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30代6人、空前の若手監督ブーム。ドイツで何が起こっているのか?

2017.10.30

無名の“ラップトップ監督”が新時代を切り拓く

 2015年6月に始まった「フースバル・レーラー」(ドイツにおけるS級ライセンス)講座に、2人の若き指導者がいた。ユリアン・ナーゲルスマン(現ホッフェンハイム監督、当時27歳)とドメニコ・テデスコ(現シャルケ監督、当時29歳)だ。

 当時、前者はホッフェンハイムU-19の監督、後者はホッフェンハイムU-16の監督だった。つまり同僚が、そのまま同級生になった形だ。

 「フースバル・レーラー」の講座は、ケルン近郊のヘネフにあるスポーツシューレで約10カ月間にわたって行われ、受講生はドイツ各地から通う。年間9000ユーロ(約117万円)の授業料に加えて、交通費がかさむ。ナーゲルスマンとテデスコは2人で車をシェアして、約250km離れたヘネフに通った。

 車中では、さぞ革新的な戦術談義がかわされていたに違いない。それがプロの舞台でぶつかり合うことになるとは、さすがの2人も想像していなかっただろうが——。

 今、ブンデスリーガでは空前の若手監督ブームが起こっている。

 口火を切ったのはナーゲルスマンだ。16年2月、28歳でホッフェンハイムの監督になると、17位に低迷していたチームを立て直して奇跡の残留を果たす。翌シーズンは4位になり、『キッカー』誌の年間最優秀監督に選ばれた。

 テデスコの人生も急転し始める。16年夏、ナーゲルスマンのトップ昇格によって空いたホッフェンハイムU-19の監督に就任。下部組織生活が続くかと思われたが、17年3月、ブンデス2部の最下位に沈むエルツゲビルゲ・アウエからオファーが届く。すると持ち前の戦術でアウエを激変させ、11試合で勝ち点20を叩き出し、14位で終えてチームを救った。それが目に留まり、今季シャルケの監督に抜擢されたのだ。

 他にもシュツットガルトのボルフとアウグスブルクのバウムが36歳、ブレーメンのヌーリが37歳(編注:2017年10月30日に解任が発表された)、マインツのシュバルツが38歳と、30代の監督が計6人もいる。この6人のすべてが選手としては1部の経験がなく(ヌーリとシュバルツのみ2部出場の経験がある)、いずれもケガなどで早くに引退を決意し、若くして育成指導者としての道を歩んだ人間である。元ドイツ代表のメーメット・ショルは彼らのプロ選手としての経験不足を批判し、「ラップトップ監督」と揶揄(やゆ)した。

レーブが流れを作り、ザマーが伝播させる

 なぜ彼らのような無名の指導者が、次々にトップの監督に抜擢されるのか? 歴史を大きく変えたのは、ヨアヒム・レーブ(現ドイツ代表監督)だ。2000年、ドイツサッカー連盟は代表の功労者を対象に、「フースバル・レーラー」の短縮コースを用意した。通常の半分以下の受講時間で済むため、クリンスマン、ブッフバルト、リトバルスキ、ザマーといった元スターが集まった。

 その中に、なぜか代表未経験のレーブの姿があった。スイスサッカー協会でライセンスを途中まで取得していたものの最上級の資格は持っておらず、それでいながらすでにブンデスで監督を経験していたため、特別に参加が認められたのだ。レーブはスイス仕込みのゾーンディフェンス論で、同級生を圧倒。04年夏、クリンスマンはドイツ代表監督に抜擢されると、迷わずコーチにレーブを指名した。これによって戦術家への評価が180度変わることになる。

無名監督抜擢の先駆けとなったレーブと、彼の才能を評価し自らの右腕に指名したクリンスマン

 このブームをブンデス全体に広げたのが、06年にドイツサッカー連盟のスポーツディレクターに就任したマティアス・ザマーだ。各クラブに「下部組織にいい指導者がいたら、積極的に起用してほしい」と依頼。マインツがそれに呼応し、09年夏、トゥヘルをU-19からトップの監督へ昇格させた。ちなみにその時のマネージャーがクリスティアン・ハイデル(現シャルケ・マネージャー)である。今季テデスコを抜擢したのは彼だ。トゥヘルは最高で年間5位という好成績を残して、ドルトムントへステップアップ。これがお手本となり、他クラブも下部組織の監督をトップに昇格させるようになる。

若手監督ブームを加速させたマティアス・ザマー。ドイツサッカー連盟を退いた後、12年から16年までバイエルンのSDを務め現在はテレビ解説者として活動している

 2000年には元有名選手のための特別コースがあったが、今や優遇は一切ない。「フースバル・レーラー」を受講するには、Aライセンスの取得後に最低1年間チームを率いた経験がなければならない(ブンデス1部・2部、3部ならコーチでもOK)。元有名選手に優遇があるイタリア、スペイン、オランダとは大きく違う点だ。

 「フースバル・レーラー」の応募枠はわずか24人だが、監督経験を義務づけているため、元有名選手だけで埋まることはない。制度的にも、育成指導者に扉が開かれているのだ。

地域に育てられたイノベーションの申し子たち

 では、新世代の監督たちは、それ以前と何が違うのか。16年卒業組のナーゲルスマン、テデスコ、ヌーリたちと、11年卒業組のギズドル(現ハンブルク監督)、バインツィール(前シャルケ監督)、ロジャー・シュミット(元レバークーゼン監督/現北京国安監督)たちですら、サッカーに対する考え方が違う印象を受ける。

 08年から「フースバル・レーラー」講座の責任者を務めるフランク・ボルムートは、こう説明する。

 「今の時代の監督には、いろいろなイノベーションに対してオープンであることが求められる。そして、ミスを犯してでも、何か新しいことを学ぼうとする姿勢を持っているかどうか。これらの要素が決定的に大事だ」
新世代の監督が、以前の監督と比べてイノベーションに貪欲なことは、あらゆるところで見て取れる。

ドイツサッカー連盟の主任指導者育成教官フランク・ボルムート。10~16年にはU-20ドイツ代表も指揮していた

 ナーゲルスマンは今季、18平方メートルの巨大スクリーンをピッチ横に設置した。試合の映像を流し、修正点を選手に見せながら練習するためだ。ホワイトボードにマグネットを並べて伝えるよりも、はるかにイメージを共有しやすい。ナーゲルスマンはクラブ所属の心理学者ヤン・マイヤーと一緒に、「認知」(瞬間的に行う論理的思考)のスピードアップにも取り組んでいる。スポンサーのSAPと共同開発した「ヘリックス」という180度の等身大スクリーンを用いたゲームによって、目まぐるしく変わる状況を認知・判別できるように“脳トレ”を行うのだ。

 ナーゲルスマンは言う。

 「私はオートマティズムという言葉は好きではない。サッカーの状況は常に変わり、再現性はないからだ。だから私たちは練習で、原理原則に取り組むんだ」

 イタリア系のテデスコは、ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語をネイティブに話すことができる。ビデオミーティングでは、スペイン語で質問がくればスペイン語で答え、フランス語でくればフランス語で答える。彼にとって言葉は手段に過ぎない。

 ただし、当然ながら若いというだけで、成功が約束されているわけではない。「フースバル・レーラー」はあくまで資格で、通ったからといって全員が名監督になれるわけではない。若手監督の成功を後押ししているのは、グラスルーツの指導者たちに最先端の知識を共有する地域コミュニティの存在だ。

 その代表的存在と言われるのが“シュツットガルト・スクール”だ。ラングニックは1990年代にシュツットガルトのアカデミーで働いている時、クラブだけでなく、同エリアのサッカー指導者講習のレベルアップに尽力した。アリーゴ・サッキのゾーンプレスを徹底的に研究し、指導者講習に落とし込むといったことに取り組んだのだ。以後、あまりにも同エリアから戦術家が生まれてくるため、“シュツットガルト・スクール”と呼ばれるようになった。

 トゥヘルはラングニックの誘いで、シュツットガルトの下部組織で指導者のキャリアをスタートさせた。テデスコもシュツットガルトの下部組織にいた。のちにラングニックは、さらに新しい知見を凝縮してホッフェンハイムの下部組織を築き上げた。その薫陶を受けたのがナーゲルスマンであり、テデスコだ。“ホッフェンハイム・スクール”と呼ばれるのも、時間の問題だろう。

ドイツの“ラップトップ監督”の走りはプロ選手経験を持たずに成功したラングニックだろう。現在はRBグループのスポーツディレクターとして新世代監督を育てる立場になった

 他の場所にも人とノウハウが波のように伝わり、いつ異才が生まれても少しも不思議ではない。ザマーのかけ声で下部組織から優秀な監督が次々に登場してきたのは、地域の指導者コミュニティという下地があったからだ。

 ボルムートは、さらなる人材輩出を確信している。

 「下部組織とプロの監督の違いは、メディア対応くらい。これからさらに多くの若手監督が、各クラブのアカデミーから生まれてくるだろう」

 もし今季ナーゲルスマンが欧州の舞台を席巻するようなことになれば、監督若年化の潮流はドイツに留まらず、国境を越えて他国にも伝播して行くのではないだろうか。

Photos: Bongarts/Getty Images

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Profile

木崎 伸也

1975年1月3日、東京都出身。 02年W杯後、オランダ・ドイツで活動し、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材した。現在は帰国し、Numberのほか、雑誌・新聞等に数多く寄稿している。