ワールドカップ優勝も夢ではないだろう。アフリカ勢として史上最高の4位に入ったカタール大会後も、31試合で2敗のみ(24勝5分)、2024年6月から16連勝中というA代表に加え、昨年のパリ五輪では銅メダル獲得、そして10月にはU-20ワールドカップで初戴冠と、次世代の強化も順調なモロッコ代表。躍進の背景に迫る。
根源は26年前、そして『ムハンマド6世アカデミー』とともに
9月27日から10月19日にかけてチリで開催されたU-20W杯で、モロッコが初優勝を飾った。
グループステージではスペインやブラジルを下し、準決勝では延長戦までもつれ込んだフランスとの激戦をPK戦の末に勝ち切ると、決勝ではこの大会で過去6回の最多優勝を誇るアルゼンチンを2-0とクリーンシートで仕留め、同国史上初めてFIFAの大会で優勝トロフィーを手に入れた。
2022年のW杯でベスト4に進出し、国際舞台にその存在感をアピールしたモロッコだが、昨年のパリ五輪でもU-23代表が銅メダルを獲得。次世代も結果を出したことで、カタールでの善戦は決してマグレや運ではなく、地道に取り組んできた強化策が身を結んだものであることを、あらためて実証した形となった。
つい最近、モロッコサッカー連盟のフージ・レクジャ会長は、地元メディアに寄せたコメントの中でこんな興味深い発言をしていた。
「ここ数年、モロッコ勢はクラブ、代表レベル合わせて決勝戦に29回到達し、そのうち25回で勝利を収めている」
つまりは、25回もなんらかの大会で優勝しているというなんとも見事な成績だが、ではなぜ、モロッコは近年、急激に力をつけ、このような成功を手にするに至ったのか。
根源をたどると、それは26年前の1999年に遡る。
この年、モロッコでは前国王の崩御によりムハンマド6世が国王に即位した。父王の跡を継いで玉座についた当時36歳のムハンマド6世は、国全体におけるスポーツ振興を自身が推進する統治プロジェクトの中心に据えた。その狙いは、スポーツの活性化を通じて人材を育成し、社会的包括性(インクルーシブ)を育み、そしてモロッコの国家イメージを国際的に向上させること。
その手段として、スポーツインフラへの大規模な投資や若い才能の育成、草の根レベルに至る様々な状況下での練習環境改善といった取り組みに着手した。
中でも、競技人口が多く国民からの人気が高いサッカーについてはより巨大なプロジェクトが立ち上げられ、2009年には1300万ユーロ(約23億円)を投じた同国初の王立育成施設『ムハンマド6世アカデミー』が開校した。全土から13歳から18歳までの可能性を秘めた若き才能が集められ、サッカーとともに学業も行う、フランスの国立育成所クレールフォンテーヌのような施設だ。
W杯カタール大会のメンバーの中では、MFアゼディン・ウナヒ(ジローナ)、FWユセフ・エン・ネシリ(フェネルバフチェ)、DFナイフ・アゲルド(マルセイユ)、控えGKのアフメド・レダ・タグノーティ(FARラバト)らがこのアカデミーで育成を受けている。また今回のU-20W杯には、決勝で2ゴールを挙げて大会のジョイント得点王となったFWヤシル・ザビリ(ファマリカン)を筆頭に4人のメンバーを送り出した。
أبطال من ذهب✨ فخر المغرب!
عثمان معما وياسر الزابيري، ثنائي ذهبي لا يُنسى 🤩𝗧𝘄𝗼 𝘀𝘁𝗮𝗿𝘀, 𝗼𝗻𝗲 𝗳𝗹𝗮𝗴 🇲🇦⭐
Othmane Maamma and Yassir Zabbiri ✨ two names forever written in World Cup history🏆#DimaMaghrib pic.twitter.com/BDTmfa6vv1— Équipe du Maroc (@EnMaroc) October 20, 2025
王立アカデミーでは、男子代表だけでなく、女子代表や指導者の育成にも力を入れている。カタールW杯で指揮を執り、現在も監督を務めるワリド・レグラギもここでトレーニングを受けた。
「世代から世代へ受け継がれること――それが私たちのモットーです」
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Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。
