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優勝してあらためて感じる 育成に関わる指導者の意義

2019.06.12

指導者・中野吉之伴の挑戦 第十五回

ドイツで15年以上サッカー指導者として、またジャーナリストとして活動する中野吉之伴。2月まで指導していた「SGアウゲン・バイラータール」を解任され、新たな指導先をどこにしようかと考えていた矢先、白羽の矢を向けてきたのは息子が所属する「SVホッホドルフ」だった。さらに古巣「フライブルガーFC」からもオファーがある。最終的に、今シーズンは2つのクラブで異なるカテゴリーの指導を行うことを決めた。この「指導者・中野吉之伴の挑戦」は自身を通じて、子どもたちの成長をリアルに描くドキュメンタリー企画だ。日本のサッカー関係者に、ドイツで繰り広げられている「指導者と選手の格闘」をぜひ届けたい。

【2018-19シーズン 指導担当クラブ】
・フライブルガーFC/U-16監督
・SVホッホドルフ/U-9アシスタントコーチ

▼順調に勝ち点を積み重ねたリーグ戦の第17節。

 フライブルガーFCのU-16は、ホームに3位のブライザッハを迎えていた。2位のドライザムタールとの勝ち点差は9。得失点差で20点以上うちが上回っているため、この試合に勝てば3節を残して事実上の優勝と昇格を確定させることができる。もちろん、残り4試合で「1勝すれば大丈夫」という相当有利な状況ではあったが、ブライザッハにはリーグ前半戦の試合で1対4と手痛い負けを喫していた。同じ相手に2度負けるわけにはいかない。私とアシスタントコーチのミヒャエルはここで勝負をつけるべく、入念な準備で試合に臨んだ。

 試合週のトレーニングでどうにも気持ちが入らない主力メンバーの一人をスタメンから外し、それ以外はベストメンバー。試合開始から圧倒的に相手を押し込むと、4分、11分に連続ゴールで試合の流れを一気につかみ、後半にも2点を加えて4対0の快勝で試合を終えることができた。正直、ブライザッハはエースFWが欠場するなど万全な状態ではなく、緊張感に欠ける試合になってしまったことは結果的に残念だったが、それでも大事な一戦を危なげなく勝利できたのは、今シーズン取り組んできたことの確かな収穫だと思っている。

 試合後、何よりもホッとした。

 喜びよりも先に安堵感の方が強かった。リーグ内での他チームとのパワーバランスを考えると、うちが間違いなく優勝候補だった。クラブ内からは何度も「優勝してくれ」という言葉をかけられていた。「プレッシャーをかけるつもりはないが」と枕詞をつけているが、それが余計に緊張感を生む。いろんな問題をチーム内に抱えて紆余曲折しながら、それでも大事なところで彼ら選手を正しい方向に導けたと胸を張って言える。最終的に20試合で勝ち点51、103得点25失点、得点ランキング10傑にうちの選手が5人ランクイン。リーグ最終戦後には、みんなで歌いながら優勝を祝い合った。

 他のカテゴリーの監督やコーチ、育成部長、トップチームの監督からも祝福の言葉をもらい、他クラブの監督からもメールでお祝いしてもらった。素直にうれしい。そうした周囲からの反応で、少しずつ「ああ、優勝できたんだなぁ」という実感が湧いてきた。

 しかし、リーグが終わったのも束の間、クラブはすでに来シーズンに向けた新チームへと移行し、すでにトレーニングがスタートしている。U-17では、2つ上のリーグで戦うことになる。新戦力も補強され、ポジション争いは今シーズン以上に激しくなるだろう。どの練習でも緊張感の中で最大限のパフォーマンスが求められるようになる。

 そんな合間を縫って、U-16チームではちょっとしたお別れ会を企画した。ただ、タイミング的には『みんなで集まれる日』を作ることができるだけのスケジュール上の余裕もなく、結局、数家族参加のこぢんまりとした集いになった。それでも今シーズンの思い出話に花が咲き、肩の荷を下ろした私とミヒャエルは「あの時、実はこんなことがあったんだ」「そもそも最初から全部大変だった」などという話を互いに笑いながら繰り出せた。

 ふと、一人の老人が私たちに近寄ってきた。

 クラブの重鎮でもう何十年も役員として活動していた方だ。せっかくなので輪に加わってもらうことに。クラブの、トップチームの、最近の育成の話。いろんな話が出てくる。もう80歳近いので聞き取りにくいところもあるが、すごい記憶力だ。クラブのことなら何でも知っているといっても過言ではない。しばらくすると、クラブのこれまでの話になり、私がかつて所属していた時期のことを語り出した。彼は8年前にここフライブルガーFCで私が指導者をしていたこともしっかりと覚えていたのだ。そして、こんなことを語りかけてきた。

 「君がクラブを出ていったのは残念だったよ。本当だ。いいトレーニングをしていた。あの頃、君は一人だったからな。大変だったことだろう。アシスタントコーチもスタッフもいない中、何とかしようと取り組んでくれていた。だが、クラブにはあの頃ビジョンがなかった」

▼頭と心の中で、8年前のことが思い出された。

 当時、私はU-16とU-18の総監督をしていた。いや、せざるをえない状況だった。あの頃のクラブでU-16やU-18はU-17、U-19のセカンドチームという見方しかされていなかった。U-17やU-19に上がれなかった選手の集まりみたいな扱いだ。そこに力を注ごうとはしない。そのことでしょっちゅう私は当時の育成部長と衝突していた。

 そのシーズンはU-16の監督として活動するはずだった私だが、育成部長から「U-18チームの監督をしてくれないか? U-16には代わりにいい監督を見つけてある」という打診をシーズンに入る直前に受けた。正直、気持ちが揺らいだ。U-18、U-19年代は当時まだ一度も指導したことがなかったので、すごく興味があったのだ。最終的には、何度も「本当にU-16にいい監督が来るんだな?」ということを確認して、U-18に移ることになった。

 でも、「本当」ではなかった。

 U-18での活動に集中していた私は、U-16とは練習日が違うので「どんな様子か」を見聞きする機会はなく、ただ試合結果を見る限りは「あまりいい感じではなさそうだな」と心配していた。だが、選手の質はそろっていたはずなので、そのうち調子を上げてくるはずと思っていたが、2カ月を過ぎた頃でもぶっちぎりで最下位に止まっていた。「一体、なぜ?」

 そんなある日、親しい父兄の一人が教えてくれた。「キチの後釜でU-16の監督している人、それまでU-11で2~3年しか監督経験がないんだってね」と。あまりにショックな言葉だった。すぐ次の練習日に見学で足を運ぶと、そこではひどいトレーニングが行われていた。何をどうすればいいかわからない説明をしては、困惑している選手を怒鳴りつけるだけの監督。笑顔も活気もない。

 「このままではダメだ」

 そう思った私は育成部長に「誰かサポートにつけるなり、監督を変えるなりしないと降格する」と直訴した。ただ、なかなか同意してくれない。様子を見るという言葉だけで、ただ引き延ばしを図ろうとする。「だったら、俺がU-18の監督をしながら、U-16でアシスタントコーチをするから」と主張して、ようやくOKをもらった。

 U-18チームには、アシスタントコーチもスタッフもない状況。そこでさらにU-16を一人で見ることはできない。U-16監督には残ってもらう必要がある。だが、育成部長はその交渉も怠り、結局、前半戦後に「健康を理由」にその監督は辞めてしまった。

 嘆いていても仕方がない。U-18とU-16を一緒の練習日にして、何とか立て直そうと取り組んだ。後半戦を開幕3連勝スタートするなどU-16は懸命の追い上げを見せてくれた。一時は残留圏にも浮上した。だが、途中で主軸だったMFが膝の負傷で長期離脱することに。さらに点取り屋だったFWがU-17に昇格した。勝ち切れる試合が減り、残り2節を残してU-16は降格が決まった。そして、私はそのシーズン後にクラブを去った。

 あの時、チームを残留に導くことができなかった思いがその後もずっと心の片隅に残っていた。最終的に足らなかった勝ち点は9だが、感触的には「あと少し」だったのだ。あと少しクラブが理解を示してくれていたら、あとちょっと早く反応してくれていたら、もう少しU-16チームのことにも気を配ってくれていたら。そんな思いが何かあるたびに心の中に浮かび上がる。

 今シーズン、古巣に戻ってきたのにはいくつか理由があるが、一番の理由はあの時の忘れ物を取り戻し、果たせなかった決着をつけたいという思いが大きかったことだ。それ以来、U-16は昇格を果たせていなかったから。

 「自分の手でU-16を元いた場所に再昇格させてみせる」

 その思いを胸に今シーズンを駆け抜け、選手に助けられながら、8年越しの目標を無事に達成することができた。私にとっては、初めての優勝だ。これまで小さなトーナメント戦でも優勝したことがなかった。なぜか私が仕事で帯同しないときに限ってトロフィーを持ち帰ってきたりする。選手としての現役時代も昇格をしたことは何度かあるが、いつも2位で昇格戦を勝ち抜いてだった。「自分には縁がないのかな」と思ったこともなくはない。

 でも、自分にとって記念すべき初優勝がこうした巡り合わせの中で訪れた。今日まで信念をもって指導者を続け、待ち続けた甲斐は間違いなくあったのだ。


■シリーズ『指導者・中野吉之伴の挑戦』
第一回
「開幕に向け、ドイツの監督はプレシーズンに何を指導する?」
第二回
「狂った歯車を好転させるために指導者はどう手立てを打つのか」
第三回
「負けが続き思い通りにならずともそこから学べることは多々ある!」
第四回
「敗戦もゴールを狙い1点を奪った。その成功が子どもに明日を与える」
第五回
「子供の成長に『休み』は不可欠。まさかの事態、でも譲れないもの」
第六回
「解任を経て、思いを強くした育成の“欧州基準”と自らの指導方針」
第七回
「古巣と息子の所属チーム。年代もクラブも違う“二刀流”指導に挑戦」
第八回
「本人も驚きの“電撃就任”。監督としてまず信頼関係の構築から」
第九回
「チームの理解を深めるために。実り多きプレシーズン合宿」
第十回
「勝ち試合をふいにした初陣で手にした勝ち点以上に大事なもの」
第十一回「必然だが『平等』は違う。育成における『全員出場』の意味とは?」
第十二回「育成年代の「レベル差問題」に直面。対戦相手との会話で得た自信」
第十三回「ユースチームの空気を変えた、スポーツ心理士との“チーム作り”」
第十四回「うぬぼれ、衝突…自分でミスに気づき、成長させる指導の大切さ」
第十五回「優勝してあらためて感じる、育成に関わる指導者の意義」


■シリーズ『「ドイツ」と「日本」の育成』
第一回「育成大国ドイツでは指導者の給料事情はどうなっている?」
第二回「『日本にはサッカー文化がない』への違和感。積み重ねの共有が大事」
第三回「日本の“コミュニケーション”で特に感じる『暗黙の了解』の強制」
第四回「日本の『助けを求められない』雰囲気はどこから生まれる?」
第五回「試合の流れを読む」って何? ドイツ在住コーチが語る育成

第六回「何のため、誰のためにあるのか。曖昧な日本のトレセンの意義」


※本企画について、選手名は個人情報保護のため、すべて仮名です
Photos: Kichinosuke Nakano

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育成

Profile

中野 吉之伴

1977年生まれ。滞独19年。09年7月にドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを取得(UEFA-Aレベル)後、SCフライブルクU-15チームで研修を受ける。現在は元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU-13監督を務める。15年より帰国時に全国各地でサッカー講習会を開催し、グラスルーツに寄り添った活動を行っている。 17年10月よりWEBマガジン「中野吉之伴 子どもと育つ」(https://www.targma.jp/kichi-maga/)の配信をスタート。

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