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「ピッチでは見えない部分」にある“もえバト沼”の滋味深さ。似通うウルグアイが見習うべきこと

2023.08.21

もえるバトレニ』発売記念企画 #5

好評発売中の『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』は、W杯2大会連続でメダルを獲得した“バトレニ”(「炎の男たち」を意味するクロアチア代表の愛称)の強さの秘密、そして彼らを長年取材してきた長束恭行さんのクロアチア愛が詰まった渾身の一冊だ。刊行を記念した書評連載の5人目は、かねてから長束さんのファンだったというアルゼンチン在住のChizuru de Garcíaさん。サッカーはやはり人間ドラマだと実感させてくれる流石の筆致や、比較せずにはいられない2つの“小さなサッカー大国”の同異点について綴ってくれた。

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 今年6月、長束恭行さんの新著『もえるバトレニ』のまえがきが『フットボリスタ』で無料公開されていることを知るや、私は即座に読ませていただいた。出版のお知らせを見かけた時から、何がなんでもこの本を読みたいと思っていたからだ。

 長束さんには2018年に一度お会いしたことがあり、そのお人柄と話の面白さに魅了され(化粧が崩れるほど涙を流して笑ったのを覚えている)、以後すっかりファンになってしまった。普段は基本的にアルゼンチンとウルグアイのサッカーしか観ない私が、チャンピオンズリーグでディナモ・ザグレブの行方を追い、EURO2020でクロアチア代表を応援したのは、すべて長束さんの影響によるものだ。

  その長束さんがクロアチア代表のカタールW杯戦記となる『もえるバトレニ』、通称『もえバト』を出版されることを知った時、私の心は高鳴った。そこにはファンであることの他に、もう一つの大きな理由があった。

長束流マッチレビューの温かみと深み

 「サッカーの醍醐味はピッチでは見えない部分に隠されている」――かれこれ30数年近くもの間、祭典の域を越えて狂気の坩堝(るつぼ)と化すアルゼンチンのスタジアムでサッカーの本質を体感してきた私の頭の中では、そんな考えが深く根を下ろしている。芝の上で繰り広げられる“ゲーム”にとどまらず、そこに関わるすべての人々が情熱と忠誠心を燃やしながら激しくも美しき戦いに人生を賭けていて、その背景に秘められたドラマにこそ、サッカーという“文化”の旨味が詰まっていると思うのだ。

 だから私がサッカーについて書く時も、「ピッチでは見えない部分」をテーマにすることが多い。昨今の日本のサッカーメディアは戦術や分析データに関する情報に重きを置く傾向にあるようだが、私はそのような流れに逆らい、売れない(バズらない)ことを覚悟で自分が美味しいと感じるもの、または自分しか知らない味を厳選して伝えたいと常々思っている。

 とは言っても、一つの競技の執筆に営む以上、ゲームの中で起きることを完全に無視するわけにはいかない。実際、昨年のW杯では『フットボリスタ』からマッチレビューの執筆依頼をいただく光栄に預かり、アルゼンチン代表とウルグアイ代表の試合について寄稿したのだが、普段書き慣れていないゲームの流れをまとめるのは私にとって至難の業となった。「ピッチでは見えない部分」をふんだんに盛り込んだ風味豊かなマッチレビューに仕上げたいのに、ゲーム中の出来事に囚われ過ぎてなかなか満足できる原稿が書けない――そんな状況に悶々としていた時に読んだのが、同じ『フットボリスタ』で公開されていた長束さんによるクロアチア代表のマッチレビューだった。

リオネル・メッシとルカ・モドリッチ、2人の「LM10」が再会した昨年12月13日のカタールW杯準決勝。優勝したアルゼンチンが3-0でクロアチアに完勝した(Photo: Getty Images)

 それは、ゲームの内容に漏れなく触れつつ、真のクロアチア通の長束さんならではの情報が絶妙なバランスで挟み込まれたレビューだった。誰でも入手できる分析データを引用しながらも、監督の采配や会見での発言などに対する長束さん個人の見解、クロアチア語のニュアンスを熟知しているからこそ活かすことのできる関係者のコメントなどをさらりと引用した文章は、マッチレビューであると同時に温かみと深みを感じさせ、サッカーはやはり人間ドラマであると実感させてくれる内容だったのだ。……

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ウルグアイ代表クロアチアクロアチア代表もえるバトレニロブロ・マイェル

Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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