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アルゼンチン対フランスは、なぜ我われがサッカーを愛するかを思い出させてくれた

2023.04.17

それは「ただただ信じられない試合」だった。戦術をめぐる攻防、メッシ対ムバッペ、カオス――我われの理解の範疇を超えた一戦を3つの“試合”から分析した、イタリアのWEB マガジン『ウルティモ・ウオモ』のカタールW杯決勝レビュー(2022年12月19日公開)をお届けする。

※『フットボリスタ第95号』より掲載。

 「決勝戦は戦うものではない。勝つものだ」。冷徹で暴力的ですらあるこの決まり文句はしばしば、すでにトロフィーを手にしたプレーヤー、目を潤ませた監督の口から発せられ、我われもそれが真実であるかのように信じ込まされてきた。少なくとも昨日(2022年12月18日)までは。呪いを解くためには魔法が必要だった。その内側にいくつもの試合を内包し、サッカーは真剣に取り組めば取り組むほど喜びを奪う種類のスポーツだという考えを我われに押しつけてきた社会体制をひっくり返す新たな世界観を示してくれる試合が。

 それは本当に美しい試合だった。そこでは「美しい」という言葉が何の意味も持たず、秩序とカオスが交錯し、成功と失敗、可能と不可能が絶え間なく入れ替わり、偉大な個と集団がせめぎ合い、ありふれたミスと華麗なテクニックが絡み合っていた。見ている者に旅をしているような、息を切らせて丘の上を走り続けているような、あるいは古い港町の狭い路地に迷い込んだような感覚を抱かせるほどに、すべてが濃密に凝縮された試合だった。アルゼンチンがW杯のトロフィーを手にするまでには、3つの試合に勝たなければならなかった。まず技術と戦術によって、続いて驚異的な粘り強さによって、そして最後には魔法によって、もしかすると偶然によって、そして何より運命によって。フランスはほとんど不死身であり、あえて酷い試合をしながらも決して負けることがなく、ほんの1分間あればPK戦にまで勝負をもつれ込ませる恐ろしい力を備えていた。しかしそれでも十分ではなかった。おそらくほんの少しだけ自信過剰だった、あるいはあらゆる試合を1つの空虚なシミュラークルに変容させてしまいたいという欲求が強過ぎたのかもしれない。

 最後に残ったのは、歴史的なイベントに立ち合った、理解の範囲を超えた試合を見届けたという感覚だ。ではそれについてどのように語ればいいだろうか?

第1の試合:戦術をめぐる攻防

 アルゼンチン対フランスは、始まる前の時点からすでにストーリーに満ちていた。1986 年大会との様々なアナロジー、フランス連覇の可能性、リオネル・メッシのラストダンス、その座を奪おうと挑みかかるキリアン・ムバッペ……。それでも足りないとばかりに、謎のウイルスがフランスの宿舎を襲いディディエ・デシャンの構想を狂わせる。これらすべてによって、時に試合の行方を決定的に左右する戦術という側面が二の次に追いやられたとしてもおかしくはなかった。しかしキックオフを前に22人が散開したピッチの映像は、何はともあれこれがサッカーの試合であることを我われに思い出させるに十分だった。

 決勝までのアルゼンチンが、きわめてフレキシブルなチームだったことは確かだ。しかしここに至ってなおリオネル・エスカローニが大きく手を加えてくる、しかもムバッペを封じるためではなく、フランスをより強く叩くためのアタッカーを1人多くピッチに送り出す策を打ってくると予想するのは難しかった。ここまで故障とコンディション不良の間を浮遊する幻のようだったアンヘル・ディ・マリアの起用は、試合を揺さぶりその行方を方向づける要因となった。左サイドに開いた位置に入ったディ・マリアは、1930年代のウインガーのように線の細い体格と古風な顔つきで踊るようにプレーし、デンベレとクンデを翻弄した。

 この策を通してアルゼンチンは、ほとんどシュルレアリスティックなやり方で前半を支配した。エスカローニの選手たちはビデオゲームのような動きと洗練されたテクニックでピッチに繊細なレース編みのような線を描いた。一糸乱れぬ調和で歌を奏でる合唱隊のようなアルゼンチンの前で、フランスはほとんど幻影でしかなかった。そこにはいたけれど存在していないも同じだった。アルゼンチンの2点目(36分)はその優越性が昇華したようなゴールであり、W杯決勝史上最も偉大ではないにせよ(ペレが1958年のスウェーデン戦や70年のイタリア戦で決めたゴールを見ればわかる)、相手のDFたちをトレーニングで使うダミー人形のように見せたという点で他に例がないゴールであったことは間違いない。

 ユークリッド幾何学がそのままピッチ上に現れたようなゴールだった。フランスのクリアをナウエル・モリーナがワンタッチで2ライン間に送り込むと、ボールを受けたアレクシス・マカリステルはそのままワンタッチでメッシに縦パスを送り込んでスタートを切る。メッシが外に張っていたフリアン・アルバレスに開くと、そこから縦に走り込んだマカリステルへ、さらに左大外を並走するディ・マリアへとワンタッチでボールが繋がり、最後はディ・マリアがやはりワンタッチでゴールに流し込んだ。5 つのパスがワンタッチで繋がる中、メッシだけはファーストタッチをコントロールのために使ったが、2 タッチ目はタイミング的にワンタッチとまったく変わらない効果を持っていた。

 これだけの圧倒的な支配をどのように覆すのか? 5人の交代が可能になったこの時代、あまりに無抵抗な戦いぶりに業を煮やしたデシャンは、チームを立て直す時間を与えてくれるハーフタイムすら待ち切れず、41分に2枚のカードを切るという決断を下す。純粋に戦術的な交代だったのか? オリビエ・ジルーとデンベレに対する懲罰だったのか? 決断は正しかったのか間違っていたのか? その答えが出ることは永遠にないだろう。

 確かなのは、交代でピッチに立ったマルクス・テュラムとランダル・コロ・ムアニもまた、自分たちとは無関係のパーティーに臨席する招かれざる客にしか見えなかったこと。アルゼンチンはほぼ80分の間、この決勝を自分たちだけのものであるかのようにプレーした。理論上は劣勢に立たされて然るべき側でありながら、史上最も高い技術を備えたプレーヤーと、その回りをまるで雲の上にいるかのように軽やかに走り回る従僕たちが1つになったチームは、まるで夢の中で戯れているかのように、思うがままに試合を支配した。

 しかし、ふと気がついた時には、すべてが変わっていた。……

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アルゼンチン代表カタールW杯キリアン・ムバッペフランス代表リオネル・メッシ戦術文化

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ウルティモ ウオモ

ダニエレ・マヌシアとティモシー・スモールの2人が共同で創設したイタリア発のまったく新しいWEBマガジン。長文の分析・考察が中心で、テクニカルで専門的な世界と文学的にスポーツを語る世界を一つに統合することを目指す。従来のジャーナリズムにはなかった専門性の高い記事で新たなファン層を開拓し、イタリア国内で高い評価を得ている。媒体名のウルティモ・ウオモは「最後の1人=オフサイドラインの基準となるDF」を意味する。

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