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森崎和幸、ラストダンス。「広島のブスケッツ」の知られざる真価

2018.12.18

さりげない好プレーの数々

 最後の最後まで、森崎和幸は「らしさ」を保ったままだった。

 「らしさ」は、プレーのクオリティだけではない。評価のされ方まで、実に彼らしい。2018年12月1日、現役最後となるJ1札幌戦(2-2)における専門誌の採点で、彼の点数は「6」だったのだ。

 引き分けなんだから、広島の選手の点数が伸びないのも理解できる。筆者も採点の経験があるし、ビデオでの確認もできないまま試合直後に寸評と採点をやらねばならない事情は、今も変わらないのだろう。

 だが、筆者に言わせれば、少なくとも広島の最高点は森崎和幸であるべきだ。それは何も、彼の現役最後の試合だからというわけではない。0-2から同点に追いつき、反転攻勢の状況をつくって2位という成果につなげたのは、どう考えても森崎の圧倒的なゲームコントロールの賜物だからだ。

 27分、自信満々に前を向いた札幌のホープ・三好康児に森崎は身体を強く当て、完璧な形でボールを奪う。このシーンから、札幌のリズムは崩れ、広島に「いける」という雰囲気が生まれた。2点を先制した勢いそのままに、広島を踏み潰そうとした札幌の勢いを止めたのは、森崎の力強い守備。プレーでチームを牽引するとは、こういうことなのだ。

 何気ないボールの動かし方。プレッシャーの回避能力。味方が困った時の顔の出し方。全てがさりげない。さりげないが、味方にとってこれほど頼もしいことはない。困った時は森崎。そんな意識を持たなくても、自然と彼が視界に入ってくるから、まずは8番にパスをして自分は次に向かえばいい。その繰り返しが馬渡和彰の追撃弾を生み、柴崎晃誠の同点ゴールにつながったのだ。

 「相手のボランチが引いた中で、カズさんが前に出る。それがスイッチとなってみんなが動き出して、ペースを握った。そういうことができる数少ない選手であり、当たり前のことを当たり前に、高いレベルでできる。みんなイニエスタに対して『いい選手だ』と言うように、カズさんもいい選手だということなんです」

 林卓人の言葉である。

 「本来はまだやめるべきではない。2位になれたのは彼の力があったからこそ。カズと一緒にプレーできたのは、私の誇りだ」

 パトリックは笑顔で思いを捧げた。

 「0-2から修正できたのは、カズさんがしっかりとコントロールしてくれたから。そこにいて当然、というか自然にいてくれることがカズさんのプレー。そういうことができないと、(広島が表現した)サッカーはできない」

 広島の黄金時代を共に築いたパートナーに対する青山敏弘の言葉は熱い。


「カズが札幌に居たら、われわれが勝利していた」

 森崎がそれほどの選手であることを改めて示した現役ラストマッチ。筆者のように広島をずっと見てきたライターであれば当然、チーム最高点は背番号8なのだが、森崎のプレーをあまり見たことのないジャーナリストにとっては、あまりに自然すぎて、あまりに滑らかすぎて、評価のポイントがつけづらいのだろう。それもまた、森崎和幸の特性だ。

 3度の優勝に最大級の貢献を果たしたにもかかわらず、ベストイレブンには一度も選出されない。それどころか、優秀選手賞も一度だけ。Jリーグアウォーズに投票するプロの監督や選手も、理解できていないことは明白だ。

 広島時代は毎日のように彼と言葉をかわし、戦術的なことを話したりチームのことを尋ねたりしていた森保一日本代表監督は「カズが一度もベストイレブンに選出されなかったことは、まったく理解できない」と今も語る。

 「カズが入るとノッキングが起きなくなり、チームの機能性がグッと高まるわけですが、それは技術的なクオリティと判断の高質さがないと絶対にできない。カズのクレバーさにどれほどチームが、監督である私が助けられたか」

 ラストマッチの敵将であり、森崎にとっての恩師でもあるミハイロ・ペトロヴィッチは「もしカズが札幌のチームメイトとして試合に出ていたら、我われが勝利していただろう」と賛辞を贈った。

 「カズがいることで広島というチームが動き出した。周りが全て見えていたし、札幌の攻撃を察知してボールを奪い、攻撃に繋げた。戦術眼・予測・技術、あらゆるものが素晴らしい。ドクトル・カズ。その名にふさわしいパフォーマンスだった」

 かつての愛弟子に対するノスタルジーもあるだろう。だが彼は広島戦に向けてのミーティングで、札幌の選手たちに「最も警戒すべきは森崎和幸と青山敏弘だ」と語っている。掛け値なしに、今も広島のベストプレーヤーが森崎であることを、ペトロヴィッチ監督は指摘していたのだ。


玄人ほど、凄みを認識していないのでは?

 ユース時代から森崎を高く評価し、年代別代表や広島時代に指導を重ねた小野剛元監督(現日本サッカー協会技術委員)は、「当時から同年代の選手たちとは思考レベルが違っていた」と言う。

 「技術の高い選手は他にもいたが、カズは局面だけでなくゲーム全体を把握して見極める能力に長けていた。さらに彼はDFのチェーンが切れているわずかなスキを見つけて、そこにスッと抜け出す力も持っていた。ボランチだけでなくトップ下のプレーも魅力的でしたね」

 小野元監督は2015年のFIFAクラブワールドカップで、FIFAのテクニカルスタディグループの一員としてゲームの評価を行なっていた。準々決勝の広島対マゼンベ(アフリカ代表)戦後、プレーヤー・オブ・ザ・マッチの選定作業に参加した時のことである。

 「グループ内での議論の中、選定に様々な意見が飛びかった。アオ(青山敏弘)もよかったし、ドウグラスも素晴らしい。その時、『ナンバー8はどうだ』と意見を言ったんですね。あの試合は実際、カズがゲームコントロールをしていたわけですから。そうすると『確かにそうだ』と同調してくれた。ドイツ代表の頭脳とまで言われたメンバーも『彼がいるから周りも活きる』と言ってくれて、カズの受賞で一致したんです。評価眼が確かなメンバーたちにも、カズのプレーが認められたということですね」

 本来であれば、ここまで監督たちの言葉を並べなくても、J1で通算430試合出場を果たし、優勝を3回も記録した名選手の素晴らしさは情報として共有しているものだ。だが残念ながら、森崎の凄みの認知は高くない。「玄人受けする選手」という言い方をよくするのだが、「玄人」と呼ばれる人であればあるほど、むしろ良さを発見できていないのではないか。

 ジャーナリストも評論家も、サッカーの現場にいる対戦相手ですらも。名前をあげた3人の指導者は言葉を揃えて「日本代表に値する選手」と評価したが、実際は一度も代表に招集されたことはない。

 柏木陽介や李忠成、石原直樹、西川周作、塩谷司ら広島に移籍してきた選手たちが必ず語る言葉が「一緒にやらないと、カズさんの凄さは理解できない。どうしてカズさんが代表に選ばれないのか、理解できない」と首を捻り、ミハエル・ミキッチは「彼がヨーロッパでプレーしていたら。1000万ユーロ以上の移籍金でビッグクラブに移籍できる」と語ったが、そういう評価は一般的ではないのだ。

 「もしカズと(実弟の)浩司が2009年や2010年のシーズンにフル出場できるコンディションだったら、タイトルをとることだって夢ではなかった」

 かつて広島にいた時も、そして今も、ペトロヴィッチ監督はそう語る。慢性疲労症候群という重い病と闘い、5度にわたって長期離脱を繰り返すという彼が背負った運命がなければ日本代表も夢ではなかったし、広島の優勝はもっと早く実現しただろうし、もっと言えば今季の引退もなかった。札幌戦でも名古屋戦でも、誰よりも上手かったからだ。

 しかし、そこで見逃してはならないのは、5度も長期離脱を重ねながら、その全てで復帰を果たし、「さすが森崎和幸」と唸らせるプレーを見せ続けたことだ。身近で彼を支え、苦しみを共にしてきた愛妻の志乃さん。

 「体調が悪い時にはいつも、究極のことを言われてしまう。サッカーをやめるか俺が死ぬか、とか。でも、その苦しさを何度も跳ね返し、カズさんはピッチに戻っていったし、その姿も私は見てきたんです。だからこそ、(復活を)信じ続ければ、必ず復帰できると私は信じていた。『諦めたら、そこで終わり』と子どもたちにも常々言ってきたのは、何よりもカズさんがそういう姿を見せてくれていたから」

 志乃さんはドクターにこんなことを言われていたという。

 「この病気は、そう簡単に乗り越えられるものではないんです。とてもシビアな状況に陥っている人も少なくない。でもご主人は、すごく身体が強いんですよ。これほどの強さがないと、こんなに何度も体調を回復することはできない」

 だからこそ、強い身体を贈ってくれたご両親に対する感謝を志乃さんは口にした。それに加えて愛妻の情熱があればこそ、森崎は何度も這い上がってこれた。慢性疲労症候群は簡単な病気ではなく、彼自身も普通の生活をおくれないような状況に陥ったこともある。それでも必ずピッチに戻ってきた事実が、森崎和幸という選手の偉大さを増幅させたことは言うまでもない。だが、こういう物語もほとんど知られないいないことも真実で、物事を伝えることを仕事としている筆者は自身の力のなさを呪ってしまう。


「カズは、広島のブスケッツです」

 森崎にとっては最後の監督となった城福浩監督は、ほんの数カ月しか彼と一緒に仕事ができなかった。2月1日から約8カ月もの間、症状の悪化のために森崎が離脱を余儀なくされたからだ。だが、復帰した後の彼の頑張りと天才的な能力は、瞬く間に指揮官を魅了する。「カズの全盛期に監督を務めていた方々に対し、僕は正直、嫉妬しています」と心の内を吐露したこともある。

 「カズは、広島にとってのブスケッツです」と城福監督は比喩した。ブスケッツとは言うまでもなくはバルセロナでプレーする世界最高峰のボランチ。ゲームコントロールの能力にかけては彼の右に出るものがいるかどうか。

 「バルサはブスケッツを、最も必要な選手として手放さない。ものすごく身体が強いわけでも運動量もあるわけでもないが、あの判断と技術、ハンドリングの確かさは、確かにバルサにとって必要不可欠な存在。僕はカズを見て、ブスケッツを思い浮かべたんですよ。長谷部誠は日本代表で100試合以上も出場した素晴らしい選手ですが、技術・判断のレベルでカズはまったく引けをとらない。日本代表には凄い特徴を持った選手がたくさん集まってきますが、その特長をカズなら(最大限に)引き出せたと思います。実際、札幌戦での彼の活躍はエクセレントというしかない」

 サッカーの玄人ですら、森崎のプレーは理解できていないと前述した。一緒にプレーしないとわからないという選手たちの声も紹介した。だが実は、サッカーに対してフィルターを持たない、純粋な目を持った人は意外と、彼のことを理解できるのかもしれない。

 例えば広島のピッチレポーターを務める掛本智子さんは、この仕事を始めるまではサッカーのことはまったく知らなかった。何をどうしていいのかわからない中、とにかくサッカーを学びたいと思い、森崎だけのプレーを追いかけてみようとビデオを見返した。

 「するとなんとなく、サッカーの見方がわかってきたんです。カズさんがどうしてみんなから信頼されているのか、何が凄いのか。サッカーがわかっていないとカズさんにインタビューはできないってビビっていた私なんですが、思い切ってボールをとれる秘訣を質問したんです。その時、本当に丁寧に教えてくれたことを強く覚えています。カズさんは私にとってサッカーの先生なんです」

 かつてテレビ新広島でスポーツ番組のキャスターを務めていた石井百恵記者も、「ミーハーな見方をしていた私に、サッカーの面白さを教えてもらったのがカズさんでした」と語る。

 「カメラマンさんに言われてボールじゃないところを見る楽しみを見つけた時、そこに現れるカズさんの周りを活かす魅力たるや、凄かった。この凄さは、テレビではなかなか表現できない。だけど、カズさんが(慢性疲労症候群による)離脱から戻ってきた時、(佐藤)寿人さんや駒野(友一)さんが『カズがいるだけで違う』と話していたんです。いない時ほど、存在感がすごくわかる。いないことの違和感を感じさせる選手なんですよ、カズさんは」

 サポーターと話をしていても、ボールではなく森崎だけを見ている人のなんと多いことか。サッカーとは縁遠い生活を送っていた若い女性や野球しか興味がなかった壮年世代の方が何かのきっかけでサンフレッチェに興味を持った時、「サッカーを学びたい」という純粋な思いで、チームで一番頼りにされていそうな森崎だけを見る。そして彼の奥深いプレーに魅了され、あっという間にサポーターになった。そんな言葉を何度となく、聞いた。


俺たちの和幸、俺たちの誇り。

 先入観もなく、まっさらな気持ちで見ることができれば、すんなりと理解できる。筆者も含む伝える側がそういう想いを持って研鑽を積むことで、「サッカーを伝える」という仕事のレベルは間違いなく高くなる。そんな想いも感じさせる森崎和幸は、周りへの影響力も含めて、まさに天才であった。簡単に「後継は誰か」などと言えないほどの。

 来季、広島は森崎和幸という天才不在の中、森崎と広島がずっと大切にしてきたスタイルのサッカーを再構築しようとスタートすることになるだろう。それは、想像以上の大事業だ。ペトロヴィッチ監督の「ミシャシステム」において最重要といっていい可変システムを考案し、森保一監督に「現場監督」と称賛された偉大な選手の後継など、簡単に出現するはずもない。だが森崎と史上最高といえるコンビネーションを創造し、3度の優勝を導いたパートナーの青山敏弘は言う。

 「カズさんからバトンを渡された自分たちが、どう変わっていくのか。僕はずっと(カズさんを)見ていたので。考えてきたことはわかっているつもり。カズさんが敷いてくれたレールの上を真っ直ぐ繋いでいきたい」

 青山の言葉と並べ、森崎和幸の現役最後の言葉も記録して、レポートの締めくくりにしたい。

 「1年間、みんなで頑張って2位を勝ち取った。シーズンを通して戦った監督やチームメイトを評価してほしい。自信にしていいところもある。ただ、どうして(最後に)勝てなかったのか、そこにチームとしてフォーカスしないと来年が危険。でもそれは、監督も選手もわかっているから。

 (広島は)ポテンシャルのあるチーム。収穫も課題も明確だし、そこをしっかりと検証して次につなげたい。個人的には札幌戦のようなサッカーを続けてほしいとは思う。僕もこういうサッカーを10年以上やってきて、3度の優勝という結果も出せた。ただ、続けないと結果にはつながらない。

 苦しさもありましたが、本当に幸せなサッカー人生だった。どんな時でも監督やチームメイトに恵まれた。これ以上のことは、求められない」

 最後の最後まで、森崎和幸はサンフレッチェ広島のために戦った。

 だからこそ、ミハイロ・ペトロヴィッチは言う。

 「カズこそ、サンフレッチェ広島なのだ」と。

 だからこそ、サポーターは歌う。

 「俺たちの和幸、俺たちの誇り」と。

広島を蘇らせる、城福浩のインテンシティ

Photos: SIGMACLUB
Edition: Daisuke Sawayama

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Jリーグサンフレッチェ広島森﨑和幸

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。