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アルゼンチンとペルーの兄弟愛。ライバルの36年ぶりW杯を祝う絆

2018.06.05

EL GRITO SAGRADO


 大陸間プレーオフを制し、36年ぶりにW杯出場を果たすペルー。悲願達成後、歓喜と興奮に包まれたスタジアムで、テレビレポーターにつかまったペルー代表のアルゼンチン人監督リカルド・ガレカは目に涙を浮かべつつも泰然たる口調で「この勝利は私を信じてくれた選手たち、そしてすべての国民のためです」と語った。

 2年前、予選第1節コロンビア対ペルーの試合後、コロンビア代表のホセ・ペケルマン監督はガレカを指差しながらペルーのMFカルロス・ロバトンに「彼を信じなさい。必ず君たちをW杯に導いてくれるから」と告げていた。その後しばらく8位と9位をさまよったチームが偉業を成し遂げた裏には、まさにペケルマンの言葉の通り「信念」があった。結果が伴わなくとも選手たちは監督を信じ続け、ガレカ自身の言葉を借りればチームはやがて「家族のような絆で結ばれたグループ」になった。

ペルーを9大会ぶりにW杯へと導いたリカルド・ガレカ監督(左はジェフェルソン・ファルファン)

マルビナスの恩義

 そんなペルーのW杯出場決定を、アルゼンチンの人々も心から祝福した。アルゼンチンがサッカーにおいて南米のライバル国の快挙を素直に喜ぶことは滅多にないが、ペルーに対しては敬意を表する傾向がある。ガレカがアルゼンチン人だからというのはもちろん関係しているが、実はそれ以上にアルゼンチン人の心をつかむものがペルーにはある。1982年にフォークランド(アルゼンチンではマルビナス)紛争が勃発した時、ペルーはアルゼンチンのために見返りを求めることなく武器の調達に奔走したのだ。

 アルゼンチン人ジャーナリスト、エルナン・ドブリが執筆したフォークランド紛争に関する書籍『Los Rabinos de Malvinas』によると、当時ペルーは軍が保持していた戦闘機ミラージュをはじめミサイル、戦艦、潜水艦などをほぼ寄付に近い形で提供しただけでなく、イスラエルに白紙の武器発注書を送って注文の送り先をアルゼンチンとする、いわゆる「購入代行」も行った。しかもどの武器をどれだけ購入したのか詳細をまったく知らせず、支払い期限も決めないまま他国の武器購入を代行するというのは、ドブリいわく「世界の戦争史を見ても前例を見つけるのが難しい行為」。多大なリスクを負ってまで助けの手を差し伸べたペルーの姿勢は、かつてアルゼンチン人のサン・マルティン将軍が南米解放のためにスペイン軍と戦った時から根付く南米諸国間の「hermandad」(兄弟愛)に基づくものだったとされている。

 予選第17節でアルゼンチンがペルーと対戦した際、前日の決起集会でペルーのサポーターが「ペルーにとってマルビナス諸島はアルゼンチンのもの」と書かれた横断幕を掲げたのも、その絆の証だった。また試合前には、アルゼンチンサポーターによるこんなメッセージもSNS上で拡散された。

 「ペルー国歌に対して決してブーイングしてはならない。選手たちに罵声を飛ばしてもいけない。役員には敬意を払わなければならない。ペルーはアルゼンチン(と一体)なのだ」。

 今も心に深い傷となって残るマルビナスでの紛争で、ペルーから惜しみない援助を得たことをアルゼンチンの人々は忘れていない。アルゼンチンからガレカ監督のチームに送られた賛辞のすべてに、深い兄弟愛が滲みあふれていた。

5月26日、ペルー国内でスタートした直前合宿には多くのファンが集結し檜舞台に向かうチームに熱い声援を送った


Photos: Getty Images

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Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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