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クロアチアで奇跡の復活を遂げたパパドプーロス。ギリシャ代表復帰、愛するシャルケへの想い

2021.05.06

15歳でプロ初出場、19歳でギリシャ代表デビュー。シャルケで内田篤人、ハンブルクで酒井高徳ともプレーした天才DFは、28歳の若さで「終わった選手」と言われていた。今季からプレーするのは、クロアチアの中小クラブであるロコモティーバ。そこで彼は奇跡のカムバックを遂げた。

 国際的に名の知られた外国人選手がクロアチアリーグに「漂着」することは過去の歴史で幾度と起きた。元ドイツ代表のDFイェンス・ノボトニー(ディナモ・ザグレブ)やFWフレディ・ボビッチ(リエカ)、元アルゼンチン代表DFレアンドロ・クフレ(ディナモ)、元ポルトガル代表FWウーゴ・アルメイダ(ハイデュク・スプリト)……。元日本代表FWの三浦知良(ディナモ・ザグレブ)のことも忘れてはならないだろう。しかしながら、いずれの選手もピークが過ぎた30代になってからのクロアチア挑戦で、その多くが成功とは言えずに終わっていた。

 そんな中、今季も新たなビッグネームがクロアチアに流れ着いた。屈強な守備が売りのCBキリアコス・パパドプーロス(29歳)。シャルケでは内田篤人とじゃれ合う姿が紹介されたこともあり、日本のサッカーファンにもなじみの深いギリシャ人だ。とはいえ、彼が入団したロコモティーバ・ザグレブというクラブについては、99%のサッカーファンが知らないかもしれない。なぜ彼は復活の舞台としてクロアチアリーグを、そしてロコモティーバを選んだのだろうか?

早熟の天才DF。EURO2012で大ブレイク

 「パパ」ことパパドプーロスは極めて早熟な選手だ。2007年に名門オリンピアコスでギリシャリーグ史上最年少出場(15歳283日)を果たすと、その3年後にはシャルケへ移籍。入団1年目は守備的MFとして開花し、10-11シーズンのCL準決勝進出に貢献。その1カ月後には19歳でギリシャ代表デビューを果たす。パワフルかつタイトなディフェンスを武器にシャルケやギリシャ代表でもCBに固定されるようになり、初の国際舞台となるEURO2012を20歳で迎えた。私は同大会におけるギリシャの試合すべてを撮影取材したが、闘将ギオルゴス・カラグニスや守備の重鎮コスタス・カツラニスといった伝説のEURO2004優勝メンバーに臆することなく、常にひたむきで激しい表情の若武者の姿に釘付けとなった。ポーランドとの開幕戦前夜に先発でないことを知ったパパドプーロスはフェルナンド・サントス監督に向かって、こう怒鳴ったという。

 「あんたはまともじゃない。僕がいなくては試合に負けてしまう!」

 前半37分に負傷したCBアブラアム・パパドプーロスと代わってピッチに立ち、その7分後には相棒のCBソクラティス・パパスタプーロスが2枚目のイエローで退場という緊急事態に陥るも、彼はロベルト・レバンドフスキを完璧に抑え込み、最終的にドローへと導いた。2戦目以降は不動のスタメンとして最終ラインに君臨し、グループステージ突破に貢献。準々決勝ではドイツに屈するも、『Transfermarkt』によれば大会後は彼の史上価格が1800万ユーロにまで跳ね上がった。

EURO2012準々決勝ドイツ戦で相手エースのミロスラフ・クローゼと競り合うパパドプーロス。撮影は長束氏

たび重なるケガ。シャルケ、ハンブルク、そして…

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キリアコス・パパドプーロスシャルケロコモティーバ文化

Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。

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