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「強いヤツじゃなくて、柔軟なヤツが生き残っていく」。大宮・中村順アカデミーダイレクターが辿るサッカーの旅

2021.09.29

中村順(大宮アルディージャ アカデミーダイレクター)インタビュー後編

日本サッカーの育成界にこの人あり。柔和な笑顔とテンポの良い関西弁が印象的な55歳は、誰もが思わず話したくなるような、心を開きたくなるような、オープンマインドの持ち主でもある。だが、1990年代に一念発起して単身でドイツに渡ったことも、かつてからの夢だった育成年代の指導へ体当たりでぶつかっていることも、すべてはあふれんばかりの圧倒的な情熱に突き動かされてきた、“信念の人”でもある。大宮アルディージャアカデミーダイレクター。中村順。

インタビュー後編は育成年代の指導者に辿り着いた経緯、大宮のアカデミーを整備するために走り回った奮闘の日々など、30代後半から今に至るキャリアを振り返ってもらう。

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念願だった育成年代の指導者に


――アルディージャの後に、ジェフユナイテッド千葉の普及コーチとプロフィールには書かれていましたが、ここが育成年代との最初の接点ですか?

 「当時は仙台に佐川急便仙台という社会人のチームがあって、当時ジェフがコーチを派遣していたんですけど、そのコーチのお仕事をいただいて、半年間やらせていただきました。ただ、半年後にもうこのチームは強化しないということになって、どうするかという時にピムが『オマエ、今何してる?』と、僕を気にして連絡してきてくれて、事情を話したら『わかった。オレは京都に電話する』と言って、ピムから売り込んだんですね。それで京都パープルサンガとの契約が成立してから、僕に通訳として声をかけてくれたんです。今から考えたら、仙台で次の仕事がなくなった自分を救ってくれたのかなと。本心はわからないですよ。当時の彼はPSVの育成部長をしていたので、現場に戻りたい気持ちはあったと思うんですけど、僕がそういう状況だということを知っていて、というのもあったんじゃないかなと。それで京都に行かせていただいて、半年間通訳をやりました。残念ながらJ1に残留できなかったんですけど、その後も3年間アカデミーのコーチをやらせていただきましたね」……

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中村順大宮アルディージャ戦術文化

Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!

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