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エマニュエル・プティ。ジダンでも、デシャンでもなかった1998レ・ブルーの“ラストピース”

2022.01.20

この記事は『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』の提供でお届けします。

1998年ワールドカップ、EURO2000を連覇し一時代を築いたフランス代表。主役として記憶に刻まれているのはジネディーヌ・ジダンを筆頭にティエリ・アンリ、ディディエ・デシャン、マルセル・デサイーらの名前かもしれない。ただ、98年ワールドカップ優勝チームを“完成”させたのはこの男の存在だった。エマニュエル・プティ。オールラウンドな能力で攻守に貢献した、偉大なバイプレーヤーに脚光を当てる。

憧れの兄を失った喪失感と栄達

 1998年ワールドカップ決勝、フランスの3点目はエマニュエル・プティの左足のシュートだった。フィールドを斜めに疾走してパトリック・ビエラからのパスを受け、GKの出ぎわを冷静に外したシュートがサイドネットへ転がっていく――フランスサッカー連盟の1000点目であり、20世紀最後のワールドカップでの得点でもあった。

 185cm/79kgの均整の取れた体格にポニーテールの金髪。左利き、優雅な動き方、冷静さと力強さを兼ね備え容姿端麗、頭もキレる。誰もが憧れるようなフットボーラーのプティが憧れたのは彼の兄だった。

 アマチュア選手だった兄のオリビエは、そのプレーぶり、フィールドを離れた時の言動など、すべてにおいてエマニュエルの憧れだったという。しかし1988年、その兄は試合中に倒れて帰らぬ人となった。

 その3年前にモナコの育成チームに入っていたプティは、すでに国内外に知られた存在だった。初年度に18ゴール36アシストを記録してイングランドのクラブからも注目されている。そして兄が急死したシーズン、プティはトップチームへと昇格。一時は本気でプレーをやめようとするほどショックを受けていたという。しかし、その後のキャリアは順調だ。フランス代表のミシェル・プラティニ監督にその才能を見込まれ招集され、EURO92のメンバーにも入った。

 ただ、そのまますんなりレ・ブルー(フランス代表の愛称)のレギュラーに定着したわけではない。1994年ワールドカップ予選では悲劇的なブルガリア戦の敗戦も経験し、その後に就任したエメ・ジャケ監督に新チームのスタートだったキリンカップで招集されながら、そこから2年間は音沙汰なし。EURO96も選外だった。

 脚光を浴びたのは1996-97シーズン。モナコがリーグ優勝を果たし、プティは中心選手として活躍した。翌シーズンはアーセナルへ移籍し、モナコ時代の監督だったアーセン・ベンゲルの下でプレミアリーグとFAカップの2冠に貢献。この一連の活躍で98年ワールドカップメンバーに選出されている。

アーセナル時代のプティ。恩師ベンゲルの下で主力としてプレーし4つのタイトルを掲げた

 それなりの浮き沈みを経験しているわけだが、プティはいつもどこか淡々としていた印象がある。兄を亡くしプロに昇格した。悲しいこともうれしいことも起こる人生。どこか達観しているように見えた。

ラストピース

 モナコの育成コースに編入する前、プティはノルマンディーリーグ(フランスの地域リーグ)で10番をつけたプレーメイカーだった。

 「そのままだったら、もしかしたら誰の目にも留まらなかったかもしれないね」(プティ)

 チームメイトが負傷したためリベロとしてプレーしていたら、モナコから声がかかった。プロとして最初の監督になったベンゲルはプティの適性ポジションをCBだと話している。ただし、左SB、CB、MFと3つのポジションで起用された。本人の希望というよりチーム事情によるものだったが、どのポジションも器用にこなした。

 特別に速いわけではないがスピードはある。左足のフィードは的確で、ゲーム展開を読む賢さがあった。特筆するほどではないがCBとしての空中戦もそれなりに強い。アーセナルで再会したベンゲル監督はパトリック・ビエラとMFの中央で組ませた。

 どのポジションでも世界一というわけではない。過不足はないがスーパーではない。しかし、その器用さが代表入りに繋がっている。98年ワールドカップでは3戦目のデンマーク戦で決勝ゴールを叩き出し、決勝ではCKからジネディーヌ・ジダンの先制点をアシスト、ダメ押しの3点目を決めてブラジル戦のヒーローになった。

母国開催となったW杯決勝で、ダメ押しとなる3点目をマーク。歴史的瞬間にその名を刻んだ

 この時のフランス代表では3ボランチの左が定位置だ。ジャケ監督はEURO96から本大会までの2年間、同じメンバーで同じシステムを使ったことが一度もない。最後までレギュラーメンバーがはっきりせず、22人のワールドカップメンバー発表にそれより多い選手を読み上げて物議を醸している。メディアは優柔不断だとジャケを批判した。

 この時のジャケ監督のチーム作りは、現在のディディエ・デシャン監督にも影響を与えていると思う。1つのチームを熟成していくのではなく、複数の可能性を探りつつ本番で一気に組み上げる手法だ。代表チームは活動日数が極めて限られている。逆にワールドカップまでに強化期間は4年あるが、その間に中心選手のピークアウトや新たな戦力の台頭が起こり得るわけで、その時どきの状況を生かすためにはメンバー固定化は弊害になりかねない。本番までは試行錯誤を繰り返し、あらゆる可能性を残しておく方が得策という考え方だ。

 フランスは若手の台頭も早く、この手法は合理的ではあるが、本番を迎えても決定版が見つからない危険と隣り合わせではある。ジャケ監督は最終的に[4-2-3-1]と[4-3-2-1]の2つに絞り込んだ。前者の2ボランチはデシャンとクリスチャン・カランブーがレギュラーだったが、後者のクリスマスツリーにプティのポジションがあったわけだ。

 ところが、いざ始まってみるとプティの序列は上がっていた。2戦目のサウジアラビア戦以外のすべての試合で先発している。鉄壁の4バックのスクリーン役として、デシャンとともに重労働をまっとう。その運動量、球際の強さ、冷静なパスワーク……プティこそがこのチームのラストピースだった。

W杯制覇の喜びをビエラと分かち合うプティ。2人はアーセナルでも共闘している

偉大なバイプレーヤー

 攻撃の切り札はジネディーヌ・ジダンとユーリ・ジョルカエフだった。精神的支柱はデシャン。優勝の原動力となった鉄壁の4バックはリリアン・テュラム、ローラン・ブラン、マルセル・デサイー、ビセンテ・リザラズ。ちなみにこの4人で組んで負けた試合は98年以前も以後も1回もなく、まさに無敵の4バックだった。GKはプティとモナコでチームメイトだったファビアン・バルテズ。この個性的な面々の中で、プティはかなり地味な存在と言える。

 何でもできるが何も特別ではない。他のメンバーはいずれもある種の天才だった。天性のボールアーティストであるジダン、技術は最低レベルだがリーダーシップが抜群のデシャン、鋼の肉体で難攻不落のデサイー……スペシャリストたちの集団の中、プティだけがクセが強くない。天才たちは、それゆえの欠落も抱えている。ジダンは守れない、デシャンは頭脳ほど足が動かない。リザラズはその速さゆえに自分のポジションがよく空になる。そうした周囲の弱点を、万能のプティが淡々とカバーしていた。

98年W杯決勝の先発メンバー。前列左からカランブー、ジョルカエフ、デシャン、バルテズ、リザラズ。後列左からジダン、デサイー、ルブーフ、テュラム、ギバルシュ、プティ

 輝かしいアーセナルでの3シーズンの後、プティはバルセロナへ移籍して1シーズンを過ごしたが負傷もあって不遇の1年を過ごす。2001年にチェルシーへ移籍。フランク・ランパードとセントラルMFのコンビを組み最初のシーズンは活躍したが、ロマン・アブラモビッチがオーナーになって過剰なほどの補強を断行したことでポジションを失った。スペシャリストの集団でこそ輝くはずだったが、その隙間すらなかったわけだ。

 求められれば何でもやってのける。意見ははっきり言うけれども、過剰な自己主張はしない。偉大なバイプレーヤーとして記憶される名選手だった。

◯ ◯ ◯

あらゆる能力を高次元で備え、華麗なアタッカー陣と堅牢な守備陣とを繋ぐリンクマンとしてフランス代表が栄光へと至る最後のピースとなった仕事人エマニュエル・プティと、驚異的なフィジカルで相手の攻撃をシャットアウトしてみせた守備職人マルセル・デサイー。フランスを代表する2人のレジェンドが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム「プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド」(サカつくRTW)に登場!

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<商品情報>

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Photos: Getty Images

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エマニュエル・プティサカつくRTWフランス代表マルセル・デサイー

Profile

西部 謙司

1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。

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