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マンチェスターUで1カ月半、宮澤ひなたが感じた日本との違い、「中間を常に取り続ける」自分の強み【現地取材】

2023.10.26

9月6日に入団が正式発表され、マンチェスター・ユナイテッド・ウィメンのメンバーとなった宮澤ひなた(23歳)は、初めて挑戦する海外リーグで日々、新たな経験を積んでいる。10月18日には女子チャンピオンズリーグの予選第2ラウンド、パリ・サンジェルマン戦でパルク・デ・プランスのピッチに立った。試合はユナイテッドが3-1で敗れ、ホームでのドロー(1-1)と合わせて2戦合計4-2で敗退。本戦出場は叶わなかったが、宮澤にとっては欧州最高峰の舞台の感触を味わう貴重な体験となった。

 「やっぱり悔しいですね。個人として移籍して初めてのチャンピオンズリーグだったので……。チームとしても5年かけてやっとここまで来たということで、初めてのチャレンジだったというか、そういう緊張感のある試合で本音を言えば、もうちょい出たかった……」

 パリSGとの試合後にそう話した宮澤は、ホームでの第1レグ、そしてアウェイでの第2レグともに後半の65分からノルウェー代表MFリサ・ナールスンドに代わって出場。ピッチの中央付近で相手のボールホルダーにプレッシャーをかけたり、自軍の攻撃時にはスペースを見つけて走り込むといった効果的な動きを見せたが、すでにスコアが3-1となっていた試合展開の中で突破口を見つけるのは難しかった。

 「3失点していた状況で、入りの難しさはありました。『やってやるぞ』とか『流れを変えないと』というイメージはありましたが、チーム全体の雰囲気や流れの難しさのようなものをすごく感じて入ったので。みんな感情的になっていたり、点を取りに行かなければと焦っていたり、そういうのが見えていたゲーム展開だったので、『難しいな』という気持ちと、『でもその中でも流れを変えないといけなかったな』という反省点があります……」

 ユナイテッド側がやろうとしているプレーが見えにくい試合ではあった。後方からしっかり組み立てて、といった意図はあまりうかがえず、宮澤も「点を取りに行かなければという焦りを感じた」と指摘しているように、「ボールを持ったらとにかく仕掛けないと」という思いが先行し、ゆえに相手にとっては、ボールの受け手のところで潰せば封じられる、というイージーな展開になっていた。パリSGは大会準優勝経験もあるフランスの強豪。速さもパワーもある相手に、ことごとく展開の芽を摘み取られた。

バランサー役として、チームにテンポやタイミングを

 クラブ史上初のチャンピオンズリーグ挑戦は本戦の地を踏めずに終わったユナイテッドだが、国内リーグ戦のウィメンズ・スーパーリーグ(WSL)では今季ここまで4試合を終えて2勝2分で4位につけている。

 宮澤は開幕節のアストンビラ戦(○1-2)で81分から出場し、公式戦デビュー。機を見てボックス内に入り込んだり、やや遠い位置からもシュートを打つなど、攻撃の厚みを増す動きで逆転勝利に貢献した。ホームデビュー戦となった第2節のアーセナル戦(△2-2)は77分から出場。宮澤が頭で落としたボールから得点が生まれている。

 そしてレスターと対戦した第3節(△1-1)で初の先発フル出場を果たすと、パリ五輪予選に向けた代表招集前最後のエバートン戦でも、マーク・スキナー監督は再び宮澤をスタメンで起用。最後までピッチに立ち続け、0-5の大勝を手にしている。

 このエバートン戦でも、アシストやゴールといった直接的な形では得点に絡んでいない宮澤だが、ピッチ上の「バランサー」役としての働きは、チームを勝利に導く上で重要な役割を果たしていた。

 とはいえ、ハイスピードでボックス内に切り込んで鋭い一撃をゴールに突き刺す、といったなでしこジャパンでお馴染みの鮮やかなシュートシーンが記憶に焼き付いているファンにとっては、現在ユナイテッドでユーティリティ役に徹している宮澤のプレーは、本来の姿ではないように映るかもしれない。

 ユナイテッドではピッチ中央付近を主戦場とすることが多く、守備時にはさらに深めの位置も取っている。スキナー監督からは、特に試合に入る時などは「高い位置で」という指示を受けているそうだが、これまで数試合プレーしてきた中で宮澤が今、ユナイテッドの一員として一番意識しているプレーが、「中間を常に取り続ける」ことだった。……

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WSLイングランドなでしこジャパンマンチェスター・ユナイテッドマンチェスター・ユナイテッド・ウィメン女子女子CL宮澤ひなた日本女子代表

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小川 由紀子

ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。

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