2020年9月27日に軍事衝突へと発展し、同11月10日に停戦合意に至ったナゴルノ・カラバフ紛争。社会的ニュースとして世界の注目を集めたが、この問題は決してサッカーファンにとっても無関係とは言えない。ナゴルノ・カラバフの歴史的経緯やこの地域の問題がサッカー界に及ぼしてきた影響を、篠崎直也さんに概説してもらった。
「ナゴルノ・カラバフ」というあまり聞き慣れない地域をめぐる紛争がサッカー界で広く知られるようになったのは、2019年のEL決勝だった。チェルシーとアーセナルの英国対決となった一戦はアゼルバイジャンの首都バクーで開催されたが、当時アーセナルに所属していたアルメニア代表MFヘンリク・ムヒタリャン(現ローマ)が「自分と家族の安全が保証されない」と渡航を拒否。ナゴルノ・カラバフの領有権をお互いに主張して対立してきたアゼルバイジャンとアルメニアの緊張状態がその発言から生々しく伝わっていた。
Having considered all the current options, we had to take the tough decision for me not to travel with the squad to the #UEL Final against #Chelsea […] pic.twitter.com/3CPrTvLquy
— Henrikh Mkhitaryan (@HenrikhMkh) May 21, 2019
そして、2020年9月、くすぶっていた火種は約30年ぶりに両国間の軍事衝突に発展し、サッカー界にもその影響が広がることになってしまった。
ナゴルノ・カラバフが位置するのは黒海とカスピ海に挟まれ、山岳地帯が連なるコーカサス地方。周りをロシア、トルコ、イランという大国が囲み、東西文化の交差点として多様な民族や宗教が混在しながら領土争いを繰り広げてきた複雑な歴史を持つ。ナゴルノ・カラバフもまた古くからイスラム教徒のアゼルバイジャン人とキリスト教のアルメニア人の間でたびたび領主が替わってきた。1923年、ソビエト連邦の成立に伴い指導者スターリンは同地をアゼルバイジャンの自治州と定めたが、人口の90%以上がアルメニア人であったため分離独立運動が始まる。とはいえ、ソ連時代は両民族間の結婚も見られ人々は平和に暮らしていた。
ところが、東欧各国で社会主義体制が崩れつつあった1988年、ナゴルノ・カラバフにおいても複数の殺人事件が発端となって主権をめぐる戦争が勃発。3万人以上が犠牲となり、大量の難民が発生したこの戦争は1994年に停戦を迎えたが、最終的な領土問題解決には至らず、結果としてナゴルノ・カラバフの大部分はアルメニア人が実効支配する未承認国家「ナゴルノ・カラバフ共和国」(アルメニア語の名称は「アルツァフ共和国」)となった。
ホームタウンに戻れず27年
当時の戦争による混乱を象徴するサッカークラブがある。現在はアゼルバイジャン・プレミアリーグに所属するFCカラバフである。同クラブのホームタウンであるナゴルノ・カラバフの都市アグダムは1993年に戦争の舞台となり壊滅。監督を務めていたアラフベルディ・バギロフが戦闘で命を落とした。前線でかつてのチームメイトだったアルメニア人兵士と偶然出会い、次は敵同士ではない形で会いたいと願いながら抱擁していたという。
FCカラバフは本国アゼルバイジャンに避難し、27年経った今もアグダムに戻ることができていない。人口3万人ほどだったアグダムはゴーストタウンとなり、現在は数百人の住民が暮らしているのみで帰還は現実的ではない状況である。

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Profile
篠崎 直也
1976年、新潟県生まれ。大阪大学大学院でロシア芸術論を専攻し、現在は大阪大学、同志社大学で教鞭を執る。4年過ごした第2の故郷サンクトペテルブルクでゼニトの優勝を目にし辺境のサッカーの虜に。以後ロシア、ウクライナを中心に執筆・翻訳を手がけている。
