を見極めて判断ができる状況察知力、そして、それを行動に移せる高い身体能力を備えていることを証明したこの場面に、山口のGKとしての能力の高さが詰まっていた。

 前述の場面を振り返った後、「(山田)奈央も最後まで諦めずに走ってくれた。それも相手のパスの選択肢を迷わせたと思いますし、最後はドリブルしている選手に専念することができました。あのセーブは僕1人の力ではありません」とチームメイトへの感謝の言葉を忘れないような人間性を持ち合わせていることも山口の魅力だ。チームの誰もが厚い信頼を置いており、水戸の守備に欠かすことができない守護神として、ピッチ内外で絶大な存在感を示している。

J2第25節、町田戦のハイライト動画。山口が1対1のピンチを凌いだシーンは3:10から

高校生で決断したフランスへのチャレンジ

 今季、水戸に加入して、Jリーグデビューを飾った山口だが、その存在は日本サッカー界において、決して“無名”だったわけではない。高校1年時にFC東京U-18からフランスの育成の名門・FCロリアンに“移籍”を果たした山口は、年代別日本代表に選出され続け、残念ながら東京五輪の代表入りは逃したものの、2019年まで同世代の日本代表に名を連ねる存在であった。

 日本人の母とフランス人の父を持つ山口はフランス・パリで生まれた。生後半年で日本にわたり、東京に住みながらフランス政府が運営するインターナショナルスクールに通っていた。幼少期から柔道とサッカーに打ち込んでいた中、「柔道を続ければオリンピック出場できるだけの力がある」と関係者から将来を嘱望されるほどの実力を持っていたものの、中学からはサッカー一本に絞り、FC東京のアカデミーに所属。そして、U-15からU-18への昇格を果たした。

 中学3年の時にフランス国籍を持つ山口のもとにロリアンのアカデミーのトライアウト参加への打診があり、参加してみた結果、合格の通知が届いたのだった。念願の海外でのプレーのチャンスを手に入れたとはいえ、通知が届いたのはU-18に昇格したばかりであり、「この時期にチームを去っていいものなのか」と山口は悩んだという。

 その時、トップチームに在籍していた権田修一とたまたま話す機会があった。そこで思い切って相談してみることにした。16年にオーストリアのSVホルンに移籍してプレーした経験を持つ日本代表GKは迷うことなく、こう返してきたという。……

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山口瑠伊水戸ホーリーホック

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佐藤 拓也

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