5月30日にハンガリー・ブダペストで開催されるUEFAチャンピオンズリーグ決勝。パリ・サンジェルマン2連覇の鍵を握る注目選手の一人が、1年前のファイナルで2ゴール1アシストを挙げ、プレーヤー・オブ・ザ・マッチに輝いたデジレ・ドゥエだ。今季も公式戦13ゴール11アシストと結果を残し、フランス代表として北中米W杯でも活躍が期待される“天才”の軌跡を振り返ろう。
育成の名門レンヌが5歳の“弟”にロックオン!
“天才”という苗字を持つのは、いったいどのような気分がするものなのだろう。
プレッシャーか? それとも自信の後押しか?
2005年6月3日、デジレ・ドゥエは、フランス語で「才能ある」「天才肌の」という意味を持つ「Doué」家に生まれた。そしてそれから20年後、彼はゴールデンボーイ賞を手にする、いま世界で最も注目されるフットボール選手の一人となった。彼にとっては、この名前は自分の運命を照らす道しるべのようなものであったような気がする。
そんなドゥエのサッカーキャリアの始まりも、まるでシンデレラストーリーのようだった。
フランス北西部、ブルターニュ地方の城下町アンジェで生まれたデジレは、5歳の時、3歳年上の兄ゲラ(現在はストラスブールに所属)のトライアルについて行った。そこはその地方で最大のクラブであるスタッド・レンヌのアカデミー。そして兄がトライアルを受けている間、母の隣でボール遊びをしていたところ、アカデミーのコーチに見初められたのだった。
通常は早くてもU-8かU-9から選手登録をするところ、まだU-6年代のドゥエを、レンヌはすぐに登録した。これは前例のないことだった。
スタッド・レンヌは、古くから育成に定評のあるクラブだ。毎年フランスサッカー連盟(FFF)が発表するアカデミーのランキングでも、最新の2025年度版で首位を獲得している。その名門が、見よう見まねでボールで遊んでいた5歳の子供にロックオンしたのだから、コーチたちの眼力はさすがだし、ドゥエの原石としての輝きも相当なものだったのだろう。
すべての年代で飛び級だったとか、チームの誰よりも上手かったというような、のちのスター選手の若かりし頃のエピソードは、すべてドゥエにも当てはまる。
少年時代のアイドルはネイマールで、スポンジボールや靴下を丸めた“ボールもどき”を使って、ドゥエは暇さえあれば家の中でも彼のボールテクを真似ていたのだという。
当時の指導者は、ドゥエのテクニックがいかに優れていたかを、こんなエピソードで描写している。
「『もっとシンプルにプレーするように』と指示することがあったが、見ていて複雑そうに見えるボールスキルでも、デジレ自身にとっては、ただ普通にシンプルなことをやっているつもりだった、ということがよくあった」
ネイマールと同じように、敵を使ってプレーするのが好きで、わざと引き寄せて抜き去るデュエルやトラップなど、相手の反応を見ながら仕掛けるのを楽しむタイプだった。
その頃のドゥエは、とにかくドリブルばかりしたがる子供だったらしいが、アカデミーでは守備的MFやボックス・トゥ・ボックスの役割も教え込まれた。すると守備をやるのが嫌なばかりに、サッカーをやめようと思ったこともあったと、のちに父親が明かしている。しかしその時学んだことが、“全員守備”が徹底されている今のパリ・サンジェルマン(PSG)で生きていることを、彼自身も実感していることだろう。
17歳でプロデビュー、ジェネジオと出会えた幸運
そんな彼の名前が、広くフランスのサッカー界に知れ渡ったのは、2022年のU-17欧州選手権の頃からだ。
PSGの現チームメイトでもあるワレン・ザイール・エムリも参加していたこの大会にフランスは優勝。ドゥエは2得点1アシストを記録し、とりわけオランダとの決勝戦では1点ビハインドの状況で同点弾をアシストして勝利への道筋を作った。
……
TAG
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。
