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ワリド・レグラギ。モロッコをW杯4強に導いた、知的でクレイジーで“勝ち方を知る男”の流儀

2022.12.25

カタールの地でアフリカサッカーの歴史を塗り替えたモロッコ代表。その初のW杯ベスト4進出を先導したのが、本番まで3カ月もない今年8月末にハリルホジッチ前監督の後を引き継ぎ、チームをまとめ上げた47歳の知将レグラギだ。

 データ分析サービス会社グレースノートの調査によると、今回のW杯は過去64年で最も「番狂わせ」が多かった大会だという。グループステージ初戦で優勝国アルゼンチンを破ったサウジアラビアをはじめ、勝率をもとに独自の分析で番狂わせかどうかを判断したとのことだが、モロッコもそう呼ばれる試合を演じたチームの代表格だ。

 ラウンド16で2010年大会のチャンピオン、スペインをPK戦で破り(0-0、PK3-0)、続く準々決勝では2016年のEURO王者ポルトガルを1-0で下してアフリカ勢初のベスト4入りを果たした。

 グループステージでも、前回準優勝のクロアチアとスコアレスドロー、世界ランキング2位のベルギーには0-2で勝利し、カナダにも1-2で白星と、難関と言われたグループFを無敗の首位で勝ち抜けた。しかもカナダ戦の1失点はオウンゴール。スペインとのPK戦でさえ、相手のキッカー3人全員を討ち取っている。準決勝に到達するまでの6試合で、相手に1度もゴールを割らせなかったというのはあっぱれだ。

 そして準決勝では、歴史的にも因縁のあるフランスと対決。開始5分に先制点を許して2-0で敗れたが、スペイン戦やポルトガル戦で見せた屈強な守備だけでなく、エネルギッシュな攻撃でディフェンディングチャンピオンを大いに苦しめた。

 神様ペレも、大会後ソーシャルメディアに「モロッコの驚異的な躍進を祝福しないわけにはいかないだろう。アフリカが輝いているのを見るのは素晴らしいことだ」と賛辞のメッセージを綴っている。

 アトラスの獅子たち(モロッコ代表の愛称)は、この大会で世界に大きなインパクトを与えたが、今年8月に着任し、開幕までわずか3カ月の準備期間でチームを栄誉あるベスト4に導いたワリド・レグラギ監督とは、いったい何者なのか。

「シテ」で生まれ、「現モロッコ代表の父」と出会う

 レグラギは1975年9月23日、モロッコ人の両親のもと、パリ郊外エソンヌで生まれた。現役時代はDFで、地元のアマチュアクラブでプレーしていた頃、彼に目をつけたのが、当時そのファーストチームを率いていたルディ・ガルシア(現アル・ナスル監督)だった。

 23歳の時にトゥールーズでプロデビュー。その後フランスリーグではアジャクシオやディジョン、グルノーブルなどに所属し、スペインのラシン・サンタンデールでも2年半ほどプレーした。マルセイユ時代に酒井宏樹の監督だったルディ・ガルシアに見出され、グルノーブル、ディジョンは松井大輔の古巣、そしてトゥールーズはかつて昌子源が、現在はオナイウ阿道が在籍と、日本人選手とも縁があって、なんだか親近感が湧くバックグラウンドだ。

 また、グルノーブルでは駆け出し時代のオリビエ・ジルーとチームメイトだった。準決勝でフランスと対戦した時、終了のホイッスルが鳴った途端にジルーがレグラギのもとへ駆け寄り、ハグを交わしていたのは微笑ましい光景だった。

 レグラギはフランスで「シテ」と呼ばれる、大都市の郊外に建てられた移民やその子孫たちが多く住まう低所得者用住宅が密集するエリアの出身だ。

 「シテ出身」の仲間たちの結束は固い。レグラギも、育成時代はクラブよりもシテのチームでよくプレーしていたと前にインタビューで話していた。当時の仲間の証言では、レグラギは仲間たちを引っ張るリーダー的存在で、みんなから頼りにされる兄貴肌だったそうで、たまにパリの繁華街に繰り出すと、ケバブ屋の主人をうまく乗せてはみんなのためにタダでコーラをゲットしてくれていたという。彼のリーダーシップと話術は、この頃から際立っていたようだ。

2005年8月、当時29歳のレグラギ。選手としてもモロッコ代表で45試合(2001-09)に出場した

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ヴァイッド・ハリルホジッチカタールW杯モロッコ代表リーグ1ワリド・レグラギ

Profile

小川 由紀子

1992年より欧州在住。96年から英国でサッカー取材を始め、F1、自転車、バスケなど他競技にも手を染める。99年以来パリに住まうが実は南米贔屓で、リーグ1のラテンアメリカ化を密かに歓迎しつつ、ブラジル音楽とカポエイラのレッスンにまい進中。