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挫折から這い上がり掴んだ日本代表。湘南ベルマーレ・町野修斗が渇望した「覚醒の時」

2022.07.22

覚醒した、と言っていいだろう。今シーズンのJ1で披露してきた活躍が評価され、自身初の日本代表に選出されると、EAFF E-1サッカー選手権では、国際Aマッチデビューとなった香港戦でいきなり2ゴールを記録。多くのサッカーファンが町野修斗の名前をその脳裏に刻み込んだ。だが、率直に言ってここまでのプロキャリアは、決して自身が望んでいたような軌跡を描いてはくれなかった。渇望し続けた「覚醒」へと至るまでの雌伏の時間を、おなじみの隈元大吾が丁寧に綴る。

「人生で一番挫折した」ルーキーイヤー

 『EAFF E-1サッカー選手権2022決勝大会』を控え、最後の公式戦となった先日の第22節・アビスパ福岡戦、ライトグリーンに染まる湘南ベルマーレのゴール裏には、日本代表に選ばれた選手たちへの横断幕が並んだ。その中の1つには、こんな言葉がしたためられていた。

 〈挫折から這い上がり掴んだ日本代表 挑めマチ〉

 サポーターが贈ったエールが伝える通り、町野修斗のプロのキャリアは挫折とともに始まった。

鮮烈なA代表デビューを飾った香港戦でボールを争う町野

 高校サッカーの雄・履正社高を卒業し、町野が横浜F・マリノスに加入したのは2018年のことだった。とある試合で示したプレーがオファーのきっかけになったらしい。

 「高2の時、日産スタジアムで行われたJリーグ選抜対高校選抜の試合で、強烈なミドルシュートを打って先制点を決めました。そこで注目され、マリノスに目を止めてもらえたのかなと思います」

 晴れてプロとなり、踏み出した日々はしかし、過酷だった。試合に関わるメンバーがトレーニングに励む傍ら、枯れ芝のグラウンドを走り、ボール回しを行って、主力組のゲームを見守る。

 「活躍してやろうという気持ちで入りましたけど、なかなか練習にも入れないような状況だった。小学校の低学年の頃から試合に使ってもらっていたし、中学も高校もチームの中心でやっていたので、人生で一番挫折した年だったと思います。苦しかった」

 プロ1年目のこの年、出場は1試合も叶わず、天皇杯には登録すらされなかった。

北九州で学んだサッカーで生きていく意味

 先輩のアドバイスもあり、町野は翌年、活躍の場を求めてJ3のギラヴァンツ北九州に移籍した。

 「J1からJ3にカテゴリーは落ちましたが、プライドとかそんなことは言ってられなかった。死ぬ気でやらないと戻ってこられないだろうなと思っていた」

 クラブを取り巻く現実を目の当たりにし、想いを新たにするところもあった。

 「J3には、他の仕事をしながらプレーしている選手もいれば、スパイクやサッカー用具を自分で買う選手もいる。スパイクの管理や洗濯も自分でやらなければならない。原点に戻った感覚があったし、Jリーグの厳しさも感じました」

 覚悟とともに臨んだ新天地でその才が輝きを放つのに時間はかからなかった。加入1年目の2019年に、チームトップの8ゴールをマークしてJ3優勝に貢献すると、J2に臨んだ翌年もコンスタントに先発出場を重ね、7得点を挙げてチームを上位へと押し上げた。

 「チームメイトも監督もコーチもみんないい人でした。人に恵まれたし、鍛えてもらった」。そう振り返る北九州時代には、のちに自身の武器となるプレーも磨いている。「局面を変えるターン」だ。……

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ギラヴァンツ北九州横浜F・マリノス湘南ベルマーレ町野修斗

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隈元 大吾

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